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SHINBUDDHISM(浄土真宗)
七百年も前に親鸞が語った仏教が、今も世を超えています
| 大きな、仏教自体の運動を、その師の法然上人(1133-1212)が提唱されました。それを他力と言いました。きちんと言えば“他力本願”あるいは“本願他力”と言われるものでした。 | |
◆◆ 提 言 集(001)◆◆
浄土真宗にようこそ(002)
浄土真宗にようこそ(003)
浄土真宗にようこそ(004)
浄土真宗にようこそ(005)
浄土真宗にようこそ(006)
浄土真宗にようこそ(007)
浄土真宗にようこそ(008)
浄土真宗にようこそ(009)
浄土真宗にようこそ(010)
浄土真宗にようこそ(012)
浄土真宗にようこそ(013)
浄土真宗にようこそ(014)
浄土真宗にようこそ(015)
浄土真宗にようこそ(016)
浄土真宗にようこそ(017)
浄土真宗にようこそ(018)
浄土真宗にようこそ(019)
浄土真宗にようこそ(020)
浄土真宗にようこそ(021)
浄土真宗にようこそ(022)
浄土真宗にようこそ(023)
浄土真宗にようこそ(024)
浄土真宗にようこそ(025)
浄土真宗にようこそ(026)
浄土真宗にようこそ(027)
浄土真宗にようこそ(028)
浄土真宗にようこそ(029)
浄土真宗にようこそ(030)
浄土真宗にようこそ(031)
浄土真宗にようこそ(032)
浄土真宗にようこそ(033)
浄土真宗にようこそ(034)
浄土真宗にようこそ(035)
浄土真宗にようこそ(036)
浄土真宗にようこそ(037)
浄土真宗にようこそ(038)
浄土真宗にようこそ(039)
浄土真宗にようこそ(040)
浄土真宗にようこそ(041)
浄土真宗にようこそ(042)
浄土真宗にようこそ(043/01.01)
「二」という数字の続きです。
曇鸞大師には、「往還二回向」という大切な言葉が残されています。
世親菩薩の「入出二門」の回向を承けて、曇鸞大師の浄土論註に述べられたものは他力回向でした。
その回向に往相と還相の二つがあるというのが、その大切な仏道体験でした。
仏道は釈尊を始めとして、他力が本義だったものですから、それは出世間道だと示されていました。
我々凡夫が、ブッダ如来の根源的救済の事業に預かるのを、往相回向と示されています。
他力ということは、我々の本源を仏道そのものが促してくれているということなのです。
そこに如来あるいは、仏道全体の行があるのです。
我々の往相と還相を催す大行を、曇鸞大師は如来の二回向なのだと示されました。
無量寿経あるいは浄土論に触れるまでの曇鸞大師に、決して問題にならなかった言葉が「二」です。
この場合、曇鸞大師にとって大切な善き人菩提流支があり、世親の願生偈がありました。
もっとも、龍樹菩薩の十住毘婆沙論も忘れることはできません。
そういう歴史を貫く事業は、そのままに如来あるいは仏道そのものの大行なのです。
そのような行に促されて、曇鸞大師に仏道の感動が訪れました。
遥かに歴史を縫って、無量寿経の仏道が出現し・世親菩薩の相応行がありました。
それらが曇鸞大師を包んで、遥かに全宇宙まで見渡されるサンガ世界が開けてきます。
如来本願の行が荘厳する世界には、三世十方のブッダたちも包まれています。
「四海のうちみな兄弟だ」と、そのサンガ世界を曇鸞大師は見つめています。
「眷属は無量である」とも、その言葉は続いています。
阿彌陀仏の浄土とは、あらゆる衆生世間を課題にしたものなのではないでしょうか。
曇鸞大師にとって、その救済とは総ての衆生とともに救われるという大きなものでした。
この救済をもたらすものが、「往還の二回向」という如来の行だったのでした。
浄土真宗にようこそ(044/01.02)
「二」という数字を、しばらく追っかけてみます。
道綽(562-645)禅師がおっしゃった大切な言葉が、「聖浄二門判」です。
聖道門と浄土門の二つが、際立って明確に違った仏道を意味しているというのです。
禅師と呼ばれた道綽が、長年求めた仏道の結論に出あったのは、玄中寺においてでした。
禅師は、何歳で玄中寺を訪れたのでしょうか。
中国の仏教を学んで、かなりの歳月を費やされたはずです。
そして玄中寺で見たもの。それは感動的で、禅師の生き方を一変させるものでした。
仏道は聖道なのですが、はたして中国の仏教が聖道か…、大きな疑念が沸きました。
自力の聖道ということは、実は成り立たないのです。
ブッダが歩き、サンガがともにしたがった大道が聖道です。
釈尊は、サンガとともにその聖道を「中道」とも表現されています。
苦楽の二辺を離れたが故に、その仏道は中道だというのです。
苦行(苦しい生活方法)によったものでもなく、楽行によったものでもないのです。
仏道は、世間の法を超えて、真実の智慧で開かれているからです。
そのことはインドでは自明のことでした。が、中国では、智慧・神通という言葉が邪魔します。
仏道は、智慧で開かれ神通で展開されるものなのです。
それが分からないと、仏教は遥かに遠い哲学になってしまいます。
道綽禅師も、そのような遥かな哲学を学んでいたのではないでしょうか。
が、一転して、玄中寺のサンガを見つめました。
そこには曇鸞大師が生きられた仏道が、リアルに知られるものがあったのです。
「浄土門」と禅師は呼びましたが、大きな阿弥陀仏の本願のサンガ世界を見つめるものでした。
「連続無窮」の智慧と神通の展開が、そこにはありました。
神通は、智慧の深みを言います。元の言葉はアビンニャで、智慧のンニャを超えたものです。
禅師は、中国の大地に展開する本願の業績を、感嘆して見つめられたのです。
如来本願の仏道を、改めて浄土門と名づけられて、中国流の聖道門と区別されました。
聖道・浄土の二門の判定は、一人の中国人の智慧と神通の展開が語ったものなのです。
浄土真宗にようこそ(045/01.03)
「二」という数字は続きます。
善導大師には、たくさんの「二」があります。
「二河白道」・「定散二善」・「二種深心」などが、すぐに思い起こされるでしょう。
多くは「観無量寿経」に基づかれて、これらの説が展開されています。
今は、「二種深心」を追及してみたいと思います。
いわゆる「1.法の深心」と「2.機の深心」のことです。
この二つは、実に世界の宗教にとって大切な信心の問題を提供しています。
ただ、大切なことを一つ忘れてはなりません。
それは、善導大師の教学の根底を、他力本願の行が促しているということです。
これを見落とすと、大師の教学は極めて個人的な体験で終わってしまいます。
善導大師は、玄中寺に実在した阿彌陀仏のサンガに出遇い、サンガに育てられた人です。
決して個人体験を主張されたものではないはずです。
世界の人類が、大きなサンガとして仏道を生きる、そういう如来の行に応えて…、
大師は「二種の深心」を語っておられるのです。
その「法の深心」こそ、阿弥陀仏の行の展開を大きく確認するものです。
そして「機の深心」は、その行に呼応して人間存在の根底までを尋ねるものでした。
ここに我々も含めて、人間の存在の事実を尋ねる確かな方法が見えてきます。
人間の存在は、尋ねれば尋ねるほど迷路にはまってしまうものなのです。
それは、存在を超えたロジックが欠けているからなのです。
けれども善導大師は、世界で初めて存在の超越的なロジックを駆使されました。
まだ、7世紀半ばの大唐のはじめの頃の事でした。
勝れた存在の探求が既に世に公表されていたのですが、それを学ぶことは至難の時代だったようです。
如来の行に応えて、人間存在の実存を確認して揺るがない。
そういう仏道が、善導大師から始まっていたのでした。
二種の深心は、仏道に基づいた人間存在の確固たる尊厳を誇るものでした。
浄土真宗にようこそ(046/01.04)
「二」という数字が、七祖にはついて回ります。
善導大師の場合は、実にたくさんの「二」があります。
今回は有名な「二河白道」を見つめてみましょう。
東西を流れる百歩ばかりの河ですが、その中間に道が見えていても、南北に火と水が遮っています。
四五寸の白道は、この水火にあおられているのです。
この白道は、実は信心の風景なのですが、実に危うい形に示されています。
火と見える南の半分は瞋恚だと言われていますし、北の荒波は貪欲だと設定されています。
実に象徴的な譬喩ですし、由来世界的に有名な譬喩だと評価されています。
東の岸では、一人の行者が追いつめられてゆきます。
群賊悪獸が、次第次第にその人を攻め立ててくるというのです。
現代の人が、いかにその尊厳を失墜させられているかを考えれば、何かその意味が浮かんできます。
追いつめられた行者は、ついに決断を迫られます。
「すでにこの道あり、必ず度すべし」と、その決断は固まって来ます。
と、その時になって初めて真実の声が聞こえてきます。
「仁者(きみ)ただ決定してこの道を尋ねて行け。必ず死の難なけん」
と、これは釈尊の声でした。そして…、
「汝一心正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん」と、西岸の人が呼びかけます。
この三人の言葉は、実によくぴったりと呼応しています。
人間の究極の場面には、規を一にした言葉が求められてくるのではないでしょうか。
白い道は、か細く儚いものに見えているのですが、今はこの道しかないのです。
で、その道は…、実はその人そのもののことなのではないでしょうか?
