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☆☆☆ 話  題 ☆☆☆43/01.01

中国の仏教は、それはそれは大きなものです。
あらゆる可能性を秘めて、それは深く蓄えられています。
たとえば五台山で、仏教について何かを質問します。
素晴らしい答えが返ってくるはずです。
なのに日本の宗派で、仏教について応える玄関が幾つあるのでしょうか。
中国から見れば、日本の仏教などは、枝葉末節なのかもしれません。
そういう中国仏教の積み重ねは、どういうわけか浄土教はあるものの他力の見解は寂しいものです。
曇鸞・道綽・善導の三師の業績は、決して確実に伝承されていないのです。
玄中寺も香積寺も、中国仏教の厚みの中に隠されてしまっています。
玄中寺が存在して、そこから重大な仏道が語られたという事実は、中国の大切な資産なのです。
文字の国ですから、論註でも安楽集でも観経疏でも、しっかりと読めるはずです。
それらかきちんと学ばれたなら、中国の仏教全体が変わるでしょう。
いいえ、それだけではなくて、世界の仏教全体が変わるはずです。
現在中国の人口は13億人と言われていますが、わずかな人々の仏道ではなく全人口が尋ねるなら…、
それこそ人類の視界は一挙に開けるほどではないでしょうか。
五台山は、冬の厳しい季節にあるはずです。
やがて来る春に、本当に温かい偉大な仏道が確保されていたらと思います。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆44/01.02

如月と書いて「きさらぎ」、二月の寒さはことのほかです。
新潟に白鳥の夥しい群れが暮らしています。
小さな寺ですが、私の住む軒先をかすめるようにして彼らが飛びます。
インドでは「ハンサ」という言葉が、白鳥を意味しています。
「身の毛いよだつ」という言葉がありますが、信心を感じ取った瞬間に人は時空を超えます。
その「身の毛いよだつ」という表現のもとは、白鳥の肌のようだという言い方が使われています。
釈尊の覚りも・七祖たちの覚醒も・私たちの人間性の回復にも、大きな変動があります。
大地が振動するという表現もあります。
三千大千世界を挙げる、という言い方も同じものを指しているのでしょう。
しかるに、私たちの智慧の信心ですが、それはあくまでも瞬間のものなのです。
信心は、確かに私たちに開かれますが、それを所有することは許されないのです。
私たちの所有することを許さない智慧が、瞬間に私たちをとらえるのです。
信心は、誰にでも開かれるのですが、それは人類みんなの共有財産なのでしょう。
白鳥が飛び、鴨が夜に騒ぐ。
そんな新潟の空に、遥かな生命全体へ響く念仏・念法・念サンガの響きがあります。
釈尊が悟られた智慧の世界は、やがてサンガみんなの共有する涅槃という世界に展開されました。
その涅槃が、大乗では「大般涅槃」と呼ばれます。
親鸞聖人は、「無量光明土」であり「大般涅槃を超証する」と言われました。
それが、阿彌陀仏の展開される、本願荘厳のサンガ世界なのではないでしょうか。
総ての生命に対応して、本願の世界は開かれました。
寒い冬も、次第に春を待つ時に移行してゆきます。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆45/01.03
妹尾河童さんの、「河童が覗いたインド」が好きです。
ナーガルジュナコンダに行くには、ハイデラバードからバスで往復します。
そのハイデラバードの町が、とても変わった町だと、河童さんは描いています。
大きな石の塊で、町は不思議な景観を示しているというのです。
なのに、私たちはそれを見る時間がありませんでした。
片道4時間ほど、永い道のりでナーガルジュナコンダに到達するのです。
夜明け前に出発して、夜更けてホテル到着でした。
けれども、龍樹菩薩が暮らされたかもしれないナーガルジュナコンダは、
実に感慨深いものがありました。
下の写真は、その情景の一つなのですが、豊かな南国の仏教の一端が分かるでしょう。
龍樹は、多分年齢超過なものですから、大乗のサンガにしか入れなかったのではないでしょうか。
しかしながら晩年の龍樹は、無量寿経をはじめとする経典によって…、
称名念仏の人として生きたもののようです。
大乗の論師としての龍樹は偉大ですが、一念仏者としての龍樹こそ万人の龍樹です。
「十住毘婆沙論」を書いた龍樹は、我々と根拠をともにするブッダのサンガだったのでしょう。
今度ハイデラバードに行くときは、一日の猶予をもって町を眺めたいなと思います。
そして龍樹が生きた時代のインドを、追憶したいと考えています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆46/01.04
最近はどうも中国に関心が高いのですが、皆さんはどうでしょうか。
私にとって、たとえば五台山ですが、再度訪ねたいと思ってまいす。
曇鸞大師や道綽禅師の学ばれた五台山は、やはり魅力に満ちています。
大きいし、その歴史はさすがに古いものです。
ただ、五台山には一つ大切な学びが欠落しています。
玄中寺にあったものが、五台山にも広く中国の仏教のどこにもないのです。
その欠けているものが、サンガについての正しい理解なのです。
サンガは、他力の仏道によって開かれるものなのではないでしょうか。
曇鸞大師は、インドでは常識であった他力を、中国では強く叫ぶ必要があると思われました。
それが論註をお書きになった大切な理由だと思われます。
五台山から玄中寺は、実に近い距離(200キロ)にあるのですが。
そして長安の光明寺と、玄奘三蔵の大慈恩寺も極めて近いところ(1600メートル)にあるのですが。
善導大師にはサンガが開かれていたのに、玄奘三蔵の周辺にはそれが見られないように思われます。
ですから中国の浄土教は、沢山その姿を見せているのですが、全部学問の対象で終わっています。
12億人の住む中国で、一握りの人だけの学問追求でよいのかと気になります。
玄中寺が栄えた理由は、平等に人間の尊厳が確立されていたからではないでしょうか。
そしてそのサンガは、今もその光を放ち続けているように思われます。
阿弥陀仏に帰依して、共に大きなサンガ世界を生きるのです。
玄中寺を語るには、それと違う中国全土の仏教を見れば分かるという皮肉な結果があります。
曇鸞・道綽・善導の三師のサンガは、海を越えて日本の法然・親鸞を包みました。
道綽・善導のお二人がなくなられて、500年もの歴史が流れていたというのにです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆47/01.05
神様と言う言葉は上様(かみさま)から来ていると聞いたことがあります。
髪の毛も、「かみ」の毛から来ています。
上位自我という言葉がありますが、「かみ」は人々の上位自我なのではないでしょうか。
日本の神々は八百万(やおよろず)などと呼ばれますが、整理すると二つほどです。
自然の神格化されたものとしての「あまつかみ」と、人間などの生き物の神格化されたものです。
生き物の神格化は、英雄もありますが、多くはたたり神なのです。
「もののけ」というのもそれですが、「くにつかみ」と大きく呼ばれています。
「あまつかみ」と「くにつかみ」は、何故か人々に君臨しています。
そしてそれは、常に人々の脅威のまとになるのです。
えてしてそれらは「触らぬ神に祟りなし」と言われるのですが、怖い存在なのです。
菅原道真という人は、今では文化的な神様であるように見えますが、はたしてそうなのでしょうか。
罰を当てるという考えは、みんなこういう神々の悲しい業なのです。
菅原天神様も明神様(平将門)は、最初から祟り神でした。
天神様として封じ込められた神様だったことは、周知のことでしょう。
こういう日本の神々は、八百万もあって、人々を威嚇しているということです。
天皇家が太陽神の末裔だということも、怖い物語ではないですか。
自然神も、日本人には脅威であっても決して権威ではありません。
むしろ、アポロ(ギリシャの太陽)やスーリヤ(インドの太陽)などの方が面白く感じられます。
対するに旧約聖書(ユダヤ民族)などの神は、もっと基本が大きなものてす。
ここで言われる神は、我々の認識を絶対的に超えたものなのてす。
日本の神々が怖い脅威であるのに対して、大きく人間存在を見つめる神もあるのです。
「神のみわざ」とキリスト教では言いますが、「真実の行」ということも併せて考えたいことです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆48/01.06
六輝の説というものがありますが、奇妙なものですね。
遠い中国の思いつきが、現代の日本を未だに顕著に揺すぶっていす。
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六つですが…。
おなじみでしょう、困ることか多い生活習慣なっていますから。
日によしあしがある筈がないのですが、明らかに人々はおびえています。
結婚式では大安を選択し、葬式では友引を忌み嫌います。
何かがあるとでもいうように、人々は吉良日を選んで戦々恐々としています。
中国の人までが、「変な風習ですよね」と言うのてすら始末か悪いことです。
ところが、現在言われているこれらの六つの名前にも変遷がありました。
例えば友引ですが、一番古くは流れ連なると言う意味の流連でした。
それが中古と言いますから、豊臣秀吉たちの時代には留連だったと言います。
そのもとの意味は、物事が持続するということだったようです。
ところか、この留連のルビが「いういん」という間違いのままに通用していたようです。
そして「いういん」という呼び方ならと、「友引」という文字で示すようになったのです。
おそらくそれはそんに早くはなく、明治の中頃ではなかったでしょうか。
ですから、「ともびき」などという日は、初めからないのてす。
あるとすれば、「いういん」という日があるというべきなのです。
そういう経緯もなしに、人々は友引という日を恐れます。
愚かしいままに、日本人はそれで充分物知りの心積もりでいるのです。
こんな落とし穴から抜け出すにも、実は大変な時間が必要です。
実に困った現象ですが、実に情けないことではないですか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆49/01.07
これで私のページも四年目に入ります。
まさに馬齢ですが、69才を迎えました。
パソコンを手にしてから、一年ほどでインターネットの時代に入りました。
それがマックだったから、私はインターネットが出来たと思っています。
最近は必用でウインドウズも使用するのですが、マックの方が私にふさわしいようです。
インドや中国を旅していても、ホームページのことばかり考えていたようです。
最近は、いろんな方々のメールを読ませてもらっています。
毎日書かれる人もおられますが、たまにびっくりするようなメールが届くときもあります。
なのにちょっと不満なのは、大谷派の方からのメールが極端に少ないということです。
本派の方が、随分早くから私のページを読んで下さっているのには驚きました。
更には真言宗の方や、浄土宗の方からも励ましをうけたりしています。
かなり勝手なページですが、書き続けたものを読み返してみると…、
これでも一貫してサンガが語られていることに満足しています。
浄土とは、共に生きる人々の明るいサンガ世界だと思います。
浄土真宗を語る人たちの法話を聞いて、その浄土が不鮮明なのには驚きます。
私たちの永い歴史は、巨大なサンガ世界につつまれているのではないでしょうか。
阿弥陀仏の世界は、人類だけではなくて、あらゆる生命をつつむもののようです。
「大悲無嫌常照我」という世界であり、「倶会一處」という世界なのでしょう。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆50/01.08.
