私の理念        
 ふれあいこそ音楽の生命
 
(かしこまってパチパチでは…)

橘 川 恭 則  

 昨年は5月から信州を中心に、東京を交えて八回のギター演奏会を持ちました。

 かねがね思うのですが、ギター演奏会というと、奏者はステージに立ち、聴衆は客席にいて、一曲終わるごとにパチパチと拍手。ほとんどギターを聴いたことのない人も、それにつられて拍手。最後の演奏が終わって花束贈呈、続いてアンコールがすむまで、硬い表情のまま、パチパチ。「聴きなれない人は疲れてしまうんじゃないかな」と、こちらが心配になります。

 昨年、一回目の演奏は、信州・富士見高原の音楽愛好家の家。地方では、ギターの生演奏を聴く機会があまりないことを考えて、ちょっと工夫をしてみました。

 実質弾き続けで一時間くらいの曲を用意し、聴く人には、その中の数曲を前持ってお知らせしておく。そして、その場の雰囲気によって演奏する曲を決め、曲の解説や、その曲にまつわるエピソードなどをお話し、聴いている人と会話もまじえながら、会を進めました。皆さんのとてものびやかな明るい顔が、いつまでも印象に残っています。

 二回目は、花場という地区の公民館。新緑の季節で、閉め切った窓からもにぎやかなカエルの声がきこえてきました。でも、それはじゃまになるどころか、かえって演奏を生き生きとさせてくれたのです。三回目は八ヶ岳ヒルサイドホテル。四回目は、紅葉の上高地でした。

 いずれも、ステージからおりて、聴く人の輪の中で演奏しました。そうした和やかなふれ合いの中でこそ、音楽は限りない生命を与えられるのだなあ、とつくづく感じさせられたのです。

 クラシックギターは、あまり大きくない部屋で演奏したとき、その価値を最高に発揮する、という私なりの信念が、このような演奏スタイルを生み出しました。

 生きとし生けるもの、皆、音楽を楽しむ《権利》を持っているはずです。私なりの会が、これからも持ち続けられたら、ギタリスト冥利に尽きる、と思っています。

(ギタリスト=相模原市在住)
1986年1月 華沙里通信掲載


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