その人がその人を生きている、その状況自体がみんな細く頼りない道なのです。
敢然として、自己を見つめてほとんど絶望的だったその人は…、ほんの僅かずつですが歩き始めます。
背後には、彼を呼び戻そうとする無数の叫びが聞こえています。
けれども、彼はみごとに渡りきって、二人のブッダ如来と伴に喜びを交わしてゆくのです。
ほんの須臾(僅かの時間)だと、書かれています。
「須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難をはなる」とあります。
何故にそれは須臾だったのでしょうか。答えは簡単なのですが、お分かりになるでしょうね。
決断をしたその人のその決断は、実はその人自身を確認していたのです。
荒立つ水火の二河も、実はその人自身だったのです。
同じように、群賊も悪獸も自らが落ち込んだ幸せ追及型の生活のことなのです。
長さ百歩の白道は、実はその人自身の永く逡巡していた心もとない歩みだったのです。
そして今やその人の歩みは、自らを引き受けて歩む仏道に基づいたものに変わっていたのです。
勝れた譬喩ですが、善導大師の言葉をよくよく味読してゆきたいものです。
浄土真宗にようこそ(047/01.05)
源信(942-1017)僧都の場合、明確な「二」という数字があります。
「報化二土正辨立」と正信偈にあります。
「報土」と「化土」は、真実の国土を際立たせる大切な問題です。
源信僧都は、出世コースを捨てて横川で学び続けられた人でした。
懐憾(えかん)禅師という、唐の時代の・善導大師のお弟子さんの流れを大切にされました。
横川で学ばれる僧都には、新鮮なサンガが見えていたのではないでしょうか。
それは中国の善導大師の生きられたサンガと、しっかりと直結するサンガです。
横川に住まれてはいても、源信僧都の世界は大きく仏道の歴史に開かれていました。
共に同じサンガとして、共に本願荘厳の世界に向かう。
ただひたすらに、誤って「化土」に生まれることの痛みを語られました。
対するに「報土」は、本願によって開かれ本願に生きる人々の大きな世界です。
この世界に、釈尊をも諸仏の一人と数えて、三世十方の諸仏たちが参加しています。
仏教の歴史を貫いて、龍樹菩薩も世親菩薩も曇鸞・道綽・善導も生まれられた世界なのです。
源信僧都の生きられたサンガは、「報土」という本願に酬報した世界なのです。
対するに「化土」は、自力我慢の思索で固めた世界であって、狭く小さく暗いものでした。
本願という如来の精神によって展開されている、浄土と呼ばれる巨大なサンガ世界。
それは人類に開かれた、巨大な生命交流の世界なのです。
仏教だけではなくて、いやしくも深く宗教に志す人があるなら…、
改めて巨きな生命交流の世界を考えてみたいものです。
本願に基づいたサンガ、それは仏道が至りついた究極の世界なのです。
無量寿経だけが語っている世界ですが、この経典によって龍樹・世親の二菩薩が生まれました。
「十住毘婆沙論」や「浄土論」は、無量寿経に即して開かれた論でした。
この二つの論を語った二人は、小さな論者ではありません。
勝れた論者ではなくて、むしろ大きなサンガにつつまれる一人の念仏者なのです。
が、こういう念仏者こそ、かえって大きく世界に意味をもつのではないでしょうか。
源信僧都の生きられたサンガは、みんなが帰り着く「報土」でした。
浄土真宗にようこそ(048/01.06)
法然上人の場合は、やはり自力を捨てて他力本願に立つということでしょう。
「二」というよりは、「一」が確立した人だったと言うべきかもしれません。
「偏依善導一師」とまで言われた人でした。
他力の伝承は、しかしながら日本でも中国でもほとんど見えないものでした。
不思議といえば本当に不思議です。
けれども、それは今日でも事情はほとんど同じなのです。
曇鸞大師が他力を提唱されたものの、これを知る人は限られていたのです。
法然上人が比叡山の学びを学んでいる限り、他力はまともに見えなかったのです。
それが見えたのは、全くの僥倖だと語られています。
黒谷の経蔵で、上人は身命を賭けるかのように、一冊の書物を探し当てられたといいます。
けれども、仏願に順ずる一道が開かれて、上人は選択本願の念仏にゆだねて生きることになります。
それからの法然上人は、大きな阿弥陀仏のサンガの一人として活動されます。
曇鸞大師の「自力・他力」と、道綽禅師の「報化二土」を手本にして…、
法然上人の新しい歩みが、時代を超えて人々に支持されて始まりました。
善導大師の「機法二種の深心」も、上人の生涯の指針でした。
『二」という数字は、法然上人の場合は歴史を承けたものだったのではないでしょうか。
遥かに龍樹・世親の、『難易二道」も「往還二回向」も上人の資産になったのです。
歴史の資産を、上人は公開してゆかれます。
今日の我々が、仏教の勝れた方法を難なく利用させてもらえるのも、上人のお陰ではないでしょうか。
いずれにしろ親鸞という人から見た時、法然上人は本願の行の権化だったのではないでしょうか。
法然上人を見ていれば、そこには遥かな如来本願の行が見えていたのです。
その他力の行に促されて、弟子たちは大きなサンガを確信したはずなのです。
浄土真宗にようこそ(049/01.07)
親鸞聖人には、七祖という善き人々が見えていました。
歴史を貫くサンガの人たちです。
善き人法然上人との出会いは、本願の行との出遇いでしたが…。
次第に善き人々が確認されてくると、七祖の姿を借りた如来の行の顕現が見えてきました。
七祖は、そのままに如来の行の代表者たちなのです。
法然上人との出遇いで、親鸞には生まれる世界が確定していました。
「たとえ人がどう言おうとも、御一緒に生まれる」という覚悟がそれを物語っています。
「上人のわたらせ給わんところには、人はいかにも申せ、
たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも」(恵信尼文書)
行くのだと仰せられたと、80才をこした恵信尼公は書き記しました。
善き人の行く世界は、親鸞も共にする世界です。
そして善き人々の行かれた世界も、実は同じ阿弥陀仏の世界だったのです。
七祖と言いますが、これらの七人は無量寿経の本願に生きた人たちでした。
それは言い換えれば、阿弥陀仏が七人の姿を借りてその如来の行を実践しておられるのです。
ですから親鸞聖人には、常に如来の大行との触れ合いがありました。
七祖を学ぶことは、如来の大行との新鮮な出遇いでもあったのですから。
そして親鸞には、自分の周辺に共に生きて生まれる世界を共有する人々もありました。
サンガの世界は、歴史を縫いながら、しかも現実に真実世界を展開するものだったのです。
善き人と善き人々の集う世界、浄土は生きて展開する具体的な世界なのです。
「大般涅槃を超証する」(信巻)と言われる世界は、七祖たちの生きられた世界です。
「無量の光明土」(化身土巻)は、釈尊以来のサンガたちが確認してきた世界なのです。
浄土真宗にようこそ(050/01.08)
日本語には、仏教語がふんだんにちりばめられています。
インドの言葉から、翻訳された中国の言葉、更には南の国々からもそれらはもたらされています。
なのですが、おしなべて仏教語は本来の意義を失っています。
人生にとって重要度の高い言葉ほど、頻繁に使用されてはいるものの、
かえって本来の意味が浮かんではこないのです。
涅槃・仏陀・釈迦・極楽・阿彌陀・他力・本願・往生…。
などとなど数えても際限がありませんが、使用に耐えない言葉になっています。
覚悟という言葉もそうです。
覚悟するというのは、決してあきらめるということではありませんね。
覚悟するというのは、もともとはブッダが生きられたその生き方を共に生きることです。
仏弟子たちは、親しくブッダに接してその人生の覚悟を定めました。
覚も悟も「さとり」のことなのですから。
数えきれない人々がブッダと同じ精神を確保していたのです。
それに覚悟という言葉には、変な力みもなかったはずです。
自然に、道理のままに、大きく生命の事実に覚めたのです。
その最初の覚悟が、「宿明智通」と呼ばれるものです。
生命の分厚な歴史とその尊厳を見いだしたとき、人は覚も悟も見つめているのです。
そして、その人に広がりが見えて来ます。
それが「天眼智通」なのですが、この言葉も本来の意味を失っています。
天眼とは神のような眼という意味ですが、正しく人が人の広がりを見つめるのです。
ブッダにも比丘たちにも、この二つの智慧が確認されていました。
この二つの智慧が確保されて、人は煩悩のただ中で煩悩を主体にしない生き方を生きます。
それが「漏尽智通」と呼ばれていたのです。
これら三つの智通が、実は覚悟の内容なのです。
生命の尊厳と、生命世界の広がりを見据えて、人は世に在りなから世を超えるのです。
それが覚悟した人の、実に豊かな人生になってゆきます。
浄土真宗にようこそ(051/01.09)
仏教の基礎について、随分問題になる言葉があります。
たとえば四聖諦ですが、苦と集と滅と道いう四つの聖なるサトヤ(諦)なのですが…。
「苦」と言う言葉が、インドでは考えられない展開を示しました。
中国とか日本では、「苦」という文字通りの意味に解されます。
が、ブッダやサンガが、苦痛を聖なる覚りと受け止めていたのでしょうか?
人生は苦だというのも、ブッダの教えではありません。
そんな聖諦だったら、五比丘たちは一週間もかからないで一度で分かったはずです。
なのに彼ら五比丘全員が覚るためには、全部で二週間かかっていたと言われています。
アンニャコンダンニャという人が覚るのに、一週間もかかっているのです。
ブッダのこの時の説法は初転法輪と呼ばれていますが、二週間語られ続けたものなのです。
苦も集も滅も道も、翻訳された文字で考えられない意味を持っていたのです。
学校では、教える人も学ぶ人も苦は苦と教えられます。
なのにもともとの苦の原意は、“dukkha”というものでした。
「考えられないもの」という意味なのです。
もっと大切にそれを言い直せば、「説明しがたいもの」という意味なのです。
「生・老・病・死」は、苦ではありません。
これを苦だと教えられ、学んだところで何がえられるのでしょうか。
思いを超えた存在の偉大さの証拠、この四つのdukkhaをブッダは諦(サトヤ)として教えられました。
いわば存在の尊厳をたどる手がかりが、誰にでも与えられている「生・老・病・死」なのです。
人生は苦なのではなくて、我々の思いだけでは簡単にとらえられないものだというのです。
真実の道理(諦)に即して、この身の尊厳が見いだされます。
思いを超えた四つのdukkhaを手がかりに、生存の意味を見つけるのに二週間かかったのです。
そして五比丘たちは、ブッダがそうであるような尊厳に覚めます。
「この時地上に6人の阿羅漢が存在した」と仏伝は伝えています。
ブッダも五比丘も、伴に偉大なダルマ(dharma)に基づいて平等に居並んでいたのでした。
そのダルマの肝心な一点こそ、「縁起の教え」だったのです。
縁起の法は、ブッダが世界に始めて説かれた人間存在を明らかにする教えでした。
それらの教えに生きるサンガが、大きく動き出したのでした。
浄土真宗にようこそ(052/01.10)
智慧という言葉は、まず間違えられることのない言葉です。
が、神通となると、ほとんど絶望的です。
けれども、この神通を正しく理解しないと仏教が分からなくなってしまいます。
智慧第一の舎利弗と、神通第一の目連。
実在の仏弟子が、二つの徳目において第一とされています。
小乗の覚りですからね、と軽くあしらうものなのでしょうか。
神通という言葉は、決して奇妙な特殊な超常現象ではありません。
目連尊者が、そんな人だったという記述は何処にもありません。
当時のサンガには、目連尊者がどういう人であり、
どういう生き様を持つ人であるかは、善く知られていたはずです。
漢字では神通は特殊な意味を持ちますが、パーリ語ではアビンニャといいます。
それは智慧の「ンニャ」に「アビ」がつけられた言葉なのです。
阿鼻地獄という言葉がありますが、その阿鼻です。
さらに重い地獄が阿鼻地獄なのです。
ですから神通は、更に深い智慧を意味しています。
目連尊者は、舎利弗と並ぶ智慧の人なのですが、もっと深い人だったと考えられます。
更に、サンガの人々は、おしなべて六つの神通を獲得したと言われています。
舎利弗も摩訶迦葉も最後のアーナンダも、実は同じ智慧の深まりをもっていたのです。
48の本願の中にも、六神通がきちんと載せてあります。
その六つの神通の中から、特に三つを選んで三明と言います。
「宿明智通」と「天眼智通」と「漏尽智通」の三つが、彼らの新しい精神だったのです。
学校で習っても、教える側でも、神通は追及されることはありません。
ということは、仏教の中枢を放棄してしまうのです。
智慧が開けて、神通が展開する。
ここに、自在に生きるサンガの姿があるのですが…。
自らに覚り、自らに覚りの人生を生き抜く。
それが神通(アビンニャ)という言葉が物語る、大切な事実だと思われます。
浄土真宗にようこそ(053/01.11)
真実の宗教というものは、秘密がなくすべてが公開されています。
仏教の覚りでも、すべてが明らかに記述されているものなのです。
覚り・信心・実践行としての念仏などは、すべて智慧と呼ばれるものです。
