分別物件

分別物件



 毎回書くことではありますけれども,ゴミ集積所というのはハリガミの宝庫であります。言わんとしていることはほぼ同じでスペースも限られているにもかかわらず,その表現方法は尽きることが無いんでした。

 それはあたかも,オチの決められている4コマ漫画を色々な作家に書いてもらうようなものでありますね。あるいは,必ず結末は同じになる水戸黄門の脚本を書くようなものでありましょうか。そうでもないか。

 というところで,ようやく上の物件。
「分別はまちがえてないかな!!」
 と,大きな声でさわやかに問い掛けられているんでした。体育教師というか,体操のお兄さんに問い掛けられているようなイメージであります。

 問い掛けられているわりには「?」が無く「!!」と決め付け口調でありますけれども,体育会系口調というのはそういうものであるような気がするんでした。

 これが手書きのカンバンだったとすると,またちょっと感じが違うような気もするですね。
 このカンバンの場合,手書きでないが故に無機的事務的表面的なさわやかさが垣間見られ,より一層「体操のお兄さん」的な風情が感じられるんではないかと思われるんでした。
 いつもさわやかな体操のお兄さんだって,プライベートでは色々とドロドロしたものを抱えていたりするのだろうし。


 こちらは,口に出す前にあれこれと色々考えてしまう,文化系的な香りのする手書きのカンバンであります。
「ゴミはきちんと分別して出して下さい。必ず!!」
ということなわけですけれども,「分別」と「して」の間に微妙な空白があるのがちょっと気になるところであります。

「んー。ゴミはきちんと分別…『しなさい!』かなぁ。『するように!』がいいかなぁ。『せよ!』なんていうのもカッコイイかな。へへ。
 …でも,あんまり強気に出ると文句言われるかなぁ。『してね』だとなめられそうだしなぁ。『してちょうだい!』じゃふざけてるみたいだしなぁ。
 いっそのこと『してちょんまげぇ〜』ってのは…あ〜,だめだだめだそんなんじゃあ!
 …まぁ,無難に『分別して出して下さい』…かな。スラスラ…っと。
 …ちょっと弱かったかなぁ。強気に出たほうがよかったかなぁ。でももう書いちゃったしなぁ…。
 んー,最後に『必ず!!』ってつけとけば強気に見えるかな。…まぁ,もう…いいや。これで。」

 と,いうような経緯だったかどうかは知りませんけれども,色々あれこれと考えていそうであるなぁ…と感じてしまったわけでした。

 まぁ,いらんことをあれこれムダに考えているのは私の方かもしれませんが。


「ここは燃いるごみの場所です。 分別ごみは守って出しませう。」

 むぅ。「燃いるごみ」もさることながら,ここはやはり「出しませう」でありますね。明治生まれもだいぶ少なくなってきている今,まだこの書き方にお目にかかれるとは。

 レトロを狙ってわざとこういう書き方をするのは目にすることもありますけれども,この物件の場合はそういうわざとらしさが感じられないんでありますね。「燃いる」もそうですけれども,もう身についたものがでてきてしまっている感じなんでした。

 新潟人としての「燃いる」と年寄りとしての「出しませう」。この二つを達者な筆致で表わし「新潟の年寄りも元気です」ということを自然にアピールするあたり,このカンバン作者はなかなかのテダレであります。

 で,このカンバンのうしろにはもうひとつカンバンがあって,これに見覚えのある方はかなりの「ご近所路上観察ファイル」通であります。うれしくないかもしれませんがそれはともかく。
 これは以前「からす物件」で登場しているカンバンであって,今回の物件と同一作者のものと思われるんでした。それが今はどうなっているのかというと,


 こうなっているんでした。前の物件当時から割れていたカンバンでありますけれども,それが修復されたようでありますね。が,しかし。

 よく見ると,なんだかヘンであります。特に一番上が「い。お願」となっていて,どうやら左右逆に張り合わされてしまったようなんでした。

 むぅ。達者なようでいても,やはり寄る年波には勝てないのか。テープを張るときに気づかなかったのか。あるいは,これはあえて左右逆にすることによって「きちんと分別をつけないといけません」ということを訴えていたりするんでありましょうか。
 なにはともあれ,これからも我々をうならせる作品をお願いしたいものであります。

「いるかな!!」は新潟市東区・中山8あたり。
「必ず!!」は新潟市中央区・弁天3あたり。
「出しませう」「い。お願」は新潟市中央区・天明町あたり。