文・写真:さとう としを
春まつり(一)
平等の結合
日本の社会はよくタテ社会だといわれる。年功序列・年齢別集団・先輩後輩などが重視される場合にはこのことが意識されるが、社会構成の基本は歴史的必要性によっていろいろ変わってくる。その歴史性は気候風土を基本において、社会・生活事情の変化、米づくりなどと密接にかかわりをもつ。近年、まつりの簡略化・形式化が目立つが、基本にあるまつりの諸条件が変化したことでやむをえぬ事情もある。
しかし、その変化はかならずしも好ましくない事態となってあらわれてきた。一つは個人的な都合でまつりを変化させてしまうこと、また、まつりの集団に社会的連帯性がうすくなっていること、さらに、過疎化していき、まつりを実行することがむつかしくなっていることなど、かならずしも、まつりがいまのまま続くかどうか、不安がでてきた。
まつりは「神を祀ること」であるから、タテ社会では、まつりのときに限って、「無礼講」といって、協同生活を重視する地域集団は相互平等に結ばれるという「平等の結合」が許される。神を祀るときは、集団の構成員は神の前では平等であることを、まつり行事で体験するのである。
よりしろ(依代)
まつりのときに幟や柱を立てる。高く巨大な幟は皇国史観の高まった幕末から神社祭礼の象徴のように流行したが、ここから神が降臨することを意味する依代という意識があったらしい。また、笹・榊や御幣も神の依代という考えがある。正月の門松も正月神の依代の意であったが、神を迎えるのにこうしなければならないという形式はなかった。一般的に低いものより高いもの、落葉樹より常緑樹の枝葉をつかうのが普通である。
まつり当日は用意された神聖な祭場へ、この依代を媒体として神が降臨してくる。宵宮まつりが盛大に行われるところがあるが、まつりは前日の宵から当日の二日にわたって行われたからである。
神人共食(直会)
降臨した神に水・米・塩をはじめ山海の産物や神酒を神饌として供え、神おろし(神の降臨)、神もてなし、祝詞を奏上して、神前で氏子一同が飲食をする。これを直会という。
まつりには神の意志を知るために託宣や占いごとが行われる。オミクジはその一種であるが、農家では米の出来・不出来をみる年占いも正月に行う。昭和五十年代には羽茂町大崎・赤泊村徳和でみられた。また沢根の白山神社・西野の金北山神社でも年占いの御盛物神事をしていたが、いまは行われていない。消滅したのは米の豊作を願う気持ちがうすれたことや司祭する神主がいなくなったことが理由である。科学性合理性を求めるあまり、かんじんの精神のよりどころがあいまいになり、しだいに、まつり行事を主体者でなく観客側に追いやっている。
予祝行事
農業の神は日本では田の神の信仰と結びついていることが多い。この正月に行われる稲作の予祝的な信仰儀礼は佐渡にいくつかある。大久保の白山神社の御田植神事(一月三日)、小比叡神社の田遊び・下川茂の五所神社の御田植神事(二月六日)などである。この神事は農事はじめの予祝行事で、このいずれもが白山系修験の神社であることからすると、加賀の白山山伏がやってきて伝えた神事であろう。
米づくりは太陽暦の一年を周期にして、年ごとに更新しながらくりかえす産業である。まつりがこの周期に合わせて行われるのは当然で、米づくりにとって正月は神を祀る原点である。
まつりの変質は米づくりの衰退にかかわるとすれば日本の将来にかかわる。