ブッダの時代には、智慧は「重荷を下ろして生きる」状態をもたらすものでした。
そして更に神通が、人々に実現したと言われています。
神通は、文字にだまされないで下さい。更なる智慧とか、智慧のまた智慧という意味ですから。
智慧によって人は覚めますが、神通によって極めて個性的に自在に生きます。
そして、覚りには四つの段階が語られています。
1.預流果・2.一來果・3.不還果・4.阿羅漢果というステップでした。
しかしながら、最初の預流果でほとんど覚りは完成しています。人はもう迷わないのです。
後に大乗の聖者である龍樹も、菩薩の第一歩である初歓喜地と預流(初)果が通じ合うと言いました。
というよりは、基本的にこの二つに違いがあるはずがないのです。
龍樹の悟り・菩薩としての自覚と、預流果は質的に同じはずなのです。
違っていたら、それはもうどちらかが仏教でなくなります。
その最初の預流果に、三つの明かりと呼ばれる神通が確認されます。
a.「宿明智通」とb.「天眼智通」と、そしてc.「漏尽智通」の三つです。
その宿明智通こそ、覚りの遥かな世界背景です。
言い直すなら、生命の本源を見いだして、本来の人間の尊厳が確認されているのです。
龍樹にも、そして遥かに飛んで親鸞にも、生命の深いは把握がありました。
「たまたま行信をえば、遠く宿縁を慶こべ」という言葉は、生命の尊厳を確認したものです。
それは、真実の流れに預かった・預流果の実体験と言ってよいものなのです。
ブッダも仏弟子も、そして遥かに龍樹や天親たちにも、同じ感動が確認されていたものでした。
預流果の智慧を開くと、古くは三明と呼ばれた「神通」が自然に開かれるのです。
1.生命の本質が見えて、人間の尊厳が確保されます。(宿明智通)
2.そして、まわりを正しく大きく見直します。それが天眼智通なのです。
3.そして煩悩主体で生きてきた人生が一変します。
それが漏尽智通なのですが、煩悩はなくなるのではありません。
煩悩にだまされない、そして本来の人間の確かな大地が明確に見つめられているのです。
浄土真宗にようこそ(054/01.12)
1.預流・2.一來・3.不還・4.阿羅漢、という覚りのステップを考えています。
1.預流果というのは、覚りの第一だとずっと公開された言葉です。
なのに、こういう重要な言葉が、どこで大切にされているのでしょうか。
「預流」というのは、仏道の流れに預かったという言葉です。
曽我量深先生の言い方を借りるなら、仏道の伝承する歴史に参画したということです。
釈尊だけではなくて、実に無慮無数の人々が、この流れに参入しました。
そういう人々を、正しくサンガと呼んだのです。
そして2.一來ですが、覚りの状態の第二番なのですが、これがちょっと愛嬌があります。
人は、誰でもなのかもしれません、もう一度覚りから突き放されるのです。
一來という文字のように、もう一度戻るような状態です。
けれども、覚りが消えたのではなく、このような人たちでも世俗には決して迷うことはありません。
真実の尊厳を一度でも知っているなら、偽物にはもう迷わないのです。
この状態は、例えば「歎異抄」の第九章の唯円にも示されています。
「踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと…」
と唯円は言っていますが、感動が失せたものの、仏道においては迷いはありません。
あの踊躍歓喜は、記憶にまざまざと残っているからです。
けれども、それが記憶であるかぎり、唯円を感動させないのです。
感動は唯円を超えて、そして唯円を浮き彫りにしてくれたのですが…。
唯円は、自分で感動する状況を忘れているのです。
実は、覚りも感動も、我々の思いを超えた体験です。
それは記憶のような人間の内面的な、狭い状況からは生まれないのです。
歎異抄の第九章では、師の親鸞がとつとつと語って聞かせます。
それは「如来の行」というものを、諄々と語るのです。
それはいわば、仏道の分厚な伝承の歴史成果を諄々と語ったのです。
ずばり親鸞が語ったものは、如来の行そのものでした。
つまり他力の仏道の、連綿たる歴史の事実を語ったのです。
そういう歴史との出遇いで、人は自らに仏道の流れを回復するのです。
そこに、深い生命観感動が沸き上がります。
2.一來とは、もう一度自らに歓喜を確認できるまでの短い期間を言うのではないでしょうか。
浄土真宗にようこそ(055/02.01)
浄土真宗と言っても、基礎的な入門も大切なのですが…。
その純粋であり偉大な足跡を学ぶことは、ことさら大切なことです。
道綽禅師が「安楽集」を書かれると、それに応じて善導大師が入門されました。
それから500年経過して、日本の法然上人が出られるまで、
浄土教の真実は、大きな仏教常識の枠にはめられたものでした。
善導大師というお方についても、正しい評価は失われていたのです。
現在でも、中国では善導大師の著作の大切なものは読まれていないのです。
読まれているものは、儀式執行の「六時礼賛」などに過ぎないのです。
実に厚い壁が、真実の仏道をくらましています。
親鸞が見つめた真宗は、一筋の大行の歴史でした。
如来の大行を龍樹が継承し、同じ大行に帰依して世親の「願生偈」が生まれています。
そして曇鸞大師は、このお二人の事業に覚めて他力本願の仏道を宣揚されました。
そして日本の源信・源空のお二人が、同じ大行の歴史の流れに立たれたのです。
それが浄土の真宗であって、偉大な宗教としてエネルギーに満ちたものでた。
500年もの間、大切な大行の展開はさまたげられていましたが…、
それは未だに仏教だけではない、世界の宗教の損失なのです。
親鸞が解き明かした仏道は、ブッダのレベルを失わない偉大な仏道でした。
人間の理性に収まらない、もっと大切な宗教だったのです。
人間の尊厳は、如来の大行に基づいてこそ確実に回復されます。
小賢しい知性による結論ではなく、人間存在の根源を明らかにしてこそそれは大道なのです。
浄土真宗は、単一の宗派ではありません。
それは仏教の中枢を明かし、宗教の現実を物語る永い学びなのです。
浄土真宗にようこそ(056/02.02)
学問というものは、理性中心の論議なのてすが…、
そういう理性そのものは、私たちの生存の深みには届かないものです。
理性も人間に大切な財産ではありすが、人間の尊厳を時には阻害するものです。
理性の発生する前に、人は生まれます。
気がついたら生まれていたのてすが、そういう生存の深さというものは理性を超えたものです。
ブッダが覚られた智慧というのは、生命の大自然の道理に基づくものでした。
宗教が馬鹿にされますが、キリストであれマホメットであれ理性より深いものを見つめていました。
理性には自ずから分限があるのですが、今日ではより大切なはずの智慧が疎んぜられています。
誰だって、その生命の尊厳には限りがありません。
理性に惑わず智慧に殉じてこそ、生きる感動がわき上がります。
「雑行をすてて本願に帰す」と、親鸞は如来の智慧の世界に生まれると言いました。
理性的な論述に迷った末に、出会った人間存在の真実を大切に見つめていたのでした。
あまりにも膨大な理性的な文献学から出て、親鸞は根源の願いに覚めたのでした。
そこで見たものは、連綿たる智慧の事業の確かな伝承だったのです。
同じ如来の事業が、同じ事業として人から人へ伝承されています。
「無量寿経」の回向という言葉が、世親から曇鸞へと流れます。
ここに時代が異なり、風土も違うのに、しかも同じ事業が発展的に継承されています。
このように人間に根差していながら、真実を逸らさない不滅の人間学が大切なのです。
親鸞の師匠である法然上人は、理性的な判断を否定して「不回向」と教えました。
ここにも、純粋な仏道というものが見事に継承されていると分かります。
理性の回向ではなくて、如来の智慧の事業としての回向、それが本当に仏教が教えるところでした。
浄土真宗にようこそ(057/02.03)
仏教がどこから始まったかということは、実は大問題なのですが…。
釈尊から始まったというなら、テストでは合格でしょうが…。
そういう釈尊を生み出した精神の背景は、一体どういうものなのでしょうか。
曽我量深という先生は、仏教精神の背景を遥か雄大なものとして語られました。
親鸞が見つめていた仏教は、学校で教えるような歴史では語れないものだというのです。
いわば大乗仏教が見つめていた精神世界というものは、ブッダ釈尊を生産するものでした。
ブッダを生産するような、そういう人類的な背景が仏教の真実だというのです。
古代インドにブッダが生まれて、人々はたちまちにブッダを受け入れました。
それまでは意識としては実際に知られていなかった人格です。
なのに人々はブッダを、まさにブッダとして承認できたのです。
こういうところに、ブッダ一人ではなくてインドの精神をあげて確保した仏道があります。
仏教は、民衆の存在根底からわき上がったものなのですが、同時に民衆も一緒にそれを確認していたのです。
仏教は釈尊に始まったのですが、釈尊からではなくて、釈尊を含めたインドの精神背景から生まれていたのです。
それはやがてインドだけではなく、広く中国や日本の精神に響きます。
生きている人間の、その存在の動機を尋ねて、人間精神の真実が開かれたのです。
そして一人のブッダが誕生したのですが、誕生されたブッダは根源的な生存の真実を語りました。
そして同じようにして、多くの生命がブッダ同様に輝いていったのです。
大乗の経典も、そういう精神の共同体が生み出したものです。
いわばサンガとその歴史が、経典を生み出しました。
ブッダがなされる事業を、サンガは歴史の中に継承しました。
ブッダ同等の精神が、澎湃として仏道を語ったのです。
仏教には、一人ブッダからはじまったのではなくて、ブッダを生む精神背景があるというのです。
それは時代にそって学ばれながら、かえってブッダより古い精神背景に遡ります。
大乗の時代に語られる諸仏とその世界は、釈尊を生み出す背景になった壮大なサンガなのだと言えます。
この意味で、仏教は古代インドを突き抜けた壮大な人間の精神・思想の背景から生まれたと言えるのです。
それはそのまま、全世界の人間存在の課題に答えるものなのでした。
浄土真宗にようこそ(058/02.04)
「例えば我々が声を聞くという場合、聞こうと思うことを前提として聞くのでなく、聞こえたのである。
一切の経験は創造された日のごとく新しい。
一つ一つの経験は新しく生まれる。予定や思いを超えて与えられる。
昨日も今、今日も今である。経験はいつでも今としてあたえられる。
如何なる苦悩も煩悩も新鮮である。それが意識というものは透明なものであるという証拠である」
という言葉を見付けました。
安田理深先生の「唯識三十頌」の講義(選集二巻)からです。
素晴らしく美しい言葉ではないでしょうか。
世親や、その兄の無著が表した人間の厳密な存在性、
それが玄奘訳の唯識三十頌に結実しています。
唯識法相の学問は、現在ではその真価が問われることはほとんどありません。
けれども、世親菩薩が明らかにされた人間の事実は、現代にこそ必要な追及ではないかと思われます。
人間精神の尊厳と、その存在の厳密な意義というものを明らかにしていることの大切さは…。
私たち一人ひとりの存在を明確に浮き彫りにしたものなのです。
15世紀もの隔たりをおいて、人間の存在の真実は今も放置されています。
しかしながら安田理深先生は、人類的な視野の中で無著・世親の学業を顕彰されました。
本来なら、唯識法相宗の方々のやるべき仕事なのですが、観光寺院にはそのよすがもありません。
世親菩薩は、説一切有部から学び初めて、ついには大乗の仏道を学びました。
ここに私たちは、世親菩薩が学ばれた仏道に基づいて、
人間存在の真実を回復して、現代の根源を問い直すことが出来ます。
真実の人間の事実とその行くべき道は、世を超えた道理に基づいて示されています。
世に潰されながらも、我々の誰だって求めている世界があります。
世親菩薩も参られた浄土、それは人間の根源に開かれたものなのです。
我々の日常の経験を通して、実はその存在の新鮮な感動から開かれるものがあると先生は言われます。
浄土真宗にようこそ(059/02.05)
浄土真宗という宗派は、そのまま仏教そのものだとは言えません。
けれども、浄土真宗という名前で語られているものは、親鸞が見つめた仏道です。
それはもうケタ違いの仏道を語ったものでした。
それは世を超えた真実を、だから貴重な真実を語っています。
私たちが世間に在るということは、世を超えた真実を確保できない宿命を持ちます。
私たち一人ひとりは、世に在るままに世を超えた存在だというのにです。
誰もが、世間の法則だけでは計り知れない深さをたたえています。
その不思議な存在の深さを、確実に語ってみせるものが必用なのですが…。
皮肉なことに、人は自らの存在を予感はしていてもなかなか見つめることが出来ないのです。
そういう存在の尊厳を見いだした人を、ブッダと言います。
あるいは、ブッダと同じ一道を往くサンガ(僧伽=samgha)と呼んで来たものでした。
ブッダとそのサンガは平等なのです。
ブッダはサンガを生み出してこそブッダでしたが、サンガはブッダと同じ道を歩いて、
そうしてブッダがブッダであることを証明したのです。