夏には負けるという言葉がつきますが、冬負けという言葉はありません。
それだけに、どうも夏の方が体力に響くものなかもしれません。
インドでは5月が一番暑いといわれていますが、2.500年前のブッダ達はどうだったのでしょうか。
ナーランダの廃虚に行くと、冬でも汗が出ます。
近いところでは玄奘三蔵が学ばれた所ですが、舎利弗や目連の生まれた村でした。
釈尊よりは年配だったかもしれないこの二人は、その晩年は村に帰って相次いで没しています。
仏典は、不思議なことを書いています。
その頃まで、まだ舎利弗の母が生きていたというのです。
大変な長命だったことになりますが、この母からは実にたくさんな仏弟子が生まれています。
それに叔父や甥や従兄弟たちが、舎利弗に従って出家しています。
有名な「大膝」という名の人は、多分舎利弗の叔父さんだったようです。
舎利弗は母に先立って亡くなりましたが、その時には大勢の同胞がいたと思われます。
けれども目連の場合は、悲劇的だったと伝えられています。
舎利弗が亡くなって、虚をついたように、目連は外道たちに打たれて死にます。
論争に破れた外道たちの中で、「就杖梵士」と呼ばれるグループに報復されたと言われています。
釈尊の晩年には、相次いで重大な事件が発生していました。
王舎城の悲劇に舎衛城の悲劇、カピラバッツの滅亡。
そして一双の上首と呼ばれた二人の長老の死も、釈尊には悲痛な思いがあったのでないでしょうか。
けれども、釈尊には大きなサンガが見つめられていました。
みんなが輝いていて、みんなが大きな世界を見つめあっていました。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆51/01.09.
月をめでるシーズンですよね。
阿闍世王が煩悶して、病人のようであったのも月の美しいシーズンんだったのではないてしょうか。
王舎城のどこかですが、竹林精舎か霊鷲山のどちらかではなかったのでしょうか。
ブッダは、じっと阿闍世を待っておられたといいます。
煌々とした月の夜は、名状しがたいくらいに幻影的なものです。
ジーバカが辛抱強く頑張って、阿闍世と一緒に一頭の象に乗ってブッダを訪ねます。
涅槃経の有名な物語ですし、教行信証の信巻にも引用されています。
月の光の中で、阿闍世は次第にブッダの教えの奥義に触れてゆきます。
慚愧する阿闍世の心に、ジーバカは大きな賛辞をおくります。
慚愧する人には、基本的な人間の回復があるというのです。
阿闍世に見えてきたもの、それはブッダの生命の尊厳でした。
デーバダッタの人間性に比べて、それは鮮やかに見えたはずです。
月光がもたらす幻想的な風光の中で、阿闍世は回心してゆきます。
母の韋提希の懸命な働きで、マガダ国は何とか体面を保っていました。
阿闍世のクーデターでは、本当はもっと沢山の血が流されたはずです。
観経や涅槃経の文面ではとらえられないもの、最後の王子であった阿闍世、
彼のクーデターには、多くの王子たちが邪魔だったはずですから。
韋提希が王子を欲しがったのも、第一夫人や第二夫人には既に王子たちがいたからなのでした。
月の光の中で、一人の暴虐の太子が回心して、マガダの国は大きく矯正されました。
それから2500年、満月は何回現れたことでしょうか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆52/01.10.
インドの大地に、私たちは永い郷愁を持っています。
なのに、そのインドで核実験が…。
私たちのインドは、漠然と広くパキスタンもアフガニスタンも含めたもののようです。
今は分断されて、イスラムとヒンズーという二つの宗教でもめています。
けれども、3.000年にも及ぶ文化の伝承は、インドを世界の中心に据えたものでした。
そのインドの人々は、大地にその尊い営みを刻みました。
ガンダーラ・マトゥラを初めとするインドの仏像やストゥーパ。
七世紀に訪れた玄奘三蔵は、涙して大きなブッダの像にひれ伏したと記しています。
バーミアンの二つの大仏、それを破壊したのはそれを作りだした人たちの子孫なのでしょう。
悲しい、ほんとうに悲しいできごとではないですか。
彼らのヒロイズムは、自らの祖父母の営みを汚すものでしかなかったのです。
永い歴史を破壊した罪は、いきなりは来ないもの、永い歴史が裁きます。
世界に誇れるブッダとその仏像を、「あれは単なる岩だ」と言明したのだそうです。
なら、聞きたいことがあります。
『貴女たちのモスクも、つまらない石ころではないのですか」と。
世界の良識は、モスクを壊したりはしません。
つまらない戦争と、そこにうごめくだけのヒロイズム。
そんな矮小化された、実に悲しい精神を世界中が痛んでいます。
壊されたブッダ、抹殺された仏像。
けれども仏教そのものは、決して遜色をうけたりはしていません。
むしろ彼らタリバーンたちをも包むだけの、そういう偉大な教えなのですから。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆53/01.11
願以此功徳 平等施一切」という言葉が7世紀の善導大師にあります。
幾つもの宗派に用いられている、極めて有名な回向文で。
平等」という言葉が、長い歴史を保持していると言えます。
仏教は、実は人間の尊厳としてすべてが平等だという教えでもありました。
善導大師は、こういう平等を体現されてました。
その淵源は、遥かに大無量寿経であり、龍樹・世親以来の伝承なのです。
現在の日本語では、平等という概念は、おそらくフランス革命以来のことでしょう。
1789年の革命で、初めて民衆の国家が生まれましたが、
その時に確立した国家成立の概念が、自由・平等・博愛でした。
翻って「平等」ということばですが、私たちの現実の世界に平等はありません。
理念としては、大切な言葉なのですが…。
曇鸞大師には、「平等覚」とか「平等力」という表現があります。
それは、世間の中で平等を言うのではなくて、存在自体から言われる平等なのです。
つまり人間の尊厳に覚めて、その存在の基点としてすべてが平等だというのです。
これはいわば「覚りの平等」であり、「信心の智慧の平等」なのです。
人は、誰もが真実の平等を探し続けているのではないでしょうか。
近代国家も、現代のホモサピエンスも、みんなが求めている平等。
そういう平等を、仏教は語り続けてきています。
改めてこの文字一つに懸けられている、如来の心に想いを馳せたいものです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆54/01.12
年が変わりますが、時間には変りはありません。
それは悠久の時の一環なのですから。
年末に除夜の鐘を撞いて、年始に神様にお参り。
そういうことが、日本の宗教のレベルを一気に最低限に引き落としています。
仏教は影を潜め、世俗の迷信が人々を走らせます。
本当の世界性を持つ宗教というものは、
1.公開されていて秘密がなく、
2.長い歴史を保持していて、
3.民族の狭い壁を突き破ったものです。

仏教もそういう宗教なのだと、改めてその文化価値を見直してほしいものです。
「南無阿弥陀仏」という称名は、世俗から立ち上がって人間存在の真実を求めるサインです。
ただ一度人間として生きる、その千載一遇の深い意義を噛みしめたいものです。
誰もが42億年の生命の歴史の、その最先端を生きています。
悠久の生命の持つ、生きるということの深い感動を大切にしたいものです。
誰もに平等であって、常に新しい生命感動があるはずです。
世俗に生きるものの、世俗を超えた存在意義を真宗は語っています。
無量寿経という経典には、すべての生命との交流が願われています。
 だからそのブッダの名前は、無量寿仏なのです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆55/02.01
お目出度うございます、と素直に言えないということは辛いことです。
人間の世界は、全人類を挙げて担い直さなければならないのではないでしょうか。
懴悔とも言いますし、慚愧という痛みもあります。
現在の状況は、世俗の馴れ合いではもう解決はないと判断されます。
国連にも働いてもらいたいものの、本質的には人間自体が出直さなければならないのではないでしょうか。
釈尊がその晩年、自分の故郷であるカピラバストが絶滅される事態に直面されたといいます。
ほかならない釈尊の従兄弟マハーナーマンが、その時にはカピラバストの王でした。
そのマハーナーマンの側室の娘が、隣の大国コーサラ国のパセナデー大王に嫁ぎました。
名前はバーサバカッティアと言いました。
この女性が生んだ王子の名前は、ビドゥーダバと言いました。
大国コーサラの、最後の王子だと思われます。
有名なジェータ(祇樹給孤独の祇樹)太子の弟です。
このビドゥーダバがクーデターをおこして、王位を簒奪します。
そして、あろうことか自分の祖父の国であるカピラバストを攻撃するのです。
そのことを釈尊は三度までとどめられたと言われています。
有名な「仏の顔も三度」とか、「親族の影涼し」という言葉がありました。
四度目には、釈尊はビドウダバの出陣を阻止されずに、黙って見送られたと伝えられています。
痛い、実に痛ましいことなのですが…、
釈尊は自らの身をも含めて大きな懴悔を捧げられたのでないでしょうか。
忍びがたいことなのですが、体面にこだわらず真実の智慧にゆだねる…。
宗教を学ぶなら、大切な姿勢ではないでしょうか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆56/02.02
曽我量深という先生を思いだします。
明治8年のお生まれでしたが、96才までの生命を輝かされました。
私たちの父達が教えを受けた先生なのですが、縁あって私たちも親しく教えて頂いたものです。
ほとんど一年をかけて、九州から北海道まで法話の旅をされました。
東京では年に二度、きちんとおいでになってお話をされたものでした。
曽我先生の還暦記念に、「親鸞の仏教史観」が語られます。
ここに先生の総てがありますが、それは1935年のことでした。
曽我先生が生きられた仏教世界は、生命の歴史を貫くサンガ世界でした。
そして、語られた深い思索は、世界の思想を切り開いてみせる程のものでした。
安田理深先生は、「時期を画する人」と言われていますが…、
