ギターと私

石 田 光 憲  

 私が初めてギターを弾いたのは、中学2年生の時です。友人の家へ遊びに行ったら、友人のお姉さんがギターを持っていて、さわらせてもらったのでした。もちろんドレミが分かるはずもなかったのですが、適当におさえてはじいてみたら、音階になったので、「ギターって簡単ジャン」と思いました。
 それで、私もギターが欲しくなり、お小遣いやお年玉をためて買ったのが、8,500円のヤマハのガットギター。当時は、クラシックとかフォークとかの違いも分からず、楽器屋さんの言われたままに買ったのでした。そして、一緒に買った教則本の内容が、「さくら」とか「荒城の月」とかで、それはそれで弾けるようになると面白かったのですが、「ナンカ違うな」と思ったことも事実です。そんな時、よしだたくろうの「結婚しようよ」が大ヒット。フォークブームの到来となりました。私は、たくろうの歌を初めて聴いた時、「自分の求める音楽はこれだ」と体中に電撃が走った(!)のです。しかし、買ってしまったのがガットギター。すぐにフォークギターを買える筈もなく、でも、あの金属音にあこがれて、なんとガットギターにフォーク弦を張ったのです。ところが、弾いてみると、おさえる左手の指が痛いのなんのって…(泣)。そこで、カポタストを使い、弦高を低くして、コードをかき鳴らしていました。
 そうしているうちに、高校に入学。ギター部がありました。先輩の話だと「クラシックとフォークの両方をやる」とのこと。私は、もちろんフォークがやりたくて早速入部。ところが、いつまでたってもフォークはやらず、クラシックばかり。「話が違う」と思ったのですが、それでも辞めなかったのは、このサークルで、気の合った仲間と出会えたことと、先輩の「全てのギターの基本はクラシックである。クラシックギターを練習することは、他のギターを弾くのにも役に立つ」という言葉に、妙に納得したからです。ただ、先生や先輩から本格的に学ぶということはなく、みんなで楽しみながら、合奏や重奏をしていました。そして、家へ帰れば、2本目のギター、もちろんフォークギターで、たくろうやかぐや姫の曲を歌っていたのです。クラシックギターを習ったといえば、その頃、NHK教育テレビで、「ギターを弾こう(講師阿部保夫)」という番組があり、それで「アデリータ」や「涙」を覚えたものでした。
 大学に入った時は、ギター合奏も面白いと思っていたので、クラシックでも迷うことなくギター部に入部。実際は、ラテン系の曲を中心に、合奏をしていたのですが、このサークルの先輩には、大学卒業後、新堀芸術学院を経て、ギター教室の先生となった人もいます。ただ、私はここでも、本格的にギターを弾いたというより、大学生らしく(?)マージャンに熱中したり、当時流行のパブに入り浸ったりしたものでした。それでも、仲間と協力して、定期演奏会が開けましたし、楽しい大学生活でした。ちなみに、妻は、私が4年生の時、1年生で入部したのでした。
 大学を(ちょっと回り道して)卒業した後、私のギターに関係する活動は、2つありました。演奏者としての巻古典ギター同好会と、指導者としての東京学館新潟高等学校クラシックギター部です。
 巻古典ギター同好会は、根本先生のホームページで、「(旧)巻町を拠点に活躍。ベテラン揃いで質の高い演奏を披露」と、ありがたく紹介されています。活動の中心は合奏ですが、(私を除く?)メンバーのほとんどが、独奏でも質の高い演奏ができます。その中で「独奏をしない(する気がない)、フォークが好きだ」という私は、異端児(笑)でしょう。「ベテラン揃いで質の高い」となると、堅苦しいと思われるかもしれませんが、けっこう気さくなメンバーばかりです。こんな異端児でも、気楽に合奏に参加できますし、楽しいサークルだと思います。
 東京学館新潟高等学校は、私の大学卒業の年に新設された私立高校で、私は初年度に、数学科教員として採用されたのでした。新設校ですから、部活動もつくるところから出発です。そこで、嬉しいことに、「教員が責任をもって指導できる部をつくる」という方針になったのです。当然のことながら、ギター部をつくりたいと申し出ました。そして、クラシックよりフォーク系のギター部にしたかったのですが、ご年配の生徒指導の先生から、多分「クラシック以外のギターは不良が弾くもの」というイメージがあった(笑)からかもしれませんが、「ギター部をつくるならクラシック」と釘をさされてしまいました。とにかく東京学館新潟高等学校クラシックギター部が誕生し、部員6名でスタートしたのです。合奏を活動のメインとしました。ただ、スタートから数年間は、あまり部員も増えず、少人数でバッハの小品や、初心者用の合奏曲集に掲載されているポップスを演奏していました。正直なところ、高校生にとって、クラシックギターというと「暗い」というイメージがあるのか、盛り上がりに欠けていました。
 そこで、「どうしたら活気づくのか」と思考を巡らし、「まず曲だ」という結論に達しました。クラシックギターで合奏をする方針は変えないにしても、演奏したい曲を、部員に自由に選ばせてみたのです。その結果、当然のように、私の知らない当時流行しているロックやポップスを選んできました。もちろん合奏用譜面はありません。そこで、大学時代の先輩で、ギター教室の先生となった方に、編曲をお願いしました。さらに、クラシックギターの合奏が中心ならば、多少他の楽器を加えても良いだろうと考え、フォークギターやキーボードを加えてみました。それらが功を奏してか、活動にも活気が出てきたのです。そうしているうちに、平成5年、新潟県高等学校文化連盟に器楽・管弦楽部門が誕生し、県の初回発表会に出演することができました。その時の演奏曲は、「チャゲ&飛鳥メドレー」でした。