そういうサンガの歴史は、ブッダの事業の継承です。
ブッダの事業を継承するということは、ブッダの事業が常に展開し続けているということです。
そのようにブッダの事業が、今も生きて働いている、そういう事実を浄土真宗だと親鸞は言ったのです。
世に在る誰にでも、実はそういうブッダの事業が開かれています。
念仏・念法・念僧伽するところに、ブッダの事業に共に生きる道が開かれています。
諸仏の大法を念じて、人はブッダの大法に一挙に参画させられるのです。
無量の諸仏を包む、偉大なサンガ世界が浄土真宗の世界だと思います。
ここに一切衆生とともにという、生き生きとした世界があります。
浄土真宗にようこそ(060/02.06)
アーナンダという人は、第一結集が始まる直前になってその場から追いだされました。
追いだしたその人は、摩訶迦葉でした。
釈尊がみまかられると、自然の成り行きで迦葉がサンガを統理していましたが…、
「そのサンガにふさわしくない」という理由でアーナンダは追いだされるのです。
場所は王舎城の西の山、七葉窟のあるその山の上でした。
おそらく途方にくれて、アーナンダは山を下ったことでしょう。
が、一方では追いだした摩訶迦葉を初めとするサンガの全体が…、
ひたすらアーナンダが帰って来る事を待ったのです。
実は、アーナンダはブッダの説法は確実に伝承していたものの、覚りが実現していませんでした。
サンガの人々はは、そういうアーナンダを厳しく見つめていたのです。
何日かかったのでしょうか、アーナンダが帰ってきました。
仏道を体認して、聖者として帰ったのです。
そのアーナンダに、摩訶迦葉が言います。
普通ならブッダが座られる場所を指さして、「さあ座れ」そして「語れ」と言うのです。
「私はこのように聞きました(=evam me suttan)」と、アーナンダは語りました。
「如是我聞」とそれは漢訳されています。
サンガは、みんな同じ涅槃を共有していました。
アーナンダも、今ではその涅槃を生きる覚りを確保しています。
みんなが、同じ覚りを確認しながら、アーナンダが語るブッダの教えを味わいます。
いわゆる経典結集ですが、実はサンガにとって大切なことはもう一つありました。
それは、今は亡きブッダの、その今はないままに却って感じられるリアリティーでした。
そのブッダのリアリティーが、言い換えれば「真如法性身(永遠のブッダ)」なのです。
生身のブッダがなくなられても、真如から語り続けておられるブッダそのものが確認されたのです。
この時から「仏・法・僧」の三宝は、かえって新しく深い歴史を持ったのでした。
それが生きている仏教というものの真実でしょう。
そしてそれが、第一結集の本当に尊い意義ではなかったのではないでしょうか。
浄土真宗にようこそ(061/02.07)
キリスト教には立派な教義として、大きな神学があります。
その神学は、しかしながら厳しい批判くぐったものなのでしょうか。
中世から近代にかけて、神学は変貌せざるを得ませんでしたが…、
宗教としての本質的な批判を受けたことはなかったのではないでしょうか。
キリスト教を変貌させたさまざまな要素は、実はキリスト教と同じ立場の理性主義でした。
ですから、変貌しながらもキリスト教は本質的な批判を受けていなかったのではないでしょうか。
本来のヘブライズムのキリスト教は、パウロのローマ的な精神で大きく変貌しました。
が、底辺には人間に特有な相通ずる理性主義がありました。
つまりキリスト教は変貌はしても、その根源の精神は成熟してはいなかったのではないでしょうか。
そして神学が構築されて行きますが、古代から中世への成長過程の間にも理性主義が主流でした。
それは称賛されるべき事ではありますが、何かが根源的に宗教の本質を失わせていす。
理性主義では、本来の宗教は尽くせないものなのですから。
神学の中心は、不思議にもというか理性主義の当然の結果なのでしょうか…、
実はギリシャ哲学が基本になっていたのでした。
それもプラトンの哲学が主流だったのです。
現代に来たって、世界はキリスト教がリードしていますが、人類の本質は実に厳しく追いつめられています。
世界の人類が、理性主義で行き詰まっているのではないでしょうか。
こういう理性主義を、人間の独断だと批判する精神が、キリスト教にはないのでしょうか。
宗教が出現して、それが宗教として機能するかぎり、実は理性主義は乗り越えられるべきなのです。
翻って、仏教全体も大きな批判を受けるべきです。
龍樹・天親で築かれた大乗阿毘達磨は、実は途方もなく宗教的でした。
それは理性主義を徹底的に批判して、存在論的に人間を見つめていました。
理性でとらえただけの人間よりは、もっと根源的に一人ひとりはその尊厳を保持している…。
そういう超理性の宗教として、仏教は5世紀までにその学問は成熟していました。
無明を破るという、ブッダ以来の大切な課題をインド大乗は成し遂げていたのです。
この流れを、改めて見直してほしいものです。
浄土真宗にようこそ(062/02.08)
ブッダが語られた衆生という言葉は、およそ生命を持つものの一切を尽くすものでした。
が、それは漢訳されたかぎりの衆生といういうものとは、ものが違っていました。
インドでは、それはsattva(薩多)という言葉でした。
このsattvaは、実は「世に存在するもの」という意味でした。
つまりブッダは、人について語られたのでなくて、人として存在してるもののその存在の意義を語られたのです。
ですから、初転法輪で語られた説法は、たとえばそれが四諦であったとして…、
苦・集・滅・道が語られたのですが、何故に五比丘たちは最低一週間も分からなかったのでしょうか。
苦という問題は、実は問題の質を異にしていたのです。
「生老病死は苦だ」ということなら、一度で分かるものです。
五比丘たちが一週間、問題を把握できなかった理由は、ちゃんと考えるべきです。
今だから改めて言われるべきですが、彼らは存在論に面食らったのではないでしょうか。
「人生は苦だ」などということは、ブッダの宗教ではありません。
そんなものは、実に愚かな人生論でしかないではありませんか。
ブッダが語られた最初の説法は、あわせて二週間もかけられています。
五比丘たちが全員で真実を確認するまで二週間なのですが、それはむしろ早かったくらいです。
誰もが理性的にしか生きられないのですが、その理性を超えて存在は与えられている。
この一点を、ブッダは懇切に語られたのでした。
「生・老・病・死はdukkaである」と、ブッダは語りました。
翻訳すると「苦である」となりますが、ブッダはあくまでも「dukka」と言われたのでした。
「dukka」とは、「説明しがたいもの」という意味でした。
説明しがたいものとして「生死がある」、誰もが説明を超えて存在している。
その理性を超えた人間存在の証拠に、四つの「dukka」があるとブッダは語られたのです。
四苦と言われていますが、実はそれは理性を超えて存在している人間の真面目の証拠に四つあるというのです。
生死は、実は存在の偉大さを見出す大きな手がかりだというのです。
ここから仏教は、徹底的な理性批判を継承しました。
阿毘達磨(対法)と呼ばれていますが、それは徹底的な人間学でした。
そしてそれが、宗教と呼びうるものの伝承であり歴史継承なのです。
キリスト教世界などが、行き詰まるのは理性のゆきづまりではないでしょうか。
戦争が支配的なのは、理性の混乱から来ています。
人間の救済は、理性を超えてその存在の尊厳から見直されるべきなのです。
存在の真実に帰依し存在の真実者たち(ブッダとサンガ)に帰依する、そこに仏道の全体があります。
浄土真宗にようこそ(063/02.09)
観無量寿経を、善導大師は新しく読み直しました。
いわゆる古今楷定ですが、大師自からに深い自信がありました。
序文の読み方が、従来の理解とはすっかり変わっています。
韋提希というヒロインが、実業の凡夫と見据えられていますが、
その韋提希が救われる縁になるという格付けに、九品往生の姿があるというのです。
序文の中に、後の散善を導入する部分があるとして、大師は「散善顕行縁」と名づけられました。
序文なのですが、論をたてて序分という扱いです。
序文を分析して序分なのですが、はるかに終りに近い部分が散善です。
序文のなかに、散善の人々の救いを予定した部分があるというのですが…。
その「散善顕行縁」という言葉を、親鸞は「散善は行を顕わす縁なりと」と書いています。
これでまた、観経の理解が一段と深められています。
散善には如来の大悲廻向の行が語られている、と読み進めるのです。
つまり下品下生の人を救う具体的な大悲の行が、散善には語られているというのです。
上級の人(聖者)を救う教えは、本来の宗教ではありません。
何も出来ず、むしろ悪に親しむしかない私たち凡夫を、根こそぎ救うものこそが如来の大行です。
人間の実存を徹底して見せる仏道が、散善に示されているということになります。
善導大師の古今楷定を享けて、親鸞はより徹底的に人間の実存に迫る仏道を見つめました。
人間存在の事実に即して、偉大な仏道は現に働いているというのです。
普通には散善は、真面目な聖者には付録のようなものだと評価されていたのですが。
散善に示される凡夫を救わなければ、如来はその存在意義を失うのです。
如来の存在は、あらゆる衆生に向かって開かれたものでした。
凡夫が一人でも救われるなら、その凡夫が真実の如来を証明するのです。
それまでは、如来は如来であってもその存在の意義は無に等しいと言うべきです。
しかし、一人でも凡夫が救われたというなら、その如来の仏道は現に今も生きているのです。
浄土真宗にようこそ(064/02.10)
仏教が“苦悩の哲学”だという判断は、実際にはどれほど仏教理解を歪曲しいるか計り知れません。
同じことのように見えるかもしれませんが、苦悩を超える一点にしぼって仏道は学び続けられました。
「仏教の智慧は、純粋無雑である。論理や哲学はなお人間的である。
仏教の智慧は人間に同情のない智慧、一点の主観性をも混ぜぬ智慧である。人間に妥協せぬ智慧だけが人間を救う。
人間の解釈は、自己の立場が超えられぬから迷うのである」(安田理深選集第三巻)
という言葉は、実に仏教の学びの究極を言いえていると思われます。
ブッダの智慧を踏襲して、同じ智慧の学びを展開した仏教の歴史というものの貴重なことを思います。
“苦悩の哲学”という判断は、総ての仏教理解を閉じこめるものです。
仏教は釈尊以来、理性に拘泥するのではなくて、理性の固執を超えて真実の学びを開顕してきました。
理性を否定するのではなくて、理性の固執を乗り越える学びを継承したのです。
龍樹の「般若空」も、智慧の展開のままに有漏の理性を超えるものでした。
世親菩薩に代表される「唯識法相の学び」も、理性の横暴を徹底的に批判したものでした。
念仏は、日常的な低次元にも、真実の存在理解を一挙に与えるものだというのが親鸞の把握でした。
龍樹が示した般若空も、世親の突き詰めた真如法性の実現も、無漏の智慧の展開を語ります。
それは菩薩の重大な危機をも乗り越えるほどに大切なままに、凡夫の救済とは矛盾しないものなのです。
人は苦悩しますが、そういう苦悩の一々の対応的な解決を言うのではなく、
より根源的に誰の存在の尊厳をも解き明かすものが仏道です。
ブッダが救われたように、菩薩が救われる。
そしてもっと救うべき凡夫たちも、同じ道理によって救われるというのが、仏道だと思います。
特殊な人々が救われるのではなくて、智慧一つでの人間救済があります。
「智慧の念仏」といい「信心の智慧」といいます。
仏道本来の学びを、念仏という根源的な行が応えているというのです。
浄土真宗にようこそ(065/02.11)
仏道の目的は、一切衆生に仏果をもたらすことです。
しかも、その仏道は仏道から始まったものです。
大切なことですが、こういう所がおろそかになっています。
私に学ばれる仏道ですが、私にやって来る仏道なのです。
それは言わば「無漏」の行なのです。
「南無阿弥陀仏」も、何処から来たかと問えば、それは「無漏」の行です。
別の言い方では、「法界等流の法」なのです。
自分より小さな名号が、仏道の筈がありません。
が、実際には名号は、我々よりも大きな大行なのです。
念仏を唱和できないという人は、名号を自分より小さなものだと考えています。
けれども、私たちの百年の寿命に対して名号は永遠の歴史を孕んだものです。
それを本願の名号と、きちんと区別してきているのです。
世間の、何処にでも名号は行き渡ります。
が、その偉大な行を知らないとなれば、それは由々しい問題ではないでしょうか。
誰だって凡夫ですが、その誰だってを仏道に起たせようという本願が名号の父母です。
無漏が無漏のままに、私たちの日常に語りかけている。
そういう仏道を、七祖の歴史は語っています。
世親の「浄土論」と「唯識の論」は、接点が無いかのようですが…。
実は仏道実現の要点は、実によく調和しています。
信の成就と、菩薩の仏道実現は、実は内容的には酷似しているのです。
そういう背景を教えてくれる学びがあります。
安田理深先生の著作の数々は、素晴らしい仏道の真実を語り尽くしています。
我々現代の人々にまでやって来ている仏道を、確実に見つめたいものです。
浄土真宗にようこそ(066/02.12)
