「非在の響き」を求めて 2月 ウトロにて

橘 川 恭 則  

 新潟での今年の演奏会にはバッハのシャコンヌを弾こうと昨年秋から練習を開始しました。練習が進む程に自分の心の中に在る音と現実に出てくる音との隔たりは深くなるばかり、バッハが作曲した所に行って、自然の中に身を置き、心を澄まし、シャコンヌの音を自分なりに聴きたくなりました。
 そんな時フッと思いつきました。最初の出だしの音は流氷に覆われたオホーツクの夕暮れの中に聴き出すことが出来るのではないかと…。
 2月18日矢も楯もたまらず、廻りの心配も顧みず、一人ギターを持って北海道への旅へと出掛けました。

  1999/2/20 PM2:30

 今、知床半島の小さな港町、ウトロにいます。
 海も空も大地も銀色に輝やき、その光が新しく生まれ出る生命に躍動の賛歌を歌ってます。オホーツクの流氷に向い、只、そっと吐息を漏らすのみです。

  2/20 PM10:00

 天と地、天と海とが夕闇に溶け合うと、ウトロの自然は確かなリズムを小気味好いテンポで刻み始めました。
 限り無く静かです。

  2/21

 朝ウトロ発9時5分のバスで知床自然センターへ行きました。
 朝陽に輝く真綿の様な粉雪をクックッと踏み鳴らし、次の目的地、知床自然村へ行きました。本道から逸れ、急な坂道を500m程登ると源泉の豊かに湧き出る素朴な露天風呂に着きました。高台に位置するこの湯は目の前にオホーツクを眺める事が出来、湯煙りの中に身を沈めてると、これも人生の忘れ難い一コマと思いました。
 64年4ヶ月この世に生を受け過して来ましたが、これ程の感動は初めてです。きっと道々遭った蝦夷鹿や北キツネ達が一層の喜こびを与えてくれたのかも知れません。
 ウトロは私のような凡人にも詩人?の心を与えてくれる所です。
 出る時、万歩計を着けて出掛けました。普段は家の中をチョロチョロ、時々台所に入ったりしてせいぜい1,000歩位かなと思っている私は宿に戻り計測器を見たら、14,836歩と出てました。さすがにふくらはぎや股が痛くなりました。宿の人に云ったら私達だってそんなに歩くことは無いと云われてしまいました。

 バッハの音を求めての今回の旅でしたが、想像に反し冬のオホーツクは、明るく輝かしく華やかな音に満ちていました。大自然の奏でる音がモーツァルトの音楽に最も近く感じられました。この次は晩秋のオホーツクを旅してみようと思ってます。自然の奏でる音楽に感動と畏怖心を抱き帰途に着きました。

  ☆「非在の響き」について。

 この言葉は音楽美学者故土田貞夫先生の著作の一つにつけられたタイトルです。ある日先生は私に「宮沢賢治が海辺に座っていると波が素晴らしい音を運んでくれる。波打際に入ってその音を掴もうとすると言葉は逃げて行ってしまう。」と話された事があります。先生との三十年近いお付合いが、私の自然感をこの様に育んでくれた事と思ってます。


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