 学館ギター部は、県の発表会に、出演の回数を重ねるごとに、レベルは確実に上がっていったと思うのですが、器楽・管弦楽部門で、毎年のように全国大会に推薦されるのは、クラシックの正統派である新潟中央高等学校の管弦楽部でした。確かに流行のポップスに路線を変更したことで、活動に活気は出ましたが、私自身も「何かごまかしているかな」と思わないわけではなかったのです。学館ギター部の次のステップは、「正統派の分野での勝負」でした。しかし、まともにクラシックを演奏しても、80人の大オーケストラである新潟中央高等学校とは、音楽的にも迫力的にも勝負になりません。そこで「ギターの特性を活かすジャンルはないか」と思案したところ、「ジャズ」が閃きました。これなら人数の勝負ではなく、ギターの哀愁も活かせるだろうと。平成10年、私は、クラシックギター3パート編成の「サマータイム」「イン・ザ・ムード」を選曲しました。そして、「部員にステージ経験を積ませる」という目的で、初めて「ギターの夕べ」にも出演させてもらい、それが良い経験となって、11月に開催された県の発表会では、満足のいく演奏ができたと思います。その結果、翌平成11年、新潟中央高等学校と帝京長岡高等学校との合同(オーケストラにギターがハープのパートを弾くという編成で1ステージ)ではありますが、全国大会に初出演したのです。
 そして、次の目標は、全国大会単独出演でした。ここで、この時期に登場した2人の人物を紹介します。1人は、学館の小林岳史先生(音楽)です。最初は「ちょっとアドバイスを…」から、次に「ちょっと振ってよ」になって、今でも指揮をしてもらっています。もう1人は、根本先生のご子息の玲音君です。彼が学館に入学し、ギター部に入ったのです。もちろん技術力は顧問より上(笑)。「この2人をどうしたら活かせるか。活かす曲は何か」と、これも思案をした結果、石田忠編曲の「マラゲーニャ」を選びました。この曲は、強弱・緩急の差が激しく、重要なソロパートがあります。小林先生の繊細かつダイナミックな指揮と玲音君の素晴らしいソロ。そして、部員全員が一丸となって演奏した結果、県の発表会でも高い評価を受け、平成14年、念願の全国大会単独出演(新潟県だけ特例で、新潟中央高等学校と学館の2ステージ)を果たしたのです。
 このように、学館ギター部の歴史を振り返ると、私はギターの指導者というより、プロデュサー的な顧問でした。それは、私の技術指導力に不足している点があるからかもしれませんが、それだけではなく、「現状を把握し、何ができるかを考え、最高を目指す」ことは、顧問として、大切なことであり、やり甲斐のある仕事だと思うからです。そして、そう思うのは、素晴らしい部員たちがいたからでしょう。全国大会に出演できたのは、部員たちの努力の成果です。出演できなかった年代も、その時の部員が、頑張って繋いでくれたからこそ、全国への道が開けたのです。どの年代も、その時のベストを尽くしてくれました。そんな部員たちと出会えたことは、本当に幸せだと思っています。
 さて、私のギター人生の中で、最も衝撃的な出会いは、根本隆司先生と出会ったことかもしれません。ご子息が卒業した後、学館ギター部の講師としてお招きしました。合奏のアドバイスをお願いしているのですが、いつも的確なご指導を頂いています。ある日、根本先生から、私の奏法について、指の形も含め、いくつも改善すべき点があると、ご指摘があったのです。確かに、私は、先生に師事したことはありません。でも、今までに何十回もステージで演奏してきました。また、いくら技術不足の顧問だとしても、全国大会に出演しているギター部の顧問です。ある程度は「一丁前にやって来た」という自負がありました。それが「指の形が悪い」と言われたのです。ショックでした。「今まで私がやってきたことは、いったい何だったのだろう」と。しかし、根本先生のお話を聞けば聞くほど、「こうすれば確実に弾ける」という理論的な奏法に、引き込まれていったことも事実です。「難しいと思っていたフレーズが、楽に弾ける」という驚き。そうなると「今まで分からなかったギターの楽しさ」を知ることもできたのです。そして、その楽しさが、ショックを大きく上回りました。
 昨年、私は、学館ギター部とは別に、根本ギター教室に個人として入会しました。「今までやってきたこと」というのではなく、「新しく始めたこと」として、クラシックギターを習いたいと思ったからです。「ギターって簡単ジャン」と思ってから35年。今やっと心から「ギターって面白いジャン」と思っています。独奏も大いにやりたいと思っています。そして、根本先生や教室の皆さんとの交流を本当に楽しく思っています。(気持ちは)初心者の石田です。みなさん、これからもよろしくお願いいたします。


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