人には、ずっと尋ね続けているものがあります。
幾つになっても、さまざまな状況の中でも、何かが不満なのです。
例えば「世の中銭や」という人の言葉に、何か勝てないものなのですが…。
その言葉を言っている人も聞いている人も、何かが違うという思いをします。
分別(理性)の限りを尽くして生きているのですが、その分別の向こう側に何かを感じています。
そういう感覚のない人は、問題意識の欠落した人というしかありません。
理性(分別)というものは、人間の総ての文化文明の源泉なのですが不完全なのです。
誰もが感じる中途半端な気分なのですが、この気分は生涯にわたって尋ね続けるものです。
人は、誰もが分別に頼りますが、分別で包めないものがあります。
それが一人ひとりの生命の真実というものなのです。
生命というものは、決して理性では包めないのです。
ですから、理性を超えた所から生命は常に訴えかけます。
理性(分別)を超えて常に呼びかけている生命そのものの叫び、それを人は知っているのです。
理性を超えた生命の真実を、私たちはずっと探し続けているのです。
ブッダは、理性を超えて生命の真実に覚めたのです。
それは智慧と呼ばれていて、決して分別(理性)ではないのです。
分別の理解した世界把握を超えて、生命存在そのものが保持している真実をブッダは教えました。
それは理性が把握していようが、そうでなかろうがに関係なく誰にも充分与えられている真実です。
ですからその理解は、真実を把握したというよりは、本来の生命存在に覚めたというべきなのです。
「智慧の念仏」とか「信心の智慧」というのも、智慧の展開です。
分別に遮られている真実に、正しく入る手順(大行)を聞く。
聞法とは、人間の分別を超えた真実を見出す唯一の手がかりだと言われています。
浄土真宗にようこそ(067/03.01)
菩薩と呼ばれた人たちがいます。
彼らには、ちゃんとした内容が認められます。
それは自らに菩提を見出して、その菩提に応答して生きていたからです。
菩提(bodhi=仏道)の薩多(satta=存在者)というのがその姿を表明しています。
菩提とは、人間存在の究極の解答を言いますが…、
存在そのものの事実を求め、存在に覚めて生きるものでした。
菩薩という呼び方で、大乗仏教は忠実に人間存在を語ります。
自らに発した菩提を、彼らは自らに実践しています。
菩提心は、菩提を求める菩薩の学びを導いています。
その学びは、菩提心によって菩提を実現します。
実現される菩提には、菩薩を真如の存在そのものに立たせるものがあります。
存在している総ての人に、その存在の秘義を実現して見せる…、
そういう学びが、仏道によって人類に開かれています。
真宗では信と言いますが、凡夫に発しても、それは凡夫を超えて存在そのものに到達させます。
私たちは凡夫ですが、菩薩の行に呼びかけられて道を示されています。
永い膨大な仏道の成果が、私たちに呼びかけています。
浄土真宗にようこそ(068/03.02)
天親菩薩という人の足跡を思います。
ガンダーラ地方・プルシャプルに生まれた人でしたが、その生涯が暗示的です。
兄の無着は、早くから大乗を学ぶ人でしたが、天親は有部(sarv
stiv
din)から学び始めます。
そして国禁を冒してまでと言われていますが、経量部にも学びました。
現在のカシミール地方ですが、ここで学んだことが思想の成長を培いました。
ガンダーラ(現在のペシャワール)に戻って、倶舎論を著します。
部派仏教と呼ばれていますが、ブッダのサンガが追及した人間学の展開があります。
やがて兄の無着に呼ばれて、アヨデーィアに行き大乗のサンガに帰入します。
アヨーディアは、祇園精舎から真直ぐ南に80キロメートルほどの所にあります。
現在ではアヨーディアは、ヒンドゥー教の聖地として問題を投げかけています。
この地で天親菩薩は、本当に菩薩としての学びを確立します。
兄の教えた唯識の伝統を享けて、天親は精密な人間学を確立して行きます。
それは人間を徹底的に探求した、大切な学びでした。
いい加減のヒューマニズムではありません。
徹底した人間成就の大道を、完璧にまで追及したものでした。
それはあくまでも、人間の駆使する理性を拒絶して、ブッダの聖教を基準にして学ぶものでした。
ですから、それこそヒューマニズムという甘いものではなくて、厳しい人間学でした。
人間の狭い限定を超えて、人間存在の根底を明らかにする学びは大きな天地を開きます。
大乗仏教が生まれた、その根源の動機に根差して、天親の学びはありました。
理性の恣意で閉ざされる学びを厳しく拒絶して、大きな人類的視野でのサンガ世界を訪ねるものでした。
「唯識三十頌」は短い論文ですが、厳密な人間学ですし、世界精神の偉大な遺産です。
現代の文明は、改めて天親菩薩の学びを見直すべきだと思われます。
浄土真宗にようこそ(069/03.03)
「唯識三十頌」は世親菩薩の書き残されたものです。
その同じ世親菩薩の作られた「無量寿経優婆提沙願生偈」とは深い関係があります。
この「願生偈」の場合、語られている中身は「大無量寿経」です。
大きな問題が介在はしていますが、世親菩薩の精神の内景では「無量寿経」の世界と響きあっています。
入出二門と言われていますが、「入」という言葉の持っている意味は瑜伽の学びを踏襲しています。
「入」という言葉は、浄土に入るという言葉なのですが、それは智慧を獲得する状況を孕んでいます。
智慧は、理解するというよりは、この身に体得するという学びなのです。
浄土に生まれるということは、仏道の智慧に即した生き方を賜るというのです。
真宗で「住正定聚」と言いますが、この場合の「住」という言葉がうまい言葉です。
それはそのままに「十住毘婆沙論」の「住」にも通じます。
「入」そして「住」、更には「出」が信心の智慧の具体的実現の姿を物語っています。
世親菩薩の「入出」と龍樹菩薩の「十住」、そして無量寿経の「住正定聚」は同質の体験の筈です。
親鸞の学びにもまた、「三願転入」という言葉があります。
「入」「住」「出」の学びは、心理的な学びではなくて、存在自体の生存の在り方を特記しています。
理性の専横的な解釈ではなくて、更に深く広い存在自体の学びがここにはあります。
「入」かつ「住」するという学びが安心を決定しています。
安心は、理性的な判断ではなくて、不安のままで存在が学び続けられることなのだと知られることです。
意識を超えて、存在が学びの方向を持つ、それが一切の凡夫が往生できる大道なのです。
その生存の内景に、浄土と呼ばれる無量光明土があります。
唯識で言うなら、菩提・涅槃の実現が智慧の仏道の顕現なのだと言われることです。
世親菩薩の学びも安心も、実に親密に「無量寿経」の念仏と呼応していることです。
それはまさに、仏教そのものと相応していると言うべきではないでしょうか。
浄土真宗にようこそ(070/03.04)
「無量寿経優婆提沙願生偈」も世親菩薩の書き残されたものです。
「浄土論」とも呼ばれますが、これを読むには「成唯識論」が不可欠ではないかと思います。
同じ人の著述なのですが、瑜伽唯識の人であった世親を見誤ってはならないからです。
「浄土論」は、大切な述語などは瑜伽大乗の背景なしには読めないのです。
勿論、唯識と浄土の教えとは決して一致するものではありません。
が、世親が求め世親自らが願生した事実は、極めて大切です。
というのは、世親の願生には大乗の学びを確実に踏んだものがあるからです。
いわば世親の「願生偈」は、仏道の中軸を明らかにしたものがあります。
親鸞の教学とは、殆ど似ていないかのようですが、実は確かな学びが見えてきます。
浄土真宗として何か固まった教学を考えますが、もっと柔軟に考え直すべきものを感じます。
「無量寿経」の内容を、世親は29種の荘厳功徳の成就と書きました。
法然上人は、私たちのテキストとして三経一論と教えました。
その一論に、大乗の菩薩としての世親の眼差しがあります。
そしてそこには、世親菩薩の三転四転された人生を孕んでいます。
説一切有部から経量部へ、そして兄の無著に学んだ大乗菩薩道があります。
「願生偈」は、おそらく世親の最晩年に至りついたものではないでしょうか。
それ以前に、「倶舎論」があり「法華経論」もあります。
「成唯識論」には、その円熟した世親の確立された大乗の学びがあります。
世親と「無量寿経」には、深く洞察された背景があります。
真宗の信の前後や、信の確かな世界を着実に語れるものが世親の教学にはあります。
そしてそのことは、仏教界全体の着実な成果を正しくするものがあります。(続く…)
浄土真宗にようこそ(071/03.05)
親鸞の正信偈に「即証真如法性身」とありますが、珍しい表現です。
これは正統仏教の伝承をふまえた、世親菩薩の言葉から来ています。
ある意味では浄土真宗の教学との間に、すき間のある言葉に思われがちですが…。
一方で世親菩薩が歩まれ、その生存を通して学ばれた厳密な仏道は比類のないものでした。
最初ガンダーラの説一切有部で学んで、更にカシミールルの経量部で学ばれた経過はどうでしょう。
何か満たされない不信(迷い)と過ち(謬)を乗り越える経過が考えられます。
そして兄の無着(アサンガ)に強く誘われて大乗の人間学を学んで、到達したもの。
それが大乗・瑜伽唯識のサンガの学びでした。
その唯識の学びにおいて、世親菩薩は仏道の迷謬のない学びを語り上げました。
その学びにおいて、「真如法性身」を正しく獲得する大道を明かされています。
親鸞聖人は、そういう世親菩薩の学びをその身に感じておられたと思われます。
唯識の論ではなくても、「浄土論」に語られる世親菩薩の学びを見つめられた結果なのですから。
「真如法性身」とは、菩薩の獲得する仏道の真理の体得です。
けれども菩薩と言っても、求道の問題をもった人間のことに違いありません。
世親という人自身も、我々と同じ人間なのですから。
真宗で信心仏性といいますが、世親菩薩の学ばれた「真如法性身」を証することと響くものです。
問題は、世親の語られる菩提・涅槃の獲得に一度照らすということが大変大切だということです。
「信心を得る」と言いますが、真宗ではかなり杜撰に流れていないでしょうか。
信心を獲るとは何か、得られた信心はどういう内容をもつかについて、一般には随分あいまいです。
が、真如法性身を得るとは、確実な人間成就が導かれるものの筈です。(続く…)
浄土真宗にようこそ(072/03.06)
私たちの理性で捉えていると思っている存在は、実は「存在者」であって「存在そのもの」ではありません。
ということが分かるのは、二十世紀になってからのことです。
なのに、例えば龍樹菩薩の「般若空」とか、天親菩薩の「真如法性身」は、存在そのものを語ったものでした。
仏教は驚くべきことに、釈尊の初めから存在そのものを語っていたのです。
もともと「衆生」という言葉そのものが、“sattva”と言えばそこに存在する者という意味があります。
けれども中国でも日本でも、存在を考える受け皿がなかったのです。
で、「衆生」を文字面だけで考えて、それで理解したかのような風土をもたらしました。
こういう風土を突き破って、私たちの真実の存在を語るということが先人の冒険でした。
七祖は全部、そういう偉大な展開を受け継いだ人たちでした。
勿論、七祖だけではありません、ほかにも多くの先達がおられます。
けど、一般には存在を問うという問題意識すらなくなっているのではないでしょうか。
私たち(衆生=存在者)の救済は、私たち一人ひとりの存在そのものを回復する道程においてかなえられます。
「涅槃」とか「菩提」と言われていたものは、万法の根底になる存在の事実の世界を言います。
すでに法と言いますが、「法(dharma)」こそ存在の道理を言います。
そういう存在の道理に我々が相応してゆくところに、真如法性身を得るという学びがあるのです。
その場合、学びは頭脳ではなく存在が致しますから、「入」・「住」・「出」という文字で示されます。
「帰入する」とか、「帰命する」というのが、その学びなのです。
浄土とは、考える世界ではなくて、帰る世界なのです。
善導大師は「帰去来(かえりなんいざ)」と言われていますが、存在の故郷へ帰るという姿勢です。
南無阿弥陀仏とは、そういう存在回復の大行だと言われたら分かるのではないでしょうか。
浄土真宗にようこそ(073/03.07)
二十世紀のはじめ、我々の認識の厳密な反省がおきます。
意識の理解した認識に対して、もっと根源的な生在そのものの回復とその厳密な追及が始められるのです。
その集約者の一人にフッサール(Edmond Husserl 1859〜1938)という人がいます。
現代哲学や、人間学の基本はこのフッサール抜きには考えられません。
所が、このフッサールの学業が、実に瑜伽唯識の問題意識に酷似しています。
ということは、ヨーロッパが1600年もの隔たりを感じながら、仏道の根源を模索していると言えます。
唯識の目的は、人間の認識の根源的過ち(迷・謬)を正して、生存の真実を無限に追い続けることでした。
「盡未来際」の歩みが、仏道によって開かれていると世親菩薩たちは言います。
信心といいますが、智慧の歩みは未来際を尽くすものなのです。
現存在に、過去も未来も包んで存在の全体像が開かれてゆく。
それが信心の智慧の歩みであり、開かれた生命の浄土への往生の確定なのです。
