left

文・写真:さとう としを

茅の輪まつり

夏越し祓
 「茅の輪くぐり」は夏越し祓のことである。場所によっては「輪くぐり祭」といっているところもあった。小木町のように、まつり行事にしているところもある。旧暦六月晦日(三十日)を夏越しといって、この日に各神社では身の不浄を祓い災いを防ぐために、夏越しの行事が行われている。佐渡では神社の鳥居の下や拝殿に、竹を輪にしてカヤを巻きつけてつくった茅の輪をくぐって、罪や穢れを祓う習俗がある。大晦日の大祓にたいして六月晦日は水無月祓といわれた。一年を二分して祓の行事をしていた証拠である。
 昭和十三年の『佐渡年中行事』によると、そのころ、佐渡の西部、小木から相川間の神社でおもに行われているようであったが、夷・湊・住吉・下久知の神社でも行われている。
 『備後風土記』のなかに、貧しい蘓民将来が兄の巨且将来とちがって、一夜の宿を乞うた武塔神のために親切に遇したお返しに、武塔神は蘓民とその家族に、病よけの呪具を与えたのが芽の輪の起源とされている。この説話はインド起源らしく、日本に入ってくると武塔神は素盞鳴尊と習合している。やがて茅の輪は病よけの呪具となり、小木町の堂釜では茅の輪を腰に下げて歩いたという。
 小木の木崎神社の場合は、茅の輪は手をのばしたくらいの大きさの輪で、芯になる竹をカヤで巻いて、三三の縄の結び目をつけてある。夕方、お参りに来たものは、男は左側を内側から三回、女は右側を三回まわる。他の神社では左側から八の字にまわるものが多い。
 拝殿内では大祓の式が行われる。祓は榊の枝に麻のシデをつけた御幣をはらわれるものの上でふって、はらい清めることである。その祓が国家行事として儀式化したのが大祓で、地方で行われている六月祓は、禊の意味も多分に含まれている。小木や河原田方面の神社で行われているように、紙の衣を意味する人形に息をふきかけて、体の悪い個所をさすって、それをまとめて海へ流す行事や横に置いてある麻を切ったキリヌサを撒く行事などは、罪や穢れ・病難をもたらす疫病や悪霊を移しはらう意味があるとみられる。佐渡ではみられないが、七月の土用に行われる虫送りの人形なども、みな同じである。夏まつりの山車や屋台の飾り人形も同様に穢れや厄を移し託して流すことを意味している。
 佐渡でこのような神事を行っている神社は農村部にはあまりみられず、小木・河原田・夷・湊などの人びとの出入りの多い町方で行われている。正月に行われている光明真言や百万遍念仏がさかんな場所も、どちらかといえば、人びとが往きかう町場でさかんであり、それぞれ別の生業に従事している者が、とくに集団の団結と無事安泰を願う行事として続けられてきたように思う。
 日本では穢れの思想が根づよく残っており、神仏の信仰と伝統がうすらいでしまった現代でも、家内に死穢があった場合、まつりの鬼太鼓が門付けをしないとか、一年間は年賀を遠慮するとか、穢れをさける社会習慣がある。この穢れをとり除くために禊や祓があった。
 まつりは、忌み穢れを避けてきた。