それは実に、世界の思想のより深い進展開発を見せるものだったのです。
先生の周辺には、いつも明るい輝きがありました。
先生が輝いて、その周辺が明るくなっていたのです。
その輝きは、遥かなインドのブッダや龍樹・世親に繋がります。
そして、法然・親鸞たちと同じ生命感動が流れていました。
歴史を貫くサンガの輝きを、曽我先生は享けておられたのです。
仏道は、ブッダから始まったのではなくて、ブッダを生む母胎があるのだと教えられました。
それは我々皆に共通する、生命の古い過去からの叫びの歴史なのかもしれません。
理性や文明でしか見えない人間の、その本来の根拠は生命の永遠の歴史に根差しているというのです。
曽我先生の生命感動は、誰にでも響きました。
ブッダも龍樹も世親も、人間存在の果てしのない尊厳から語りました。
みんな同じ生命感動が横溢しています。
曽我先生から、私たちはそういう生命の輝きを教えられました。
おなじ生命感動の世界へ、共に生まれることも自然に学ぶことができたのでした。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆57/02.03
インドが戦争体制の中にいます。
核爆弾も保有していて、ケタ違いの危険をはらんでいます。
今日インドはパキスタンと別れていますが、私たちにとってこの二国をあわせて精神の故郷です。
シルクロードを行き来して、インドの精神は東西に響いたものでした。
法顕が歩いた道、それを玄奘もたどりました。
日本人としては、おそらく金剛三昧という人が最初ではないでしょうか。
玄奘から遅れて一世紀くらいでしょうか、ナーランダでその玄奘の遺品を見たと言っています。
7世紀に玄奘がインドを訪ね、金剛三昧は8世紀に当時の長安の文化人に知られていました。
ナーランダで学んだはずですから、おそらく唯識関係に通じていたのかも知れません。
彼らが学び、精神を鼓舞して豊かに生きる、そういう智慧をインドは供給していたのです。
玄奘が感泣したバーミヤンの大仏、金剛三昧も見たはずです。
あのインドの人々は、今では精神的には零落してしまったのでしょうか。
パキスタンとかファがニスタン、そしてインドが戦火を交えています。
問題はカシミール地方の帰属問題からだと言いますが、果たしてそうなのでょうか。
問題は、彼らの古代からのインドの精神が枯渇したからではないでしょうか。
国境だとか宗教の違いなどというものは、生命存在には意味のないことです。
人が一人でも輝くこと、そのことをブッダが語られて、人々は共通の理想を持っていたものでした。
人一人の存在の意味よりも大きなものはありません。
国家などは、ちっとも重さを持たないものとさえ言いたいことです。
玄奘も金剛三昧も、光を求めてたどったインドでした。
そして輝いて帰って来たのです。
あの当時、無謀な国家はなく、人間の世界が豊かに広がっていたはずです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆58/02.04
先日、あるお方からメールを頂戴しました。
ウッパラバンナーについて調べたい、ということでした。
参考になる適当な著述を知らないものですから、探す手がかりになる辞典を紹介しました。
赤沼智善先生の『印度固有名詞辞典」です。
この辞典で、たとえばウッパラバンナーをひくと、およそ20ほどの関連経典が挙げられています。
ウッパラバンナーは、灯火を見つめていると、自然に覚りがひらかれたと言われています。
覚りとは、難しいことではなくて、人間が人間の存在事実を引き受けることなのです。
ただ、自分の努力程度では決して開かれることは出来ません。
が、真実の道理に照らして、人間の猥小な努力が働かない状況では、
真実の存在性が、自らを露にしてくるのです。
ウッパラバンナーは、ブッダの教説を聞いていましたし、灯火を見つめてふんわりとしていました。
自力我慢が無力だったのでしょう、ブッダの道理のままに自分の生存の総てを引き受けました。
覚られた覚りは、六つの神通で示されます。
ウッパラバンナーは、今までの苦痛を乗り越えて「悪魔よ」と呼びかけます。
「お前の正体が分かった」と言い、自らが落込んでいた精神のトリックから開放されました。
自意識だけで生きてきた、そうではなくて存在は意識を超えて偉大だったと知るのです。
その六つの神通は、自らの存在の阻害状態からの脱却でした。
それを解脱と言いますが、心身が素直にのびのびとしたのです。
智慧が輝き、肉体が伸びやかになり、もう迷わないのです。
困るときは困るのですが、困ってもめげないのです。
真実に出会った人は、狭い世間を突き抜けています。
世に在ってしかも世に迷わず、世を超えて人間の大道を見誤らないのです。
女性です、ウッパラバンナーは。
蓮華色尼と翻訳されています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆59/02.05
龍門という石窟は、洛陽の郊外にあります。
ここに古い文字が刻まれていますが、書を学ぶ人たちには貴重な文字なのだと言われています。
私にはそういうことは全く分からないのですが、龍門の石窟にはさまざまな感銘を覚えたものでした。
ことに牧田諦亮先生が書かれた「善導大師」には、改めて感銘を深くしました。
そこには西安の碑林などを含めて、善導大師の教えを享けた人たちについて銘文が残されているとあります。
そしてそういう銘文を見ると、晩年の善導大師の姿が浮かんで来るとありました。
龍門の石窟は、善導大師がリーダーになって掘削されたのだそうです。
もっとも、この石窟は曇鸞大師の時代から開掘されているのですが、
善導大師の時代にも、大きな素晴らしい仏像が彫られているです。
当時の女帝として君臨していた則天武后の命を受けて、それは開掘されたものでした。
ですから、堂々としたブッダが四方を圧しているのですが、そのお顔は則天武后をモデルにしたと言われています。
整って美しいお顔なのですが、善導大師はそういうことを御承知だったのでしょうか。
大唐の都・長安に、一人出た善導大師。
堂々と古今を楷定するという気概を持って、善導大師は経典の実存理解を示されました。
その善導大師を押しだした力は、玄中寺のサンガの学びにあったと思われます。
なのに、今ではそういう大切な著述は殆ど、今の中国では読まれていなと聞きました。
龍門には、さまざまな思いも去来することです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆60/02.06
これで満5年になります。
ホームページが、一体どういうものなのかが判然としなかった頃から見れば、
僅か5年ですが、隔世の感があります。
殆どの企業などのホームページは、このページより一年は遅れて開設されています。
ブラウザも不安定、設定するプロトコルも実に難儀なものでした。
NetscapeやIEがバージョン2.xxの時代でしたが、それでもその新しさを喜んだものでした。
今では、実に楽に接続できますし、HPの作成ソフトも格段の進歩を見せています。
思えば遥かですが、今昔の感は新たに意欲をかきたててくれます。
ホームページに仏教を語るという試みが、未だに少ないことを淋しく感じますが…。
寺院のページはたくさんあるものの、殆ど感動にほど遠いことにも淋しさを感じます。
自らの学びをさらけ出す、そういうページを期待しています。
一人でも多く、世界を舞台に自らの存在の尊厳を語って欲しいものです。
世界はキリスト教の専横に、混乱を来しています。
キリスト教の神学が、現代の人間世界を包めないのです。
それはいたずらに、ヒューマニズムを鼓吹するにとどまるのです。
もともとのヘブライズムが、ギリシャのプラトン哲学で固められているかぎり問題が残ります。
プラトニックな二元論では、人間の実存的な根源は包めないのです。
ブッダの物語は、もともと存在論的だったのです。
例えば「衆生」という言葉は、インドの言葉では sattva ですが…、
それは「そこに存在している者」という意味でした。
現代になってだから、改めて仏道を存在論的に問い直すことができます。
一人一人の存在の格別の意義というものを、新しく問い直したいものです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆61/02.07
大企業が人間にとって魅力を失っています。
日本の企業は、特に政治傾向が強固ですが、それは企業イメージとしては劣悪です。
政治献金という名前の、実際には合法的賄賂が横行しています。
これで弱者は、おしなべて辛酸をなめさせられています。
農家では、減反政策3割ですが、企業は見向きもしません。
なのに彼らの大半は農家出身、あるいは関係者の筈なのにです。
普通のサラリーマンが、三割減俸といわれたら暴動がおきます。
大企業は、何故に国民福祉の方向を持たないのでしょうか。
ボランティア活動が、その企業の新しいイメージになったなら、
企業のステータスが美しいものになるはずですが…。
金権腐敗を、いたずらに培養し助長する企業とその構成員。
情けないくらいに、人間無視の構造がここにはあります。
政治の腐敗も人間無視も、社会を背景に生きている筈の企業の懴悔が必用だと思われます。
ゴールデンウイークに、次男三男が帰省しました。
農家の主婦は、減反三割の家計の中から、献身的に彼らをもてなします。
お土産は、農作物です。
悲しい主婦、やり切れない長男たち。
日本は、その家族構成にまで冷酷なものを見せています。
金権に偏った、目に余る議員辞職の羅列。
なのに、誰も自らを改めるという簡単な作業すらしていません。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆62/02.08
阿闍世と呼ばれていますが、アジャータシャトルという人には沢山の兄達がいたはずです。
お母さんの韋提希は実は第三夫人でしたから、早く子供が欲しかったのは事実です。
有名な仙人殺害の物語などは、韋提希がいかに焦っていたかが分かることです。
少なくとも一人の王子が欲しかった、そういうことが背景にあったのです。
さもないと、韋提希は皇后という地位にいることが確保できない恐れがあったのです。
生まれた阿闍世の異母兄弟はかなりの数いたはずですが、仏伝ではそれらの数は分かりません。