フッサールが尋ねているのも、我々の判断の厳密な批判を通して、未来際を尽くす真実の存在追及でした。
誰もが生きて存在している、その存在そのものは理性を超えていますが、そういう存在を尋ねているのです。
入・住・出という把握の存在論的な視野はありませんが、欧米は始めて人間そのものを見つめ始めています。
仏教は、人間存在を因縁の道理として、理性を越えた実存(真実存在=実在)と語っていました。
そういう存在そのものを回復する歩みを、念仏は大行という名前で我々を運ぶのです。
フッサールの提言は、今も思想界では問題提起のままですが、仏道においては自明の実践が応答しています。
「念仏成仏自然なり」と言われていますが、ここに人間の深い学びがあります。
文化を標榜していた西欧が、業因縁を追及した存在学に共鳴していることは実に面白いことです。
浄土真宗にようこそ(074/03.08)
善導大師は7世紀に、画期的な仏道を語りました。
その善導を導いた人は道釈禅師ですが、この禅師も曇鸞大師の伝承に連なる人でした。
中国の三祖は、一貫して他力の仏道を語ります。
それが実に大切だったことは、世親のお兄さんの無着の学びに関係があることです。
「摂大乗論」という書物は、世親菩薩だけではなく7世紀の唐の時代に重用でした。
善導大師の「観経四帖疏」の冒頭に、瑜伽唯識や十地経の用語が沢山出てきます。
そういう大切な用語を駆使して、善導大師は中国仏教の過ちを覆します。
古今楷定と言いますが、決定的なことは存在の学を回復しているということです。
それまでも、そして今日でも、中国仏教の学びは理性の学でした。
が、善導大師の学びは、韋提希夫人に事寄せた人間存在の学びでした。
理性の学びは観念の学ですが、存在の学びは生存の本来を物語るものでした。
理性による観念の学びは、意識の内部事情に過ぎませんが…、
存在の学びは、およそこの世に生きるもの・存在する一切のものの意味を学ぶものでした。
仏道というものは、理性を超えた存在の道理を解き明かしたものだというのです。
言われてみれば、確かに仏教は教養の道具ではありません。
それは実に実践的であり、意識の暗黒に無尽の光明世界を開くものでした。
それは生存する生命の深いダルマを語り明かすものだったのです。
7世紀の長安、そこに現代の誰もが訪ねている人間の学びがありました。
画期的な仏道は、既に7世紀から開かれていたのでした。
言うならば他力の仏道とは、意識や観念を突き破った存在の学びだったのでした。
意識は、決して存在を把握出来ないのですが、誰もがこれを誤るのです。
意識の袋小路から出て、存在の大道を玄中寺の三人は語っています。
浄土真宗にようこそ(075/03.09)
二十世紀に入ってから、私たちの認識の問題が実体化されていることが判明しました。
フッサールが提言し、実存関係の書物が改めて見直されるようになったからです。
キルケゴールやニーチェ、そしてドストエフスキーなどが、人間の鮮烈なリアリティーを語ります。
対するに一般的には、認識は科学万能主義に走りました。
21世紀の現代は、その路線の中で低迷しています。
何も経済だけが落込んでいるのではありません。
人間の正しい認識が、根源的に問い直されているのです。
認識の実体化は、人間を浅く捉えます。
平均化を平等と呼びますが、実存文学では人間の深さを突きつけます。
けれども、どう深まればよいのか、人間をどのような深さで称えればよいのかが未だに未決定なのです。
名を成した多くの人たちがいますが、殆ど解決不能で混とんとしています。
真面目に学問は進んではいるのですが、そこには永い不毛が目立つと言うべきものがあります。
そして、この不毛は十六世紀もの永い思想界の流転の歴史でもあります。
深遠なる人間存在を正しく回復し、円満なる歩みを獲得する大道が未だに求められているのです。
世親菩薩の歩みは、十六世紀もの間隙を縫って日本にも伝承されています。
唯識法相の学びや、親鸞・道元の学びは、深遠なる人間の存在の充足を実現する学びです。
深遠とは、浅く疎外されている人間を、本来の尊厳へ呼び戻すことになります。
世親菩薩の性相学は、未来際を尽くす学びを人間に回復しようとするものでした。
そういう世親の学びが、「浄土論=願生偈」において謙虚な実践を教えています。
「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」という念仏がそれです。
換言して、これが広く用いられる南無阿弥陀仏なのです。
ここには、「帰命・南無」という動作として仏道の学びが示されています。
「入・住・出」という動作で示されるものが、仏道の学びであるようにです。
往生とは、こういう根源的に未来際を尽くしてよい学びを確認することだと言ってよいでしょう。
浄土真宗にようこそ(076/03.10)
「夜は深い、それは昼が考えたより深い」と、ニーチェが書いています。
いろんなことが言われていますが、幾つかのバリエーションを揚げてみましょう。
「人間は深い、それはシャバが考えたより深い」
「生命は深い、それは理性が考えたより深い」
「誰だって深い、それはその人が考えたより深い」
と、置換してみるといろんな問題が浮かび上がります。
ニーチェ(1844〜2000)は哲学することでその生存を勝ち取りました。
そのニーチェが亡くなって、二十世紀が始まりました。
言わば「昼が」夜の深さを無視して、勝手に世界を支配しました。
二十世紀は、血塗られた戦争の時代でした。
どんなにか生命が押しつぶされたことでしょうか、全く計り知れないものでした。
「一将功なりて万骨枯る」という言葉がありますが、惨憺たるものが今に続いています。
人間の存在は、夜の闇に隠されてはいても、誰もが抱いている宝石なのです。
世にあるものは、平等にその存在を求め続けています。
宗教とは、闇の世に「光あれ」と求める人々の深い世界です。
世親菩薩の学業も、四世紀以来人間存在の確立を確実なものにしています。
ニーチェが先駆して危惧した二十世紀の混乱を、私たちは二十一世紀に持ち越しています。
政治が日の当たる昼だというなら、一日いちにちを生きる庶民は夜の深さにあります。
圧倒的な多数を誇る庶民の切なる願いを、大きく掲げて行きたいものです。
{三位一体」などと言う言葉を、政治家たちが使っています。
殆ど宗教理解を感じられないこの言葉に、庶民は悲しくうなだれるばかりです。
一人ひとりの存在が内在している、深い人間の願いを昼は知らないとでも言うのでしょうか。
浄土真宗にようこそ(077/03.11)
世親菩薩の学びは、その生涯の歩みそのものでした。
それは「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」と言う言葉に全部宿されています。
「一心」という宗教精神が、「帰命」という仏道の姿勢に限定されます。
そしてそれは、「願生」という生存決定に極まっています。
説一切有部と呼ばれているサンガでは、「三世實有・法体恒有」と学びます。
経量部では、「意識はあるが意識のような外界はない」と学びます。
唯識の基本ですが、世親菩薩は「阿毘達磨倶舎論」を製作します。
が、その世親を大乗に転身させたお兄さんがいました。
アサンガ=無着は、世親を大きく転身させます。
世親の学びは、菩薩道によって大きく成長します。
仏道的な求道者として、そのままに大乗の菩薩としての生存が確保されます。
華厳の十地品に基づいて、その生命の学びが展開して、瑜伽唯識の学びも完結します。
そして、世親は更に転身して「無量寿経」の論を書き上げます。
ここで語られている世親の学びは、大乗によって包まれる総ての人間の救済でした。
それが「浄土論」ですし、ここに仏道の極地があります。
その冒頭の「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」こそ、
総ての人間の仏道的な救済の、そのリアリティーなのです。
「一心」「帰命」「願生」は、親鸞によって浄土教の原点として確定されています。
「一心」が「帰命」に限定されて、私たちも世親と同じ仏道に在ります。
そして「願生」が、他力信心の究極的な生活になります。
如来のスケールでの人間の大乗的な歩み、それが他力と呼ばれる仏道実践です。
それは救済の歩みなのですが、私たちを凡夫に突き落としている総ての問題を踏みしめるのです。
「願生」とは、凡夫を果てしなく如来の仏道に転身させる歩みのことだと言えないでしょうか。
浄土真宗にようこそ(078/03.12)
「願生」という言葉は、世親から始って親鸞へと繋がっています。
同じ仏道の課題が連続しているのです。
それは、如来本願に委ねられた偉大な求道の歩みのことです。
四、五世紀に確立した学びが、一貫して世界の人間に同じ課題を投げ掛けています。
七祖たちの伝承は、同じ如来の行の継承です。
そして世親の「願生」こそ、求道の極みだと言えるでしょう。
親鸞は、こういう歴史継承を大切に見つめた人でした。
世親の「願生偈」には、「パリナーマ」という言葉が「回向」と書かれています。
翻訳の違いなのでしょうが、ただそのように済ますことのできないものを秘めていいます。
親鸞の時代では、この言葉は気付かれていませんでしたが…。
世親菩薩の「パリナーマ」という言葉は、もともと「転」という言葉です。
さて、「パリナーマ」は、どう受け止められるべきなでしょうか。
「転」なのか「回向」なのか、随分問題を孕んでいます。
菩提流支三蔵が訳した「回向」は、世親の「無量寿経」との出遇いの実際を物語っています。
これが「転」だと意識の問題だけになりますが、「回向」だと世親菩薩の存在の全体にかかるものになります。
ということは世親菩薩ご自身も、「無量寿経」で新たな転身を遂げられたと見ることも出来そうです。
すくなくとも「願生偈」において、親鸞は世親の「願生」という転身を大切に見つめています。
それは確かに「転」なのですが、またそのまま「他力回向」に帰入されている姿でもあります。
おなじ「パリナーマ」という言葉ですが…、
翻訳の違いのようでありながら、世親その人の「無量寿経」の世界との深い呼応が見られます。
これが世親菩薩の事業でありながら、七祖としての同一の如来行推進の事業でもあります。
浄土真宗にようこそ(079/04.01)
バーミヤンの大仏が破壊されて、空しさが残っています。
これを阻止しようとした物語が、NHKから放映されました。
それなりに悲しい物語でした。
なのに、何かこれに似たものが日本の現代に感じられます。
それは、文部省の宗教政策です。
学校では、一般には宗教は歴史のかすかな残滓としてしか登場しないのです。
これがどうも、見事に大仏破壊と同質なものではないかと考えられます。
教育は、理性のみを鍛練します。
が、生命に根差した叡知は忘れられています。
国家に有用な人間が必要だとしても、その前に健全に生きる人間こそ大切なのです。
それは理性の届かない、人間存在そのものの尊厳を見落としたものがあります。
もっとも、卑俗な宗教は理性を汚したりします。
が、少なくとも現代だけではなく、永遠に尋ね明かされなければならない真実を…、
私たちは忘れてはならないのです。
五十年にわたって、日本の宗教政策は破壊されてしまいました。
理性が獲得する成果は、エゴと言われてよい自我です。
人は理性の上に自我を建てるのですが、こういう自我が展開する社会でよいのでしょうか。
もう一つ深い存在そのものの尊厳は、永く闇に葬られています。
新しい年を迎えても、この重大な厳密な人間学としての宗教が見えないなら…、
それは大仏破壊と同じ行為が、人間を阻害し続けるものと何も変わらないのではないでしょうか。
仏道を浅い理解で退けて、宗教から逃れた文部省と大仏を爆破したタリバーン。
何かが、重大な根源において似通っています。
二十世紀は、廃仏・廃宗教の時代でした。
浄土真宗にようこそ(080/04.02)
「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」
難しい言葉ですが、有名なというよりは大切な言葉です。
この言葉に、世親菩薩の全体があります。
曇鸞大師が、ここにある「我」という文字に問題を提起しておられます。
1.邪見語=因縁に背く主体。
2.自大語=自己中心的関心で成り立つ主体。
3.流布語=いわゆる一人称として用いられる主体。
という三つが、一般に使用されている世間で通用する一人称です。
ここに私たちの日常の、迷った自己意識があります。
つまり私たちは、常に自分をつまらない間違った自分を自分だと思っています。
ここには、何の深みも厳密様ありません。
けれども、誰だって本物の自分でありたくて、生涯にわたって尋ね求めています。
曇鸞大師は、再び言われます。
「我一心」の一心に立った(一体化した)我とは、世親菩薩の自督の語だと。
「自らをすすめる」という意味だというのです。
ここに、仏道に生きる主体的存在の歩みが語られています。
言わば、信心の人の姿がここにはあるというのです。
仏道に出遇い、真実の主体に覚めて、人は人の広大な歩みを見つめます。
この「一心」を、後に親鸞聖人は真実の一心だと確認されました。
それは「無量寿経」の本願の三信に相当する大切な精神だというのです。
