成長物件3
成長物件3
さてこの物件のタイトルを「成長物件」にしようかなと思ったら,もう過去に2回ほど「成長物件」「成長物件2」とやっていながら忘れていて,まぁ10年近くやってるから他にもカブってるやつがあるかもしれないなぁ,あってもカンベンしてね,などと思ったりしたわけでした。それはともかく。
写真の物件であります。黄色い斜め正方形の標識は「○○に注意」という意味合いのものであろうと思われるわけですけれども,この物件の場合,何に注意するべきであるかという肝心の部分が失われてしまっているんでした。
それでも,この写真でもよく見るとかすかに痕跡があって,どうやらそれは二人の児童が並んで歩いている,通学路などでよく見られる標識であるようなんでした。言わば「児童に注意」の標識であります。
その児童が消えてしまったというのは,一体どういうことでありましょうか。もう児童に注意する必要がなくなったということなんでありましょうか。
と考えてみるに,子どもというのは成長するものなんでありますね。いつまでも児童ではない。こういった標識に守られずとも,自分で自分の身を守る術を身につけてゆくものなんでした。
ここに描かれていた二人の児童はもはや守られる必要のないほど成長し,標識から巣立っていったのかもしれないと,思ってみたりするわけでした。
そしてさらに年月を経ると,この標識にはリーゼント頭で木刀を持った二人の高校生のシルエットが浮かび上がるのかもしれないんでした。
それはさらに成長した二人の姿であって,「不良に注意」の標識になるのかもしれないんでした。
そしてまたさらに数十年の年月を経ると腰の曲がった老人二人のシルエットが浮かび上がり,「徘徊注意」の標識になったりするかもしれないでありますね。ならんか。
あるいは,少子化の影響でこの辺には子どもというのが全くいなくなってしまったのかもしれないでありますね。子どもがいなければ注意しなくてもいいわけであります。
実はこの標識はすごいハイテクであって,この辺のどこかのお宅でお産があったりすると,突然この標識に児童のシルエットが浮かび上がってくる仕掛けなのかもしれないんでした。しれなくないか。
しかし,久々にトマソンであるなぁ。「トマソン大図鑑 空の巻・赤瀬川原平編 ちくま文庫」の表紙になっている物件に近い感じのものであります。注意標識というのは消えやすいものなのか?
「成長標識」は新潟市(新津)・古田あたり。