けれども、明らかによく知られた一人の兄がいました。
その名前は「アバヤ(abhaya=無畏)」と言いまた。
アバヤは、有名なケーマー夫人の子供でした。
ケーマー夫人こそが、第一夫人だったのです。
この他に、ビンビサーラ大王にはもう一人の夫人がありました。
第二夫人ですが、多分コーサラデービーと呼ばれた女性ではなかったでしょうか。
阿闍世が引き起こしたクーデターは、実に多くの兄達を殺していたのではないでしょうか。
阿闍世が大王になるためには、彼よりは目上の兄弟は微妙だったはずです。
ただアバヤ皇太子は、お母さんのケーマーの出家の前後に、幸いにも彼も出家していました。
が、ブッダのサンガにではなくて、彼アバヤはニガンタナータプトラの許に出家しました。
今日ではジナと呼ばれて、ジャイナ教の祖とされる人です。
何が幸いなのか、実は不思議なことなのですが、アバヤは最後にブッダに帰依します。
アバヤはジナ・ニガンタの死後に起きた教団の争いに巻き込まれて死に追いつめられます。
が、九死に一生を得て、ブッダの弟子として学び、その一生を確かなものにしたのでした。
2.500年前の遥かなインドには、現代よりも厳しい現実的な悲哀がありました。
が、ブッダを中心にして無数のサンガが、世の混乱を実に見事に導いたのでした。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆63/02.09
五体投地ということが、何か重要なことのように報告されます。
けれどもあのような苛酷な行は、ブッダの教えのどこにもありません。
ただ、人によってあのような行を選択することは仕方のないことなのかもしれません。
真実に帰依するということは、確かに五体をあげての帰依なのですが…、
それを難儀な格好で表現する必用があるのでしょうか。
五比丘が済度されて、地上に六人の阿羅漢が出現したと経典は語ります。
済度も救済も、実はともに真理(satya)を把握する智慧(般若)の顕現でした。
ことさらな行は、既に釈尊によってことごとく捨て去られていたはずです。
それは、どんな仏伝を読んでもそのように記されているのですから。
なのに一流だと呼ばれる仏教学者たちまでが、おしなべて眼なく耳も持たないのです。
そして、世間一般の評価も、五体投地のような難行苦行はすぐれて尊いと言います。
全部がまちがっていると、誰もがそれを疑いません。
真実の仏道から外れて、人々は永く流転を重ねてきたのです。
ブッダとそのサンガは、楽しい語らいを大切にしました。
誰かがことさらな態度をとったり奇妙な振る舞いをすると、ブッダはきつくたしなめられたと言います。
静かに、豊かに、そして確実に、存在の喜びをサンガは共に確認しあったのでした。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆64/02.10
ラーフラという名前は、誰にでも有名ですが、この名前の由来は案外ご存じないかもしれませんね。
釈尊が出家を決意された、ちょうどその時に長男誕生の報せが届いたと言われています。
思わず釈尊は、「ラーフラが生まれた」とおっしゃったと言います。
「障り」が生まれたという意味でした。
つまり出家の妨げが生まれたということでした。
けれどもこれを聞いた従僕が、ラーフラという言葉を新生児の名前だと勘違いをしたというのです。
普通は命名されることの避けられる名前でしたが、そのまま釈尊の子息の一人はこの名前になりました。
このラーフラという名前のもともとは、阿修羅の名前だと言われています。
阿修羅は、須弥山の麓の海に住む生きものたちです。
そして彼ら阿修羅は、須弥山の天上にある神々の世界と絶えず戦闘をしています。
なのに彼ら阿修羅は、数千年もの時を超えて修業して、何時かは神様になろうと思っているのです。
その中にラーフラがいました。
彼ラーフラも、永く功を積んで殆ど神にまで近かったらしいのですが…。
断崖をよじ登って、須弥山の頂上三十三天に忍び込みます。
そして、それを呑めば不老長生(不死)になれるというソーマという名の酒を口に含みます。
が、飲み込んだ途端を発見されて、その首を切り落とされてしまいます。
が、首元まで既にソーマを呑んでいたものですから、頭部だけ不死になったと言います。
突き落とされて、彼は須弥山の周囲の海に漂う身になりました。
その彼が、気まぐれに太陽を嫌って遮ったりします。
あるいは眩しいとか邪魔だとか言って、月も遮ったりします。
今で言う日食や月食を、インドではラーフラと呼んでいます。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆65/02.11
蛇にまつわる話を聞かれことがあります。随分昔になりす。
その友人も亡くなって10年以上前なのですから。
友人は、地方新聞のコラムに仏教のエピソードを掲載していたのです。
幾つかの話を拾って、教えて上げたものでした。
「雑法蔵経」の話題も幾つかありましたが、原始経典のものも幾つかありました。
有名なものは舎利弗の甥だと思いますが、舎利弗に言った言葉があります。
「今までの外道の学びを、まるで蛇が脱皮するように捨てましたね」というものです。
参考になる仏典を、彼は一心に読みあさりました。
どうして蛇だったのでしようか、それは分かりません。
筋ジスロフィーだったようですが、最後はまばたきでワープロを打ち続けました。
そのものすごさは、今に忘れることは出来ません。
幾つもの断章が残されました。御家族はそれを大切にされたものでした。
生命の果てしない学びの姿勢、それを強く教えて彼は世を去りました。
大きな仏道のサンガ、底から見えてくる多くの人々が懐かしいこの頃です。
永いサンガの歴史を、改めて確認するような思いがしています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆66/02.12
「増上縁」という言葉がありますが、大切なことを物語ります。
たとえば、“聞即信”と言いますが…。
聞という行為からは、本当は信は生まれません。
聞は我々の有漏の経験ですが、信は脆い有為ではあるものの無漏の心です。
信心とか信仰は、実は理性ではとらえられない大きな感動なのです。
理性を超えた真実を経験することは、普通では成り立たないことなのでしょうが、
真実の宗教は、実際に誰もが尋ねている本有(実在=存在)を開示します。
その場合、聞という有漏の経験からですが、無漏の信が導かれます。
このような経験或は現象を「増上縁」と言っているのです。
ここで、信と聞とを混同しないことが大切です。
信には限定のない世界が開かれますが、聞は理性(分別)の壁の中にあります。
多聞第一のアーナンダは、その多聞の故でしょうか、永く覚りの智慧がありませんでした。
アーナンダが覚るのは、ブッダを失って次の雨安居に入ってからでした。
理性の限定を突破して、アーナンダも究極の踊躍歓喜を体験したのです。
聞が契機にはなっていても、それが実現するには時期が熟することが必用なのでしょう。
ですから、開かれた無漏の信には、巨大な時間への謝念があります。
それは言わば、人間存在の歴史的尊厳を確認しているとでも言えると思います。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆67/03.01
有事法制という、これはもう難題です。
私たちは知っているのです。戦時下という悲惨を。
地獄でした、人間が戦争の部品でしかありませんでした。
人間を画一化した上で、しめて天皇の手足(奴隷)だというのですから。
けれども、敗戦が人民を救いました。
大きな犠牲が見えてきました。
新しい憲法が制定されて、私たちは尊厳を取り戻したのですが…。
相変わらずの武力が、憲法の許さないままに許容されています。
権威のない力は、総て暴力です。
戦前の権威は天皇でしたが、現代に権威は何なのでしょうか。
それが見えないままに武力を行使するなら、それも暴力に過ぎません。
人々が平面化された中で、住民基本法ではついに番号が適用されました。
人間は郵便物なみに画一化の憂き目を舐めさせられています。
日本は、人間を生命存在と見なさない国なのでしょうか。
生命は、画一化できない深みをたたえているからこそ重大なのです。
日常性は画一化出来るとしても、存在そのものの重大さを無視することが暴挙なのです。
一人ひとりの存在の尊厳を、その重大な関心を大切にしたいものです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆68/03.02
インドの車の殆どに、不思議なライトがついています。
それはこちらから見ると、相手がブレーキを踏んでいることが解るライトです。
つまり、どの車もブレーキを踏むと、そのライトは車両の前面にも点灯するのです。
普通は後ろにだけ、そのライトはついています。
後進の車に報せるためのブレーキランプですが、世界中の車はそうなっています。
なのにインドの車は、前方の人たちにも解るようにライトを前面にもつけてあるのです。
何かが気に入っているのですが、その何かが何故か不鮮明です。
けれど私たち人間にも、そういうランプがあると便利だと思います。
人が何をどう考えているのかが解ると、世界はもっと公明正大になるようにも思います。
アメリカの報復戦争は、大失態でした。
ビンラーデンという人物が、今も生き延びているとしたら…。
アメリカの文明が到達した、現代戦略の最先端がほころびていたのですから。
御互いに有漏であり、有為の世界に共に生きている。
そういう事実をふまえて、何を考えているのかがライトで示されるなら。
世界が戦争を拒絶出来たのではないでしょうか。
尊い人命が、無惨にも踏みにじられました。
報復だといいますが、報復に正義があるという判断が已に黄信号でした。
ブレーキを踏まなかったアメリカ、そして国連の判断。
深い反省が、必用なのではないでしょうか。
人間の独断で、人間は自滅するのではないでしょうか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆69/03.03
中国の発展は、実に急速なものがあります。
四年前に見た中国は、自転車の国でしたが…。
今では車が、随分たくさん走り回っています。
ただし、車は中国語では汽車というものですから、ちょっと面食らいます。