親鸞自らの歩みがこれによって決定していますし、その名前までが親と鸞から取られています。
「我一心」の我は、真実の仏道によつて開かれた本有の主体です。
それは「我一心」する働きを見出した人々が、共に照らしあう生き生きとした主体なのです。
日常の私たちが、その日常の精神生活で閉ざしていた主体ではありません。
本来の雄大な主体は、「みずからすすむ我(運動体)」だというのです。
浄土真宗にようこそ(081/04.03)
「雑行を棄てて本願に帰す」と親鸞は記しています。
「建仁辛酉の暦」は1201年のことで、親鸞二十九才のことです。
なのに「帰る」という言葉は、「往く」という反対の言葉と不思議な呼応を見せています。
親鸞は「往生決定」した自分を、「雑行を棄てて本願に帰す」と記しているのですから。
この不思議な取り合わせは、親鸞の学びの秘密を物語っているのではないでしょうか。
「帰る」というも「往く」というも、共に世間を超えてという学びの事だからです。
仏道を学ぶ親鸞が、内なる自己の中に閉鎖する学びを転換して、自らを仏道に委ねているのです。
自らを委ねて、親鸞は仏道の学びを自意識から解放して、生命存在全体の歩みにしているのです。
「帰り・往く」という学びが、法然の教えによって始めて頷けたのです。
この時から、親鸞には始めて仏道の学びの形が知られました。
人間の学びなのだけれど、人間が学ぶのではなく、ブッダによって照らされて学ぶものだったと。
「他力本願に帰した」という態度が、これ以後の親鸞の学びの形でした。
仏道の行が、如来本願によって開示されていたのかという驚きがありました。
が、やがてそれは七祖たちに一貫する学びだと確信します。
法然だけではないが、ごく少数でしたが脈々とした仏道の正しい伝承がありました。
如来他力の大行は、親鸞一人を待って包んでくれるものでした。
この大行に帰して、親鸞は往く道に確信を持つことが出来たのです。
大行に「帰した」親鸞は、自ら仏道を「往く」親鸞です。
その心には、人間の私情を超えて万人を運ぶ大信が開かれました。
仏道そのものの、深い願心が今更のように知られたのです。
報恩という大信の世界が、親鸞に開かれました。
「雑行を棄てて本願に帰す」という言葉に、大切な学びがあります。
浄土真宗にようこそ(082/04.04)
親鸞が出会った仏道は、如来の大道です。
それは大乗の伝承になる、練り上げられた教学が背景になっています。
出会った親鸞は、それを「教行信証」というかたちで宣説しました。
それは、大乗の新しい教学だと言ってもよいものだと思われます。
七高僧とは、一貫した教学の伝統なのです。
如来の大行による、如来に到る教学の伝統です。
龍樹は、般若空の膨大な学者なのではなくて、一人の念仏者です。
世親も、論師としての菩薩ではなく、一心帰命の人でした。
念仏を実現して、彼らに智慧の仏道は実りました。
そういう事実、そしてそういう真実が歴史している現実を親鸞は語ったのです。
他宗や外道を排除しての教学ではなく、人類に捧げる教学がここにはあります。
曇鸞が菩提流支から承けたもの、それも覚道でした。
如来の大行に帰して、曇鸞の新しい生存が開かれました。
他力という言葉は、中国語を使用する人々に画期的な仏道を語るものでした。
道綽が回心したのは、中国流の学びからの転換でした。
知識の仏教から智慧の仏道へ、とそれは動顛します。
その道綽の「安楽集」に呼ばれて、善導が学びます。
世に玄中寺が輝いた時代があったのです。
源信は、善導大師のお弟子さんの懐憾禅師から深く影響を受けます。
「我亦在彼摂取中」という仏道が、日本に上陸したのです。
如来本願の仏道が、一貫して一つの歴史を形成しています。
浄土真宗にようこそ(083/04.05)
法然上人が翻身されたのは、善導大師の一文からでした。
「…順彼佛願故」とありました。
ここから愕然として、他力の仏道の歴史に招喚されます。
法然上人の回心は、仏道の歴史の本流への帰入だというのが、親鸞の読みです。
仏道といっても、仏道自体の歴史があるはずです。
人間が学んできた歴史ではありません。
仏道は飾り物でもなく、ましてや貴重品でもありません。
それは自らに人間を場として、仏道自体の歴史を練り上げて来ているのです。
この意味で歴史を担う学びというものは、いわゆる人間が形付けた学問とは違います。
真如が展開して、人間を折り込みながら編み上げられる布のようなものです。
吉水の草庵に入って、親鸞は仏道自体の歴史を確認してゆきます。
はじめは綽空として、ついで善信として学び、やがて親鸞へと成長します。
法然上人を翻身させた仏道の歴史が、善導大師の勧信の一文でした。
それは正行を語るものでしたが、それは如来のレベルでの大行のことでした。
「正定の業」と言うことを、はるか7世紀に如来の仏道として物語るものでした。
法然と善導の時間差は、殆ど5世紀にもなんなんとしているというのにです。
如来の大行は、大きな射程距離で一切を包んで流れ続けています。
人間がその学問というベールで包んでも、大行は構わずに真実に流れ続けています。
直接に聞く耳が開けて、法然上人にその歴史が応答しました。
浄土真宗にようこそ(084/04.06)
安田理深先生が残された、多くの課題があります。
例えば、親鸞までは三経の厳密な区別は存在しなかった、というものです。
中国の三祖たちにも、ヒントは出ていますがきちんとした区別がありません。
法然上人が「三経一論」と教えられたものの、その区別はありません。
現代から見れば、親鸞が三経の分析を終わっているということは驚くべきことです。
顕彰隠密の義があるという、そういう着眼のヒントは善導大師の観経蔬によります。
けれども、善導大師には広く三経に渡る検証はありません。
中国の三祖と龍樹・天親の学びを承けて、親鸞は「教行信証」を表します。
それは二回向四法という組織で知られていますが、こういう組織は伝承を承けた己証なのです。
真実の歴史というものは、人類文化史のようなものではありません。
それは人間を救済し、人間を成就する歴史の促しに基づいたものです。
伝承のない己証だったら、それは不遜なミスティシズムかもしれません。
そして己証のない伝承も、空しい空疎な流転でしかありません。
真理は流転しませんが、人類ははてしなく流転します。
真理に基づいた歴史を承けて、親鸞は歴史の人としてその存在責任を果たしています。
伝承に応じた己証には、新しい歴史展開の素晴らしい業績がのこります。
現代の親鸞教学に、このような歴史展望があるのかどうか。
流転の群生海にとって、由々しき一大事なのですが…。
浄土真宗にようこそ(085/04.07)
「深広無涯」という曇鸞の言葉を、親鸞聖人は「一乗・海」の説明に用いられます。
「海と言うこころは、仏の一切種智、深広にして涯きしなし」とあります。
仏の智慧は真如法性のままに、それは我々の想像を絶して深いというのです。
そしてそれは、そのまま我々の救済の深さを物語っています。
ここでは決して、浅い理解を許さないものがあります。
「二乗・雑善の中下の屍骸を宿さず、これを海の如しと喩う」と続くものですが。
「二乗・雑善」と言われて、一切の学識を屍骸と喩えられている意味が厳しいことです。
人間には、誰だって深い感覚があります。
意識でありつつ意識では捉えきれない深さを、誰もがその存在の事実として知っているのです。
けれども、どんな学問もそれを理性的に実体化します。
それが「二乗・雑善の中下の屍骸」といわれる注釈に堕ちているのです。
注釈ではなく、本来の解釈はブッダや七祖がなされたように…、
伝承に生きて己証で応えるものでなければなりません。
真宗を学ぶというのは、凡愚で結構なのですが智慧相応の信心によるしかありません。
それは意識を深く乗り越えて、無涯と言われる人類一切の存在に応答するもののはずです。
「深広無涯」という一乗の大海は、一切群生が頷く智慧界を象徴しています。
仏教は単なる宗教ではなく、深さを求める世界の一切の宗教に応えるものなのです。
真宗の世を超えた意義というものに、私たちは大きな自信と意欲を持つべきだと思われます。
浄土真宗にようこそ(086/04.08)
安田先生の講義には、どでかいテーマが幾つも出てきます。
福井県で続けられていた「願生偈」の講義にも、勝れた指摘があります。
真宗が低迷しているのは、日本の狭い限定の中でだけ考えているからだとあります。
大乗菩薩道が、神道やら他宗派に応答しているだけでは駄目だと言われます。
もともとの大乗菩薩道は、世界人類に向けられているというのです。
そして、教学が教理に堕ちてしまって、行学がなくなっているとも。
親鸞の頂いた大行が、教理に堕ちて見えなくなっているというのです。
名号に本願の行が回向されている、そこに浄土の行の総てがあると言われます。
大切な眼力ではないですか。
教理学ではなくて、名号一つに行学することが忘れられている。
そこに念仏の行者が生まれてくるということが、永く忘れられているというのです。
七祖の学びは、一にかかって念仏の行者だったというのです。
そして言われます、「行学とは内に深く求めることだ」と。
教理学は、外に見せる虚飾なのかもしれません。
行学は、内なる本願荘厳の行だと言われます。
浄土は、如来にも凡夫にも、内なる果てしのない歩みなのだと。
如来の存在の物語を、私たちも内なる存在の物語として学ぶこと。
そこに外を飾る教理学ではなく、一人ひとりが確立される大道があるのだと。
浄土真宗にようこそ(087/04.09)
浄土真宗は、親鸞の見つめている仏道です。
そこには、仏道がその歴史を通して展開してきた成果の総てがあります。
そしてそれだけではなくて、親鸞において初めて可能になった学びがあります。
信の分析・本願の分析などは、親鸞以前にはないものです。
三願転入とか真仮分判などは、新しい教学の歴史的な展開でした。
如来の「教」と「行」は歴史を貫く真理ですが、「信」と「証」は親鸞によって新しく吟味されます。
勿論、それは勝手なものではなく、伝承に基づいて新しく展開されたものです。
言わば歴史を承けて、歴史に応えるものこそ浄土の学びなのです。
「信」が二つの自力の信に簡んで、真実の信だと言われているのは新しいことです。
今の私たちには古い感じなのかもしれませんが、実は斬新な教学の成果なのです。
十方衆生に呼びかけられた本願に三つあります。
順序で18・19・20の本願ですが、これに配当して信心を厳密に追及したのは親鸞が初めてです。
このことは、世界の宗教にとって実に重大な発言でした。
そしてその意義は、宗派や仏教だけの狭い範囲で囲うことが許されないものです。
少なくとも親鸞の提起した信の分析は、きちんとした大行の歴史を承けたものです。
さもなければこれらの教学は独断だと言われても仕方ありません。
浄土真宗にようこそ(088/04.10)
天親菩薩の「一心」は本願の三信の具体化でしたが、実に生き生きとそれは語られています。
そしてそれは曇鸞大師に感動的に受け止められました。
それが善導大師で、更に展開されて二種の深心として語られます。
これらを承けて、親鸞は真実信心を「浄土の大菩提心」と言いきります。
そして三願と三経に照らして、第十八の本願に示される三信だけが仏道の真実だと言うのです。
浄土門もあるというのではなく、本願の三信に仏道の全体があるというのです。
こういう教学を、私たちは宝の持ち腐れにしていないでしょうか。
三つの経典があるということは、三つの経典をあげて指し示しているものがあったのです。
経典のレベルで、それは真実を指し示しているのです。
天親菩薩には観無量寿経の認識はありませんし、善導大師には大無量寿経の言及は限られています。
が、親鸞は七祖全体の学びを綜合して、この一大事を見出したのです。
それは歴史の力に促されたものでもありますが、本願自体の行との出遇いでした。
それは行じられているものですし、それを受け止めた信心も動的なものでした。
信心は、決して静止的ではなく固定的ではなく、行動的です。
浄土の大菩提心と名づけられた信心は、人類を漏らさずに包み込むダイナミズムを持つものでした。
それは親鸞に現れつつも親鸞を超えていて、如来の規模で展開する願心だったのです。
親鸞は、如来の恩徳として自分の凡夫である事実を見つめます。
そこに如来の深広無涯と言われる願心との感応があります。
真実信心には、一点も人の私心を雑えない純粋な仏道があります。
浄土真宗にようこそ(089/04.11)
ブッダの弟子たちも覚りを開いたとき、言いました。
「私には三つの明かり(三明)があります」と。
その三明の第一は宿明智通ですし、第二は天眼智通です。
言わばこの二つが仏道に帰入した人の、新しく開かれた主体の縦と横の軸なのです。
真宗でも「宿業の自覚」と言います。
これは善導大師に基づいた教学で、大切な信心のかたちです。
が、もう一つ「漏尽智通」があります。
普通には、煩悩が尽きた状態と語られていますが…、
親鸞の学びに照らすなら、「漏尽智通」とは煩悩を尽くして行く道程のことです。
それは無限の道程であり、生死を超えて仏道から賜ったものです。
90年の生涯を遥かに追い越して、親鸞の見つめる学びがありました。
親鸞の凡夫である身にこそ、如来の永遠の願心が響きます。
