はじめに

時は平成八年、春うらら、流れる空気も緩やかな四月某日、場所は佐渡農業高等学校教務室、新潟日報の佐渡版連載の『佐渡魚歳時記』の「おんごろべえ」の記事を読んだ私は、それが「めだか」の佐渡方言であると解説されているのを見、私の記憶と異なっているのに気付いた。
そして、早速周りの先生方に確認をした。その結果、その語の意味は、真野町の合沢出身の内田先生〈国語科〉・畑野町の目黒町出身の渡部先生には、古い言葉ではあるが子供の時に聞き覚えていた「おたまじゃくし」のことを指す語である、との答えを戴いた。
また、金井町吉井の脇野先生は「めだか」だか「おたまじゃくし」だかあやふやで、子供の頃年寄り達が使っていたみたいだ、との答えを戴いた。また、佐和田町や両津市の先生方は「めだか」を指すのではないか、とのことだったが、若い佐渡出身の先生方はその言葉自体を聞いたことがない、とのことだった。
私の母方の実家は畑野の小倉で、そこで育った母はそれがおたましやくしの佐渡方言だ、と以前私に述べていたので「おんごろぺえ」には地区で異なる二つの意味が本来島内にはあること(またはあったこと)が分かった。
そして聞き取りを進めるうちに、「おんごろべえ」という単語は「おんぐるぺえ」とも言う所があることも分かった。(なお、平成八年七月十八日、佐和田町の諏訪町の喫茶店『アゲーン』で方言に付いてどし(友人)の亀井さんと話をしていたところ、佐和田の50歳くらいの男性の方も、「おんぐるぺい」を、おたまじゃくしである、と言っていた。)
私の思うに、元来方言には何が正しくて何が間達いだという客観的な正誤関係は無い。そしてどう使われているかということの記載ができるかどうかが重要であると思っている。加えて、その使い方とアクセント表記をし、未使用者・非経験者が使用出来るまで調ぺることが、言語学的調査としても理想であると考える。
そこで、なるべくそのような点に即して、本校の国語科の内田治一郎先生と調べることにした。

私が佐渡島内に赴任して最初に気付いたのは、佐渡方言が典型的な固有の語彙やアクセントを有しており、新潟県の他の三郡とは全く異なっている、ということである。
佐渡は新潟県を四郡に分けた一つであるが、島という地形であるため、多量の人間の移動が少なかったと考えられる。
次に歴史上、佐渡ヶ島は江戸時代までは『佐渡国(佐州)』であって、明治初頭期には新潟県に含まれず『相川県』であったことが挙げられる。つまり佐渡は『こし(越・高志)の国』でもなけれぱ越後でもない別の国である。
古代においては、新潟県の上・中・下越が大和朝廷の支配下になく、歴史に現れない時から佐渡ヶ島は大和朝廷下の古くからの「日本」の一部であって、日本国としての長い歴史と伝統を持っている。そのためか、日本の関西地区アクセントの影響下(特に能登・加賀・若狭に似ているという説あり)にある。
また、語彙も奈良時代から江戸時代までの古い言葉も残っている。これは島国という地形が幸いしたことだけではなく、佐渡の人々の気性、性格、自負心が大きく助けになり、語彙が生き残ったからではないかとも思っている。

しかし、このような佐渡弁の将来は、正直なところ、永遠に続くかどうかは疑わしい。
ここ佐渡でも、他の地区、より広く考えれぱ日本全体同様に、特別な方言の語彙は古臭い年寄りの言葉であるとされ、だんだんと消え行きつつある。
佐渡では50代以上の人には理解できても40代の人にはもう理解不能の語彙が多くある。また、理解できても既に日常では口にしない人も多い。さらに30代以下の人には全く理解されない語も多く、特に若者達の中には話の内容自体もさることながら、祖父母の言う言葉の部分部分、そしてそのニュアンスを、もはや理解できない者も多い。ひどい場合では会話できない状況すらある。つまり老若の間で言葉の伝統の断絶が起きているのだ。
仮に文化と言うものが伝統を基としているならば、伝統的な語藁の・消失傾向は伝統的な佐渡固有の文化の消失傾向を示しているわけで、また言葉の面から来る意思の疎通は伝統文化衰退を加速する一因にもなってきている、と私には考えられる。
言葉が消 えた時、その言葉を使っていた人々の文化が消えることは歴史が示している。
また、間接的な要因だと思われるが、特に戦後の学校教育の現場において、佐渡弁を使わないようにしようという動きがあって、佐渡弁自体を悪い言葉・汚い言葉と捉える甚だしい標準語至上主義者が溢れたことがあったそうで、それも佐渡弁消減化を助長することになったと考えられる。
最後に近頃の佐渡方言の傾向として気付くことは、佐渡島内の各地区で本来異なっていた語彙・アクセントの混濁・混合化である。以前、私の母方の祖父母の代までは、佐渡の各地区のみで生活していて、死ぬまで生まれ育った自分の村を出たことがない〈またはそれに近い)人がいたが、今や各戸が自動車を持ち、家によってはその家の人数より車の数が多い等の状況がある中で、そのような人は存在しなくなった。
仕事に関しても居住する村内のみではなく、他の地域へ出向いたり、また、特に国仲地区では他の地区の者と一緒の職場で働くことが普通で、その結果、微妙に異なっていた佐渡島内の各地区の方言が交ざり含って来ていると考えられる。(まだ強い地域文化を維持している地区には、地区性を持つ語句や用語も残っているが。)

ともあれ、現在平成八年の段階において、佐渡方言は消え行きつつも、県内の他地区より、まだ強く残っている。そのような社会的にも文化的にも、また、言語学的にも輿味深い情況の中にある『佐渡方言』をまとめた物は今の所なく、そのような点に留意しながら資科化ずることは有意義であると考えている。

この辞典的(?!)方言集をまとめるに際しては、まず何が佐渡方言か何が佐渡特有の言葉や語句か、と言うことに留意した。そのために、佐渡出身で長く島内で勤務なさっている内田先生と新潟出身で母方の実家が佐渡にある私で協議し選定し、アクセントについても加えて議論した。
またそれを通じ、佐渡弁でありながらそうとは思っていない語、つまり佐渡に生まれ育った人には標準語だと思われてしまっている語句・語彙が多くあるのが分かり、その点に気付くのにもこの共同作業は有効だった。また漂準語であると認められるものの、今日あまり使われることが少なくなってしまった語で今なお佐渡で良く使われる語句をも入れることとした。つまり、今の佐渡国仲地区で使われている佐渡弁を表すことを考えた。
語句の収集に関しては、まず初めに耳に入ってきた語句を集め確認作業をして行ったが、廣田先生の『佐渡方言辞典』の存在を知り、参考とし始めてからは、昭和の時代に廣田先生の記録された語句が平成のこの世にまだ生き残っているか、または異なる語として存在していないか、語句の音韻の変化はないか、そしてその他の語は無いか、と言う点に注意してまとめていき、完全なものに近付けようとした。
また、用例をできるだけ示し、そこの語句・例文のアクセントを、つまり強く言うところを、アンダーライン(ここでは紫紅色で示した)という形で示した(その点では、ストレスがあるところと考えられるかもしれない)。そして、地区性の有る語はその地区名をも記した。
なお、この辞典は『余技』で作られたものであり、まだまだ改定の余地があると思っており、その点、ご指導をお受けできたら幸いと思っている。

大久保 誠