ガイドさんから教えられたことですが、日本語の手紙は中国ではトイレットペーパーだと。
「手紙を下さい」ということは、ちゃんとレターと言わないと変な結果になります。
玄中寺では、中国の三祖が一堂に安置されていて、他の寺とはしっかりと違います。
けれども、そこで中国人のお坊さんに阿彌陀教を読んでもらったのですが…、
少し奇妙な思いを抱いたものでした。
それは、多分ですが、現代の中国発音では、三祖ともまるで解らないのではないかということです。
むしろ私たち日本人が読誦する発音の方が、三祖には理解できるのではないでしょうか。
とすると、何かちぐはぐなものを感じます。
歴史的には、中国が先輩ではありますが、仏教の受け止め方においては日本が占める位置も重用です。
玄中寺に学ばれた他力本願の大道は、中国全土の中では殆ど無視されています。
何か一抹の淋しさを感じたことでした。
玄中寺は、三祖の学びを通してこそ世界に意味をもっています。
曇鸞・道綽・善導の学ばれた大道は、実に得難いものだったようです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆70/03.04
「マイ・フェロウ・アメリカンズ」という言葉を大切にしたいと思っています。
これはアメリカ大統領の用いる、「国民の皆さん」という言葉に当たります。
が、もとの「My fellow Americans」とはまったく使い心地が違います。
「マイ・フェロウ」は実に親しい間柄に呼びかけていますし、ここに国民との一体感があります。
対するに、「国民」の「皆さん」には二重の隔たりがあります。
“政治家に対するに国民”と“私ではないあなた方”、という二重の隔たりを誰も感じていないのでしょうか。
これは決してリーダーの発言ではなくて、その内面には知らない間に庶民に君臨する他者意識があります。
若者が政治離れをしていると嘆く年齢層は、実際には彼らの鋭い感性を見落としていないでしょうか。
政治家の発言が、如何に国民離れをしているか…。
「My fellow Americans」は、正しい政治家の言葉だと思われるのですが、ここにまた問題も残します。
確かに、「国民の皆さん」という言い方が優しい感じなのですが…。
幕藩時代から明治・大正・昭和を駆け抜けて、為政者という支配意識が続いているのですから。
選挙で選ばれた「公僕」が、一転して支配者に転じてしまう体質がここには見え隠れしています。
国民の意思を踏みにじる言動に満ちあふれている日本の政治感覚は、問題です。
けれども、「My fellow Americans」が場合によってはファッショにも繋がるかもしれません。
フセイン大統領や金正日は民俗感情をあおりますが、アメリカの場合にもこの危険性が残ります。
難しいものですが、「My fellow Americans」という言葉遣いは日本にないものです。
そもそもの政治の根源というか、そのいろはに言葉というものがあるのではないでしょうか。
国民を国家の道具と考えるのか、我々庶民諸共にと考えるのか、実に大きな違いがここにはあります。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆71/03.05
玄中寺というお寺は、今でもその存在の意味は大きなものがあります。
ちょいちょい住職が変わるようですが、何度訪ねても懐かしく感じます。
曇鸞大師が他力を語られ、道綽禅師が浄土門という一門を開示されました。
そして、この玄中寺で鋭意学ばれた善導大師。
同じ本願の大行の学びを一貫して継承展開された三人でした。
前回の旅では、どうしたことかバスの運転手さんが通り過ぎてしまったものでした。
右手に、「確かあれ玄中寺と書いてあるが…」と思っていたのですが。
しばらくして、運転手さんが気がついて引き返したのですが、一時間は手間取りました。
それだけに、玄中寺が温かく見えたものでした。
赤壁山玄中寺は、永く「永寧寺」と呼ばれていました。
数百年もの間、玄中寺は隠されていたのです。
再発見された常磐大定先生は、どんな思いで玄中寺を確かめられたのでしょうか。
法然も親鸞も知らなかった玄中寺を、自ら確認された心情は察するに余りあります。
今では、誰だって玄中寺を訪れます。
中国の人でも、日本人でも自由に訪れることが出来ます。
浄土を、三祖は帰り着く故郷だと言われています。
玄中寺の三人は、阿弥陀仏の浄土を私たちの故郷だと教えられたのでした。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆72/03.06
中国は大きな国ですが、多難な現代を迎えています。
明治期の日本の、あの時代の難しい近代化の問題が積み重なっています。
何よりもあの爆発的な人口増加と、地域格差が厳しい日常を招いています。
これからは、電力が莫大な量で必要となるでしょう。
もし電力関係で仕事を持つなら、中国では大成功するのではないでしょうか。
大都会では近代化が進んでいますが、農村は今後に問題を残しています。
昔の長安、現在の西安は歴史の都です。
興慶宮に一日遊ぶと、阿倍仲麻呂の記念碑が静かに佇んでいて往時を偲ばせます。
ガイドさんで周さんという人が、捨て子を拾ったと言いました。
彼は、病気がちのその子を、病院通いから始めます。
自分の子供として育てるにも難関がありました。
二人以上は子供が持てないという政策があるからです。
それでもようやく政府は、彼に養子としてその子を認めてくれたといいます。
お金のかかる子供でしたが、それだけに彼はその子がとても可愛いと言います。
よくしゃべる周さんですが、中国の難問を一つひとつ乗り越えているようでした。
西安の都に、周さんは善導大師と曇鸞大師を学ぶと言いました。
私たちの一緒に過ごして、ミーテングに参加している間に歴史の中の大切な人に気付いたからです。
他にも二人の女性ガイドさんがいましたが、彼女らも玄中寺関係を学び直すと言いました。
旅が、実に豊かなものになっように感じたものでした。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆73/03.07
インドの大地は、乾いた砂漠みたいな季節があります。
デリーから南へ、一日走ってジャイプルという町があります。
ジャイイプルとは勝利の町という意味ですが、現在もマハラジャが住んでいます。
イギリスが支配しても、ラジャスタン州はなかなか屈服しなかったと言われていますが…。
誇り高い町には違いありません。
実はこの町に、ジャンタルマンタルと呼ばれるものがあります。
天体観測儀が全部揃っているのです。
下の象さんの写真の裏にその一部がありますが、これは太陽観測儀なのです。
まあ半日遊んでも飽きない、沢山な観測儀がそろっていいるのです。
何故なのでしょうか、この町のマハラジャは天体を観測していたのです。
おそらくは300年も昔からなのですが…。
日本にも、奈良や京都の古い寺院には十二神将が飾られていたりしますが…。
実はあれは、黄道十二星なのです。
インドでは、古くから天体観測が盛んで、星占いが続けられていました。
ジャンタルマンタルは、そういう意味で精密な観測をするためのものでした。
太陽・月・そして重要な星が子細に観測されました。
デリーにもこれに似たジャンタルマンタルがあるのですが、規模は遥かに小さなものです。
擬人化された天体の運行が、神話的に構築されて今もインドでは星占いが生きています。
どうでしょうか、現代ですが、これを笑ってすますことができるものでしょうか。
ただ、この太陽観測儀では誤差2秒までも観測出来ると言われています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆74/03.08
インドの最南端は、コモリン岬と呼ばれています。
今回の写真は、南インドをとりあげています。
インドの北の方は、富んでいますが差別の厳しい生活があります。
しかも例えば、ムンバイの半数もの人が難民だとも言われています。
なのに南に行くと、実際には多くの人たちは低い身分だと言われていますが…、
実はゆったりと豊かに暮らしています。
気候も暖かく、作物も豊かに実っています。
コモリン岬へは、多くの人たちが有名な夕日を観に集ります。
政府は、岬の日没時間と日の出の時間を報道しています。
実に沢山の人たちが、日没を見るために集るのです。
一度だけこの岬に宿泊したことがあるのですが、ちょっと困りました。
ベッドを見ると、シーツはあるものの掛ける上布団がありません。
何か不安でしたから、掛け布団をりクェストしました。
ちゃんとボーイさんが、もう一枚のシーツを運んできました。
「あれ、シーツですか」と思ったのですが、まあ我慢しました。
所が、寝てみてわかりました。掛け布団は不必要だったのです。
暖かい最南端は、熱帯でした。結局なにも掛けないでよく眠れたものでした。
インド独立の志士であるビビカナンダという人が、岬の海で死んだと言われています。
日没後、南十字星が見事な光を輝かせていました。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆75/03.09
中国で考えたことがあります。
五台山にいて、確かに仏教の古くからの伝承を感じていたのですが…。
こういう大きなお山に、日本人の留学生を送り込んだらと。
あるいは、逆にあちらから私たちの仏道の学びを学ぶ若者を呼び寄せたらとも。
中国語で自在に親鸞を語ることがあるなら、それは大きな文化の進展になるでしょう。
かって真宗から、多くの留学生が欧米に学びに行きました。
が、あの頃に比べると、今日では経費は全然安いものです。
そして欧米へという必要は、もうありません。
むしろこれからは、大きな国土をもつ中国ではないでしょうか。
あるいは広くアジアの各地に、それぞれの国の言葉で親鸞を語って欲しいと思います。
五台山は、感じですが比叡山と高野山を併せて、その十倍以上はあります。
今は文革の影響があって、往年のにぎわいがないのですが…。
それでも、さすがに仏教の老舗というものがあります。
つまりそれは、今でも大舞台なのです。
問題は何が真実の仏道かということです。
五台山には、数々の栄光がありました。
本物の学びの道場というものは、ああいうものだと思います。
けれども、実践的に真実を追究する鋭さが今では気迫です。