親鸞の生死に伴って、広く穢土を生きる人々との呼応がありました。
如来の願心に呼応しながら、人間の容易ならない大道を見つめるのです。
それは凡夫でなければ出来ない大道です。
それは煩悩具足の凡夫だからこそ、開かれていた仏道なのです。
釈尊の時代の仏弟子たちも七祖たちも、あげて人間を深く見つめたのです。
現代では、こういう親鸞の生きた大道が待たれているのです。
浄土真宗にようこそ(090/04.12)
煩悩をなくしてブッダになるというのは、身のほどを知らない者の言い分です。
自覚とは言うものの、凡夫の自覚は凡夫である事実に即したもののはずなのです。
凡夫を辞めることが出来るのは、超人でも無理です。
しかしながら、この生死を超えた真実の叫びは凡夫として生きるしかない人々にも呼応します。
罪悪生死の凡夫であっても、微かではあっても根源的な真実の叫びが聞こえます。
それは凡夫を超えて聞こえていますから、凡夫を辞める必要はありません。
しかしそのような仏道は、凡夫の上に実現はするものの凡夫のものではありません。
凡夫を辞めるのではなく、凡夫の事実を場として如来の悲願を聞いてゆく。
ここに親鸞が生きた大道があります。
凡夫を痛む真如として、それは本願という形をとりました。
それが凡夫を包む無上の方便なのです。
南無阿弥陀仏という六字は、浄土を指し示す方法ですが…、
それは遥かにというか横様(横超)というか、真如法性から現れたものです。
世間に現れている限り、世間の視野でしか評価されていませんが…。
それは有漏の世界に在りながら、厳然として無漏の大行なのです。
凡夫を課題として、仏道はその殆どの勢力を尽くしていると言えるようです。
浄土真宗にようこそ(091/05.01)
親鸞が残した教学ですが、それは七祖の歴史を承けたものです。
なのに、そこには全く新しい歴史的な展開があります。
その一つに、三部経の精密な分析があります。
そしてもう一つ、世界の宗教に向けた根底的な存在の確立があります。
つまり人間の学としての宗教が語られており、一人ひとりの本来の尊厳が語られます。
それが回向に基づいた「行信道」の懇切な提示になりました。
三部経の真実を無量寿経に収めて、その無量寿経の本願が語る宗教を徹底追及しています。
私たちは、本願に語られる仏道において、人類的な平等世界を知らされます。
浄土は、ブッダ・菩薩・凡夫を包んで開かれた豊かな世界です。
そこに生きるということは、本当の世界を確信することでした。
現代は、生き生きとした物質の時代ですが、根源的な精神の世界は霞んでいます。
人間は、物質の一部を必要としていますが、より広く精神的です。
如来の本願の行に学んで、人間一人ひとりの深い事実をこそ回復したいものです。
如来の本願の行に育てられて、真実の信の世界が開かれるなら…、
ここに一人ひとりの生命存在の全体が確保される世界が見えて来ます。
浄土は、本願の展開ですが、その如来の事業を聞く時…、
人の全体が深く響きあいます。
西欧の物質文明を内面的に批判して、本来の人間精神を回復しなければならない時代、
それが二十一世紀ではないでしょうか。
浄土真宗にようこそ(092/05.02)
私たちの世界は、物質に優先された数千年の歴史に閉じこめられています。
欧米の合理主義が、力の時代を形成して酷い数世紀が経過しています。
なのに物質も含めて、存在の意味というものが、どうしてまともに見つめられないのでしょうか。
物質を利用してというのは許されますが、今では物質とその力に隷属しています。
利用しているつもりが、実際には逆に奴隷にされているもののようです。
物の時代に生きると、人は自分をも物として認識します。
「なお睡眠し懶堕なれども二十九有にいたらず」と龍樹は言いました。
仏道に学ぶ者は、意識を超えた真実(真如)を忘れないのです。
「回心ということただ一度あるべし」と言われますが、
一度の学びは、終世途切れることはないのです。
理念や分別の価値判断を超えて、真如に相応する大道をこそ、
人は尋ねているのではないでしょうか。
物質とは違って、私たちは明らかに生命として生きています。
生命は物ではありません。
瞬間もゆるがせにしないで、生命をたどり続けるものなのですから。
尊い存在が、誰にでも物質を超えて与えられているのですから。
浄土真宗にようこそ(093/05.03)
「伝承と己証」という懐かしい著作を思いだしました。
曽我量深先生の初期の著作です。
そして先生の史観への着眼を思います。
親鸞の仏教史観は、独自の揺るぎない宗教体験だと先生は語られました。
伝承は、念仏の法の伝承です。
七祖を通じて、一貫した本願の行の開顕が既にそこにはあります。
問題はその法を承ける機の問題です。
親鸞は法の歴史を承けて、凡愚の身に展開する本願の叫びを聞き取りました。
それが己証なのですが、伝承に賜った世を超えた経験でした。
そしてそれは純粋な宗教心の確立であり、紛れることを赦さないものでした。
ここに信仰とか信心というものの、見事な超脱があります。
親鸞はいわゆる三願転入において、豊かな信の世界を論じます。
その信は、凡愚の総てを救って余りあるものだと言います。
親鸞における「伝承と己証」には、前人未到の真実があるのです。
それはあらゆる宗教や宗派が知らなかった、宗教心の極まりがあります。
親鸞には伝承の法の歴史があり、そこに立ち上がった新しい世界があります。
仏道の歴史全体が、このことによって一変していたのですから。
浄土真宗にようこそ(094/05.04)
着々とした法の顕現の歴史を承けて、親鸞の真実信心が語られます。
七祖は、総て無量寿経に学んだ人たちです。
無量寿経の伝承によって、一貫した法(大行)が明らかになります。
龍樹(1.2C.)も天親( 3.4c.)も、本願の経に学びました。
殊にこの二人は、他の流派の達人のように見えるのですが…。
実は、「無量寿経」の本願に基づいてきちんとした論議を遺しました。
大乗の論師としてよりは、本願に自己を見出した人たちによって法が明らかにされます。
一切の衆生を救って余りある念仏に、超世の法を見たのです。
七高僧たちは、その法の顕現に預かった人たちです。
そしてそれはきちんとした本願の歴史を形成しています。
そのような法の歴史に呼びだされて、親鸞の信がありました。
ですから、その信には現実に行じて働く本願の誠があります。
親鸞の己証は、本願の行の歴史全体に承けた偉大な感動があります。
親鸞が見つめている信には、人間の歴史を貫く超世の本願の事実があるのです。
身は凡夫ですが、どんな凡夫をも救う法が親鸞には確認されていたのです。
そのような信こそ、仏道の根源を実現している大行との出遇いです。
浄土真宗にようこそ(095/05.05)
親鸞の信は、凡夫に実った信ではありますが大信です。
それは大行の具体的な歴史に相応した信だからです。
幾ら親鸞が凡夫でも、その親鸞に発起した信は大信なのです。
諸仏称賛と言われますが、如何なるブッダ如来にも賛えられる信なのです。
大行は「南無阿弥陀仏」という御名を賛えることなのですが…、
その「いわれ」は、確かに歴史して来ている事実に召されることでした。
伝承とは、如来の真実を顕現して来た歴史を言います。
人間の思惑で形成される歴史と違って、それは超世の歴史です。
仏道の伝承は、不断の真如との対応にあります。
念仏・念法・念僧伽が、着実に展開して法と機は相応します。
本当の僧伽世界を、親鸞は確信しています。
念仏・念法において、人は超絶した真如を仰ぎ見ます。
そして念僧において、人は誰でも仏道の真実を確認できるのです。
親鸞の上におきた信は、一切衆生とともに見つめる僧伽世界なのです。
そのような僧伽世界は、横にも無限かもしれませんが…、
実は、悠久の歴史を刻む真実の展開なのですから。
浄土真宗にようこそ(096/05.06)
慚愧という言葉がありますが、慚も愧も私たちの善の心所の一つです。
つまり私たちの誰にもある善い心です。
慚愧するという場合、私たちは天に恥じ自らに恥じるのです。
が、これは誰にもある普通の心です。
ところが涅槃経には、阿闍世が慚愧したという場面で…。
「無慚無愧をなづけて人とせず、なづけて畜生とす」と耆婆が言います。
阿闍世は耆婆に言います。
[耆婆、われ、なんじとおなじく一象にのらんとおもう」と。
阿闍世は耆婆と一緒に釈尊のもとへ行きたいと決断するのです。
そして阿闍世は、釈尊の諄々たる説法を聞きます。
有名な「無根の信」を得た阿闍世は、世尊に褒められます。
「よきかな、よきかな。もし人ありてよく菩提心を発せん。
まさにしるべし。この人はすなわち諸仏大衆を荘厳すとす」
とまで、釈尊に言われるのです。
この菩提心は、実は慚愧を超えているのです。
それは出世間の大道を行く心です。
阿闍世の菩提心は、むしろ…。
「無慚と無愧」という自覚だったと教えられています。
浄土真宗にようこそ(097/05.07)
無慚と無愧は、慚と愧に似ていても慚・愧を超えたものです。
無慚・無愧こそ、阿闍世の上に超発した菩提心です。
それはブッダ世尊に出遇うことによって、阿闍世の内面に溢れてきたものです。
「無根の信」と阿闍世は言います。
無慚・無愧は、世を超えて菩提を見出す心なのです。
それは慚愧という人の心を踏み砕いて、世間を超えているのです。
無慚・無愧こそが、如来の光をその身に承けたものです。
仏道は、半端な善心で生み出すことはできませんが…。
徹底した無慚・無愧は、自力に死んで仏道そのものに展開する機なのです。
「この人はすなわち諸仏大衆を荘厳すとす」と涅槃経は示しています。
このことを親鸞は、仏教全体を見据えて希有の一心と教えます。
それは本願の回向によって、万人に実現されると親鸞は示しました。
こういう所に、聖道・浄土を超えて真実の宗教が独立しているという意味があります。
浄土宗において、法然が本願念仏の大道の独立宣言をしました。
それをうけた親鸞は、全仏教を包むような真実の一道を語ったのでした。
浄土真宗にようこそ(098/05.08)
慚と愧は、誰にでもある善い心ですが…。
無慚と無愧は、人の思いが破れて完全な絶望です。
が、その絶望を通してだけ、ブッダ如来の慈愛に触れます。
それを智慧と言います。
智慧の念仏というのは、無慚・無愧という人間の崩壊を踏まえて、
人の上に本願の歴史が展開することなのです。
真実の信心というのは、一つには永い歴史を内容とするものです。
無内容な信というものはありません。
信心の内容は、一つには七祖という具体的な法の歴史の恩徳が背景にあります。
そしてもう一つ前景に、総ての人間の課題を担うに似た機の歴史に応える感動があります。
釈尊の時代から、「漏尽智通」と言う名で伝えられたものがあります。
確かに漏=煩悩が無くなると解釈されるのですが…、
むしろ煩悩を尽くしてゆく、という在り方が凡夫挙げての仏道になるのです。
一人の上の仏道ではなく、総ての人間の方向を信は前景にしているのです。
仏弟子たちは、ブッダ釈尊の弟子となって広く人類を見据えていたのです。
「漏尽比丘」と言いますが、涅槃に生きる仏弟子たちの生命感動。
それが智慧の大道だったのです。
浄土真宗にようこそ(099/05.09)
「他力の大信」と親鸞は言いました。
「大般涅槃を超証する」と親鸞は言います。
「他力の大信」は、往生を決定しています。
が、証という「他力の真証」をその信に含むものです。
けれども、決してこれを混乱してはいけないのです。
信と証の違いは、往生と成仏の違いです。
私たちは「他力回向の大信」を承けて、往生する身になるのです。
描かれたような極楽を楽しむのではありません。
むしろ極楽を拒絶して、広範な人間の反宗教的な事情を身の課題にするのです。
成仏は信の結果である証に委ねて、人は娑婆に凡夫として仏道を確かめるのです。
それは、凡夫に展開する空前絶後の仏道なのです。
法然上人は、法としての念仏の一道の独立を宣言されました。
その事業の継承として、親鸞は人類的視野の仏道を、
仏道の機として生きる身に、実現されたのでした。
そこに法のみならず、機(人類)の真実においても念仏の一道は独立しました。
のみならず、それは人間が描いた総ての宗教をも担う意味を持ちます。
「顕浄土教行証文類」は、真実の仏道の開顕を成しとげているのです。
浄土真宗にようこそ(100/05.10)
「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法界に流す」
と親鸞は言いました。
不退転というのは、こういう生き方を言います。
何かに新しくなったのではなくて、自己が自覚に深まるのです。
もっとも、親鸞は本願の11願を二つに配当しました。
「正定聚の機」を信巻に、「必至滅度」を証巻に。
凡夫の生存に、二つの新しい地平が開かれています。
一つは正定聚ですが、この世の生が聞法の道場になるのです。
そしてもう一つは、彼の国への願生の確認です。
不退転というのは、この場で仏道が学ばれるというのです。
自分が代わるのではなくて、自分を包む真実に感動するのです。
凡夫である事実こそ、仏道の開かれている場なのですから。
仏弟子(声聞)たちも、「漏尽智通」を生きました。
漏とは煩悩ですが、無漏に触れて漏を尽くすべき大道を生きたのです。
大乗では、こういう自覚的存在を不退転と言うのです。