生きた若者たちの交流を思うのですが…。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆76/03.10
今年も8月の広島原爆の日に合わせて、新潟でも“宗教者平和の会”が催されました。
参加者は120名を越す、毎年の盛会でした。
第一部では、小中学生が演奏するコカリナ(オカリナではなく)の音楽を楽しみました。
コカリナとは、木で出来ているオカリナと言えば善いでしょうか。
ご存知の方には説明が不要でしょうが、彼らのコカリナは特に意味があります。
原爆に焼かれた校舎の木材から作られたり、悲惨をくぐり抜けた素材で出来ています。
そして第二部で、語り部の原爆体験が。
次いで人類に捧げる、痛みからの詩の叫びがありました。
この時にも、コカリナの独奏がバックに流れています。
続いてキリスト教・仏教による礼拝の儀式があって、遥かに広島・長崎を偲びました。
半世紀以上の距離が一気に飛び越えられて、参会者一同厳粛に生命の尊厳を思ったことでした。
日本には、ぬぐい去ることの出来ない深い傷みがあります。
原爆は、決して使用してはならない悪魔の跳梁でした。
被爆者たちの、今に響くシャバ世界を突き抜ける深い叫びを…、
今を生きる総ての人々は、心して聞きとめて欲しいものです。
北朝鮮は、それを言い出しているただそれだけでも愚かです。
世界の超大国や、インドやパキスタンまでが、愚かに世界を玩んでいます。
人類は、悪魔でもありながら、何か深いところで真実を求めあう存在です。
ことに仏教は、人間自らを場として、その本源を達磨において問い直す教えです。
子供たちも含めて、“宗教者平和の会”は世界人類の平和を尋ねました。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆77/03.11
「世尊我一心」という言葉は大切な言葉ですが、これについて曇鸞大師は三つの区別を与えておられます。
「我」ということばなのですが、仏法には「無我」でなければなりません。
1.邪見語・2.自大語・3..流布語、というのがそれです。
「邪見語」というのは、因果を無視する言い方です。
つまり、自分が歴史的に深い存在であることを、ことさら避けることです。
そしてこう言います、「俺は俺で始末できる」と。
「自大語」というのは、何とも自己中心的なことではないでしょうか。
大勢で撮った写真の中で、自分だけをさっと見付けます。
他人のことはそれまでは、完全に黙殺です。
あるいはこう言います、「俺を誰だと思ってるんだ」と。
この程度に打ち立てられている自我というもの、果たして尊敬に値するものなのでしょうか。
世間の政治権力までが、こういうお粗末な人格で支配されています。
お山の大将ごっこなのですが、どこかの界隈には将軍様が現代に君臨しているとか…。
「流布語」ですが、これは必要で一人称を示しているという意味です。
が、曇鸞大師は「無我」を確保して、このように言われたものでした。
が、「我一心」という言葉には、我を超えて確立された新しい存在があります。
仏道の人、新しく無限の課題を追う人格がこの「我」にはあります。
それは、一心によって建てられた新しい存在なのです。
「我」という同じ言葉ですが、悠久の仏道に生きる人の崇高な姿がこの「我」なのです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆78/03.12
インドから電話がありました、何時訪ねてくれるのかと。
しかし次第に足が遠のいて、これで四年の空白です。
私たち旅人として訪ねるには、インドは戦乱に脅かされています。
インドとパキスタンは今では国が二つですが、かつては合わせてインドでした。
法顕が訪ね玄奘が学んだインドは、巨大な精神の指導者だったのです。
二十一世紀になって、原爆は却ってその脅威をましています。
バーミヤンの大仏を、玄奘は美しく描いています。
金色に輝いていて、宝飾がきらきらしている」と。
その大仏が、今は粉々にくだかれました。
年ごとに無念さがまします。
タリバーンの人たちは、ほかならない彼らの祖先が刻んだ大仏を冒涜したのです。
父祖の生きた高潔な仏道の世界は、世を超えた真実を語りあげていたのです。
大乗とともに大仏は刻まれ、その精神を形で示しました。
インド・パキスタンの子孫の人々は、人間の真実を捨てたのでしょうか。
ガンダーラは、世界のガンダーラです。
インドでもなくタリバーンでもなく、そこから人間世界の深い精神はわき上がっていたのです。
本当に宗教を語るなら、それは深さと重さを持つもののはずです。
一片の私情で大仏を吹き飛ばす、そんな人間を歴史が涙しています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆79/04.01
昨年の10月までに、新潟で「新潟親鸞学会」が立ち上げられました。
おおよそ200人くらいから出発して、今後に展開が望まれるものです。
宗派を超えて、新しい学びを問い直したいものです。
当日は東西の本願寺関係者と、仏光寺派と浄興寺派などの方々が参加しました。
その時の挨拶で、思いついたままで話した事ですが…。
今までは「親鸞に学ぶ」ということが各派の大切な学びでした。
けれども、もう一つ「親鸞と学ぶ」ということも考えたいものです、と。
各宗派では、それなりに学ばれてはいるものの、それだけではどうしてもセクト化します。
そういうお互いの壁を取り払って、そして親鸞と共に学ぶという姿勢が大切に思われます。
教学が時代に呼応出来ないとすれば、それはその教学の根源である親鸞を失うことです。
既に、宗派に向かって社会は問おうともしなくなっています。
事件が起きても各種の人間問題でも、真宗に問う姿勢は皆無に近いではないですか。
「親鸞と学ぶ」と言う姿勢は、「親鸞に学ぶ」人たちに聞かない事情に対応します。
現代とは、我々のレベルの学びを振り回す場合ではありません。
宗派が応えない諸問題が、あまりに多くありすぎます。
社会・福祉・政治・教育・貧困・犯罪、などという現象は数えきれない混乱を招いています。
その一々ではなくて、問題の根源に人間そのものの問題があるとは知られています。
が、宗派は完全に遊離して、問われもしなければ応えられもしません。
何かが出来るか、それは分かりませんが、新しい新潟発の学会は模索を始めました。
真実の人間を厳密に学ぶとして、「親鸞と」学ぼうと。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆80/04.02
シュリランカはまだもめていますが、基本的には仏教の国です。
永い2.500年もの間に、豊かな精神が培われた國なのです。
現代になって、世界の精神汚染がこの国にも流れ込みました。
百五十年程前から、インドというヒンズー社会へ仏教を返済しています。
その時に働いた若者が、キリスト教を向こうに回して論争に勝利してこの国の精神を鼓吹しました。
ヨーロッパが、二十世紀になって世界支配に翳りがでます。
同時に精神的に、大きな反省も出ました。
が、ヨーロッパがもたらした世界を汚染した事情は、いまだに弥漫しています。
物質文明という名の、精神侵食がそれです。
かつてランカの若者が勝利した精神も、今ではかなり劣化しているのではないでしょうか。
仏教の国ぶ武器を持って闘う現実。本当に忍びない事情が、そこにはあります。
内線に近い新タミールとの確執や、ヒンズー教のインドとの間で揺れています。
アショカ王の息子のマヒンダが仏法を伝え、娘のサンガミッタが菩提樹をもたらしました。
それ以来の上座部仏教は、孤立しています。
もっと近しく、日本の私たちと交流を持ちたいと願うのですが…、
日本の事情が、ランカを汚染する恐れの方が多いでしょうか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆81/04.03
デジタル放送の開始に伴って、アンテナ設定をする技師の一人が御稲荷さんに祈ったと記事にありました。
記事そのものを含めて、日本の宗教意識というものの浅さが感じられました。
祈った人も記事を書いた人も、極めて日本的です。
アニミズムとシャーマニズムが、日本人の宗教意識の平均値なのです。
それは簡単に言えば、思い込みに始って自意識だけを信じている姿です。
祈りより深いものが、存在には内在しているのではないでしょうか。
自覚といい三昧というものは、自己を果てしなく掘り下げるものなのではないでしょうか。
仏道を切り捨てられて、日本の常識は劣化が止まりません。
政治権力には、利権だけが優先しています。
国家と国民のバランスは、もはや国益というものに牛耳られています。
道路問題とはいうものの、誰のところへ利権が転がり込むかという綱引きでしかありません。
憲法に背いた軍隊が、戦争に行くのではありませんというごまかしの出陣をします。
国民とともに、憲法に謙虚に学ぶことが政治家にはありません。
日本国の憲法は、人類初の試みを保持して、卓越した歴史を刻んできたのにです。
人間に根差して、深い存在を見つめる歩みがなければ…、
人々は軽い御祓い程度の浅い人間理解に立つしかありません。
怖いのは、そのような浅い人間理解が、国全体の歩みを横柄なものにしてしまっていることです。
無慚無愧と言われていますが、理不尽な権力が跋扈する現象のことなのでしょう。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆82/04.04
信心といいますが、ブッダの時代の覚りと同一のものがなければそれはもう仏教ではありません。
親鸞聖人は、七祖に流れて一貫する如来の行の展開を大切に見つめられます。
覚りは、一貫して如来の大行に応答した智慧だというのです。
信心という言葉は、法然上人から受け伝えた言葉ですが…、
親鸞は世親菩薩の一心に、その事実を見ます。
人間が、人間を超えて盡未来際の生命感動を覚えるのです。
理性の大きな渦を超えて、より偉大な存在の事実を信心は知っています。
世界は理性が構築した世間ですが、智慧が開く境地は、出世間の大道を展開してみせます。
信心に展開される人間の尊厳は、極まりなく人類の歴史に応答するものです。
一人一人の信に、世界の人類の歴史が映し出されます。
一人一人は、そのままに人類なのですし、善悪を映したままに極まりなく求道されます。
一人の上に信が開ければ、そこに豊かな人類の歴史が反映しています。
一人が極まりなく大切ですし、一人が世間を越えているのです。
誰だって、その尊厳は出世間的なものなのです。
そして、誰だって国家に超えて尊いものなのです。
ブッダが展開された智慧の道は、人類に捧げられたものです。
そしてその大道は、一人ひとりに呼びかけ続けています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆83/04.05
以前にもダルマパーラのことを書きましたが、もう一人のダルマパーラを書き加えましょう。
シュリランカのダルマパーラは、仏蹟を回復した大切な業績をあげました。
もう一人のダルマパーラは6世紀の人で、「護法」という名前なら知られているのですが…。
7世紀に唐からはるばると玄奘三蔵は、大きな旅をします。
その目的は、唯識法相の神髄を尋ねるためでした。
その玄奘三蔵を迎えてくれた人は、シーラバドラという老僧でした。
戒賢という翻訳名が知られていますが、このシーラバドラはダルマパーラの直弟子だった人です。
玄奘三蔵は、天親菩薩の「唯識三十頌」の正しい説はダルマパーラによると決定します。
「唯識三十頌」には十人の大論師が釈論を残しています。
玄奘三蔵ほどの俊才でも、これら論師の説をどう総括するかが問題でした。
中国からシーラバドラを尋ねたのには、偶然と僥倖がありました。
玄奘の携えていった箸や中国風の靴が、ナーランダの食堂に飾られていたといいます。
玄奘三蔵はシーラバドラ長老から、親しくダルマパーラの深い注釈の意義を学びました。
天親菩薩が遺された「唯識三十頌」は、実に深く厳密極まるものでした。
ダルマパーラの受け止めた「唯識三十頌」は、群を抜く釈論に残されています。
その注釈を、玄奘三蔵は苦心して翻訳します。その座りは、「護法正説」というものでした。
ランカのダルマパーラも、ナーランダを大切にしました。
玄奘がたどり着いた正しい釈論を残したダルマパーラは、30才で引退して霊鷲山に住んだといいます。
論義の俊才であったダルマパーラは、若くして世を去ったと伝えられています。
が、その業績は決して消え去ることはないでしょう。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆84/04.06
シルクロードという言葉は、美しい詐術を孕んでいます。
実際には、実に過酷な生命がけの旅が要求されます。
しかも現在では、そのロードの殆どが戦争に追われています。
そこはイスラム圏なのですが、宗教としてのイスラムは余裕を失っています。
ジハードという教えは、もし宗教としてのイスラムを許すとして、
果たして了解できるものなのでしょうか。
もっと心豊かに、イスラムの誇りを持って人類全体に応えるべきではないでしょうか。
宗教とは、世にあるものの世を超えてこそ、その真価が問われるものなのですから。
イスラムの教えには、日常を超える大いなるものがあるはずです。
それは一人ひとりの人間を深く育てて、たとえ戦乱のさ中にも抜きんでる尊厳を見せるはずです。
余裕がない毎日なのでしょうが、だからこそイスラムはより深くその宗教性を確保すべきです。
無惨に死骸を並べる毎日、その中には人類にあてる類い稀なイスラム精神もあるはずです。
酷な発言かもしれませんが、政治や権力ではなく宗教がすすめる人間のロードがあるはずです。
政治や権力や経済力は、低い次元の人間疎外です。
もっと深く、より強固に人間確立を目指す道があるはずです。
ムハンマドの啓示は、日常を破って生命の解放をこそ物語っています。
コーランの底に流れている人間確保の大切さを、遥かに思うことです。
シルクロードという言葉も、打算的な金権の路でした。
しかしムハンマドが承けた啓示は、本来の人間の尊厳の回復にあったようです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆85/04.07
シルクロードという言葉は、美しい詐術を孕んでいます。
実際には、実に過酷な生命がけの旅が要求されます。
しかも現在では、そのロードの殆どが戦争に追われています。
そこはイスラム圏なのですが、宗教としてのイスラムは余裕を失っています。
ジハードという教えは、もし宗教としてのイスラムを許すとして、
果たして了解できるものなのでしょうか。
もっと心豊かに、イスラムの誇りを持って人類全体に応えるべきではないでしょうか。
宗教とは、世にあるものの世を超えてこそ、その真価が問われるものなのですから。
イスラムの教えには、日常を超える大いなるものがあるはずです。
それは一人ひとりの人間を深く育てて、たとえ戦乱のさ中にも抜きんでる尊厳を見せるはずです。
余裕がない毎日なのでしょうが、だからこそイスラムはより深くその宗教性を確保すべきです。
無惨に死骸を並べる毎日、その中には人類にあてる類い稀なイスラム精神もあるはずです。
酷な発言かもしれませんが、政治や権力ではなく宗教がすすめる人間のロードがあるはずです。
政治や権力や経済力は、低い次元の人間疎外です。
もっと深く、より強固に人間確立を目指す道があるはずです。
ムハンマドの啓示は、日常を破って生命の解放をこそ物語っています。
コーランの底に流れている人間確保の大切さを、遥かに思うことです。
シルクロードという言葉も、打算的な金権の路でした。
しかしムハンマドが承けた啓示は、本来の人間の尊厳の回復にあったようです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆86/04.08
五月に、新潟親鸞学会の総会が開かれました。
真宗だけではありますが、一応宗派の壁を取り去って自由な集いを持ったことでした。
まずは色々な意味で楽しく面白かったことでした。
たまたま会長を仰せつかっている分だけが、マイナスでしたが…。
午前10時から始って、五人の方達の発表がありました。
それが一つ一つ興味深く、一人20分という制限が厳しすぎると感じました。
午後からは諸殿拝観から始って、記念講演も皆さんに喜んで貰えたようでした。
何よりも大切なことは、同じ親鸞に結ばれて隔てなく問題を追及する在り方でした。
前代未聞なのかもしれませんが、実に豊かにみんなが触れ合えるものでした。
遠慮なく東西もなく、仏光寺や浄興寺もなく言葉が交わされる。
もともとそうでなければならない学びが、新しく始められたのですから楽しい筈なのです。
同じ越後の大地で、同じ親鸞の人間に学ぶ。
心地よく一日かが過ぎ去ったと感じられることでした。
まだ発足して一年ですが、次の一年が楽しみです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆87/04.09
凡夫は戦争をしない
戦争に駆られて、大謀網の魚のように大量に殺される。
凡夫は傷む
そして理不尽さを超えて凡夫を包む真理を感じる
凡夫はショパンが好き
凡夫は民謡が好き
それが民俗の草の根から謡われているから
凡夫は何処にでもいる
凡夫は黙っている
凡夫が話しだす瞬間に
凡夫は凡夫を失う
凡夫はいろいろと気付く
凡夫の悲しみを包む大悲を知っている
凡夫は自然が好きだ
凡夫凡夫凡夫
凡夫は権力を始めとする総ての力が嫌いだ
凡夫は善悪に関わらず人間が好きだ

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆88/04.10
安積力也という先生と連絡ができました。
二月に聞いた深夜便、五月に再放送されて、お名前と学校が分かりました。
後はインターネットのお陰で、先生にたどり着いたのです。
メールを出したら、お返事を頂きました。
とても謙虚なお人柄で、すてきなクリスチャンでした。
問題は、まだ幼いお子さんが初めて補聴器で音を聞いたということです。
先生は、数少ない私学の聾話学校の出来事を話されたのです。
赤ちゃんは、むずかっていたのに、補聴器のスイッチが入ると…。
一瞬はっとしてじっと聞いて、次に大きな声で泣いたのだそうです。
「それは生命の誕生の瞬間のようだった」と先生は言われたのです。
唯識では、觸と作意から始って受・想・思と完成する遍行(経験の綜合)が説かれています。
人間が体験する、内的な精神展開です。
これが厳密に追及されているのは、仏教の大きな遺産です。
天親菩薩の大成された「成唯識論」には、現代の学問の届かない貴重な成果が述べられています。
一人の人間が、人間として自己を見出す瞬間には感動が伴うものなのです。
そのような瞬間の、大切な事実に先生も感動されたのです。
先生から丁重なお手紙と、幾つかの資料を頂きました。
この体験の周辺の、しっかりした教育論が述べられていました。
楽しく読ませて貰いました。
先生は現在、恵泉学園中学高校の校長をしておられます。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆89/04.11
ランカは永く仏教を国教としている立派な国です。
沢山のダーガバが、至るところで見られます。
そして、露座の白く大きな仏像も今でも盛んに造営されつづけています。
訪ねると、親しい人々が接してくれます。
旅する人たちには、ガイドが大切ですが…。
ある友人が、一人のガイドを信用していませんでした。
何かが気に入らなかったのかもしれません。
ランカで四日目だったと記憶しているのですが、ちょっとした事件がありました。
その時、ガイドのスニールという男が献身的に綿と達をかばったのです。
私の友人は、その日の夕食時に、スニールに深く頭を酒で謝罪しました。
スニールは、疑われていたとも知らなかったものですからびっくりします。
友人がひそかに疑っていたと謝罪して、次第に事情が分かると…、
スニールは、涙を流して友人に抱きついたものでした。
三十才は過ぎていたとおもうのですが、スニールは純真な男でした。
最後にコロンボで別れる時に、私たちは盛大に彼にお礼を致しました。
その時の彼の笑顔…、それが今もウカンデきます。
二十五年も前のことですから、かれは五十歳をこえているでしょう。
「諸悪莫作、諸善奉公」を、彼はパーリ語で教えてくれたものでした。
「sarva paapassa naakarana…」と、それは始ります。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆90/04.12
中国の広大な大地は、そこに住む人々でも驚く程ではないでしょうか。
けれども、政治体制というものと庶民との間で深刻な問題を宿しています。
四千年の歴史は、もともと僅かな支配者と無数の庶民の歴史でした。
新しい現代中国は、日本という先行の錯誤を手本にしてもらいたいものです。
一人が生きるのに、大自然は充分に所与を恵んでいるのですが…。
一部のエゴイズムは、無駄な力関係を突きつけます。
権威のない権力は暴力ですから、庶民は苦い気分に追い込まれます。
同じ人間に、同じ人間が支配されるということは無惨です。
「平等施一切」と善導大師は言いました。
その善導を、親鸞は「善導独明仏正意」と賛えています。
千四百年もの隔たりを通して、その言葉は現代を打ちます。
中国人自らの言葉が、現代中国を見守っているのですから。
西欧の歴史には、善導のような人は一人もいません。
東洋から、人類の方向を改めて創設し直して然るべきではないでしょうか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆91/05.01
凡夫は営々と生命の歴史を受け継いでいる
なのに、支配階層が常に人間の歴史を汚す
古代から、未来にも…
悲哀を味わうのは常に庶民
凡夫は、英雄を好むが
その英雄に常に裏切られている
文化は、常に庶民の側から創出されている
なのにその利益をかっさらうのは

薄汚い餓鬼道をリードする輩なのだ
支配階層・世のリーダー
彼らがむさぼっているのは
凡夫たちの築いた文化だけではなく
凡夫として生きている凡夫たちの生き血をもすすっている
圧倒的におおい凡夫を
少数の餓鬼がむさぼる
それが現代の百鬼夜行

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆92/05.02
アポロ13号で、生命をひとつ救う努力に感動。
ならば、何故の戦争をするのか。
13号を救ったアメリカ、イラクで数千の人を殺し続けているのもアメリカ。
 人間の理性は、根底的に出直さないと。
理性ではなく、生命そのものの叫びから。
フッサールという人が「ヨーロッパ諸学の危機」を書いて、
殆ど百年も経過しようとしています。
理性が構築した理念や観念が、世界を汚染しているというのです。
現象学と名づけた方法によって、フッサールはそれを還元したいと考えました。
その学びの流れから、実存哲学がうまれ今日的な構造主義へと展開します。
なにに、既に世親の時代にフッサールの問題は乗り越えられています。
 仏道の根源である、ブッダの最初の正覚にその展開の根拠があります。
真如法性を失っての流転。
涅槃を求めての学びの一切が、人間の学びなのだと。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆93/05.03
凡夫は世俗を捨てられない
捨てる事が出来ないのだから
特別な出世間はない
遁世などというしゃれた世界は
凡夫とは無縁なのだ
しかしヒロイズムもある
挫折したヒロイズムが
凡夫を時として
栄光に向けて走らせる
凡夫は凡夫だけれど、誰だって無意味ではない
むしろ凡夫で在るということが、大きな問題を抱えている
誰もが等しく救われる大道が、凡夫の上にだけ在りうるのだから

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆94/05.04
青信号では、行く権利が与えられますが…
行かなければならない義務でもあります。
理性が培った現代文明も、
實は権利を主張したばかりの成果です。
義務として、理性の不十分な結果を刈り取る必要があります。
何がそれをなすのか、単純なボンサンスでもなく、
法律による和解でもありません。
根底的に理性を慚愧することがなければなりません。
宗教で、この懺悔や慚愧を明確にしているものは少ないものです。
が、世界のリーダーを始めとして、殆どが忘れている宗教。
本来の理性を超えた深さを、私たちは経典に聞きます。
智慧の宗教、仏道の徹底した人間追及は、
親鸞が無上仏道という大同として、世界に問い掛けます。
善導大師は、真如からの発遣・招喚を語りました。
巨きな懺悔が、全世界に響いているはずです。
聞いて聴き、日常に高らかな人間の大道を見つめたいものです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆95/05.05
凡夫はいい
凡夫には、世界どころか宇宙がある
一人ひとりに宇宙が広がっている
凡夫は仏を念じる
何故なら凡夫は仏でないから
けど、念じる凡夫に
仏が早くも先になって念じている
凡夫には
一人ひとりに宇宙がある
それはブッダと等しい世界を
ちゃんと与えられたものなのだ
凡夫でいよう
凡夫を間違えると
凡夫は自分を失う
そして宇宙を失ってしまう

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆96/05.06
イスラムを、欧米は軽く見てそのまま大きな誤解を持っているようです。
イスラムは、まだ中世なのかもしれませんが。
そして、それは宗教と生活が密着したものなのですが。
ヨーロッパも日本も、宗教が生活から乖離しています。
ことに日本では、宗教とも呼べない習慣だけが残っています。
年中行事は、宗教の破片ですらないといえます。
世界のイスラムは、世界から理解されていません。
ここに現代の悲劇があるのではないでしょうか。
一日に数回の礼拝を、先進国は理解しないのです。
理性で理解できない宗教性を、大きく包むものとして仏教があるのではないでしょうか。
仏教から、あるいは本願から摂取されている事実を大切にしたいものです。
赤道に沿ったイスラム世界は、悲劇によって却ってかたくなになっています。
戦争と災害、そして世界の無理解。
何かが欠けているのではないでしょうか。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆97/05.07
今年度の学会からの話題です。
その一つ、友人の発言から提起したのですが…。
災害に苦しむ人に、私たちがどういう言葉を持っているかということについてです。
若い人が死なれてその枕経の時、当たり前の挨拶も出来なかった時。
一人のお婆ちゃんが、「おやまあ、きついご催促ですね」というのを聞いた。
「負けた」と思ったと、ある住職さんの言葉がありました。
私たちは仏教から何を学んでいるのか。
世を超えた仏道に立っての発言をするということは、なかなかに大変なのです。
しかしながら、こういう場合にこそきちんとした言葉が必要なのです。
住職やお坊さんが、世間の言葉しか知らないのは、普段の学びが問われます。
「ご催促」という言葉すら、今日です分からない言葉です。
凡夫を包んで、真如法性からの促しがこの「ご催促」に当たるのですが…。
災害の連続では、本当の言葉はなかなか見つかりません。
共にひしがれ、共に涙する。
その中から一言が生まれれば、仏道は今に実現されるはずです。
油断のならない日常性が、私たちに問われています。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆98/05.08
学会での話題その第二番です。
「空念仏」という言葉が話題に上りました。
いわゆる“請けの念仏”のことですが…。
昔は法話の最中に、請けの念仏が早々と称えられたりしたものです。
けれども、一人のパネラーが「念仏には空ということはありません」と応えました。
これは存外大きな答えなのです。
念仏は法です。
誰が称えても、その念仏は本願の行法なのですから。
問題の「空」は、実は信心につくのです。
信心は機なのです。
ですから、条件によっては多様に変化します。
機と法というと、煩雑になめのかもしれませんが、法相はきちんとしなければなんりません。
これが混乱すると、学びが散乱します。
「南無阿弥陀仏」は本願の念仏です。
それは真実の世界から、本願という形を表して回向されたものです。
ですから、それは形を超えている真如が敢えて形をとった法なのです。
そういう本願の運動に促されてこそ、機の上に本願相応の信が開かれます。
この信は決して「空」ではなく、豊かな内容に満ちたものです。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆99/05.09
パスコダガマの墓をご存じでしょうか。
インドのゴアにあります。
あるはずだと探していると、貴方の足の下だと言われました。
何と、それは教会の床になっているのです。
ちゃんとその名前が、きちんとした書体で書かれています。
驚いて足を引っ込めたものでした。
この教会には、メーンにザビエルの遺体と肖像があります。
正面に生きているかと見まがうザビエルの像があります。
その反対側に、つまり後ろの正面にその遺体が安置されています。
日本に滞在したキリスト教の宣教師ですが…。
彼は今、ゴアの教会に安置されているのです。
暫くは、時と同時にその距離を思いました。
遥かなものには、覚えずも身の引き締まるものを感じます。
ゴアの教会では、二重の驚きがありました。

☆☆☆ 話  題 ☆☆☆100/05.10
今年の五月、新潟親鸞学会の第2回総会が開かれました。
本派の大峯顕先生に遇うことが出来ました。
ヨーロッパの哲学に触れられたお方ですが、真宗の理解の鋭い人でした。
一言、よかったと言います。
詳しくは来年刊行の学会誌に発表されますが…。
先生は、親鸞が語っている超世の仏道を論じられました。
勿論、我々の仏道です。
が、それは同時に世界の有縁人々の仏道でもあります。
高名な哲学者たちも、それを求めて思索したのでしょうが…。
そういう人類的な視野で、全世界の人たちが語り合えることを願いました。
本願成就とは言うものの、世界人類の成就をこそ願うものです。
先行する経済・社会・国家観念などは、有為流転の現状です

それは有漏に満たされ、煩悩で築いた世界です。
有為流転の世界に、無為無漏の世界への願生を…。
総ての人に聞いて貰いたいものですよね。


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