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◆◆◆ ジャータカ ◆◆◆
黄 金 鹿
この物語りは、大師がベルバナにお住まいで、長老アーナンダの生命の犠牲について、話されたものです。なお(pana)彼の生命の犠牲は、八十集ダナパーラ象の調御で明らかになるでしょう。
そのように長老が、大師の為に生命の犠牲をすると、法堂ではこのような噂話がされました。
「友よ、長老アーナンダは、有学無礙弁に到達していて、十力尊(D-assa=Dasabalassa)の為に、生命を犠牲にしました」と。
大師がおいでになって、
「比丘たちよ、どのような話をする爲の集まりですか」
と質問されました。
「これこれこのような事実についてです」
と言いますと、
「比丘たちよ、今だけではなくて、かつてもまた私の為にこそ、生命の犠牲をしたのです」
と言われて、過去のことを話されました。
※ ※ ※
ずっと昔のことです。バーラーナシーにブラフマダッタ王が国を治めていた頃、ケーマー(Khem
安穏)という名前の第一王妃がいました。
その時ボーディーサッタは、ヒーマバンタ地方で鹿の胎内から生まれて、黄金色で完璧に美しいもの(sobhagappatto)でした。チッタミガ(Cittamiga)という名の弟もまた黄金色でした。スタナー(Sutan
)という名の妹もまた黄金色をしていました。
大師(mah
satta)はローハンタ(Rohanta)という名前で、鹿たちの王者(migar
ja)でした。彼は(so)、ヒーマバンタの二つの山脈を越えて、第三(の山と)の中間のローハンタという名の湖に沿って、八万もの鹿たちの一族と一緒に住んでいました。彼は、盲目の年老いた父母を養っていました。
その頃(atha)、一人の、バーラーナシーから近い猟師村に住む猟師の子が、ヒーマバンタに入って大師を見て自分の村に戻って後に、臨終の時に息子に告げました。
「我が子よ(t
ta)よ、我々の猟区(=行動範囲)の中に、このような場所に黄金色をした鹿が住んでいる。もしも王様が問われたなら、話してあげたらよいでしょう」と。
それから(atha)ある日、ケーマーという名の王妃が、朝の早い時間に夢を見ました。(それは)このような夢でした。
黄金色の鹿が金の座に(=椅子)座っていて、金の鈴を鳴らすかのような蜜のような声で、王妃に法を説き示しました。彼女は、称讃して(←称讃を与えて)法を聞きました。鹿は、法話を完結しないままに立ち上がって、去ってしまいました。
彼女は、
「鹿を捕まえて」
と、言いながら目を覚ましました。召し使いたちが、その物音を聞いて、
「門も窓もぴったりとしまっている家に、風もまた起きる場所もありません。貴夫人は、このような時に、鹿を捕まえて欲しいですって」
と、くすくす笑いました。
彼女は、その刹那に、
「夢だったのね(supino ayan)」
と気付いて、考えました。
「夢だなどと言うと、王様はちゃんと扱って下さらないでしょう。女の熱望(←妊婦の異常嗜好)だと言えば、かえって(pana)意欲的になって下さる(pariyesissati)でしょうし、黄金色の鹿の法話を聞くことができるでしょう」
と、彼女は、病気を装って床に臥し(nipajji)ました。
王様が来られて、
「お利口さん(bhadde)、どうして不快なのですか」
と尋ねました。
「主よ(deva)、王よ、存在しないものに、妾に熱望が起きたのです」と。
「何が欲しいというのですか」
「黄金色の法師鹿の(dhammikamigassa)法を聞きたいのです」と。
「お利口さん、存在しないものにおいて、熱望が起きたのですね。黄金色の鹿などは決して存在しないのですから」と。
彼女は、
「もしも、この世で(idha)得られないものなのでしたら、妾は死んでしまいます」
と、王に背を向けて横臥して(nipajji)しまいました。
王は、
「もしも存在するのなら、得られるでしょう(labhissasi)が…」
大衆の中に座って、孔雀本生物語(Moraj
taka 159・491)で言われたような方法で、大臣や婆羅門に尋ねました。
「黄金色の鹿たちが本当にいるのでしょうか」
と聞いて、猟師たちを集めて、
「誰か、そのような鹿を見ましたか。誰か聞きましたか」
と尋ねますと、彼の猟師の子が、父から直接聞いた通りに話しました。
「友よ、そのような鹿を齎した時には、存分な待遇を致しましょう。行って、それを連れて来なさい」
と言って、資金を与えて送り出しました。
彼もまた、
「もしも言われたように、王様、彼を齎すことが出来なかったなら、毛皮(cammam)を持ってきましょう。それも持ってこれなかったなら、毛(lom
ni)だけでも持ってきましょう。貴方は決して心配なさらないで下さい」
と言って、住まいに戻って妻子に資金を与えて、その場所(tattha)へ行って鹿の王を見て、
「どこの、どの場所にわなを仕掛けたなら、彼を捕えることができるだろうか」
と観察して、水の浅瀬の場所を見ました。彼は、しっかりとした革の紐を撚よじって、マハーサッタが水を飲む場所にある杭に罠を仕掛けました。
次の日に、マハーサッタは八万の鹿たちと一緒に、餌場に出掛けて、
「いつもの(pakati)浅瀬で水を飲みましょう」
と、そこへ行って、入るや罠に捕まってしまいました。彼は、
「もしも私が今、捕えられた叫びを叫んだなら、親族一群が水を飲まないで、恐れて逃げてしまうでしょう」
と考えて、棒杭にくっついたまま、自分は自在に水を飲んでいるかのようにしていました。それから(atha)、八万の鹿たちが水を飲んで引き上げてしまった時に、
「罠を切ってしまおう」
と、三度引っ張りました。一回目の時は皮を切り、二回目には肉、三回目には腱を切って、罠は骨にまで達しました。
彼は、切断出来ないので、捕われの叫びを叫びました。鹿の一群は、恐れて三つの群れになって逃げました。
チッタミガは、三つの群れの中にマハーサッタが見付からないので、
「この恐怖が起こったことは、私の兄にも起きたに違いない」
と考えて、彼の近くへ行って、彼が捕われているのを見ました。それで(atha)、マハーサッタは、(彼を)見て、
「弟よ、決してここに立ってはなりません。この場所は危険です」
と言って、行かしめるために第一の偈をとなえました。
これらの群れは、死の恐怖から逃亡しました、チッタカよ。
そなたも行きなさい。躊躇してはなりません。
そなたとなら一緒に、(彼等は)生きるでしょうから、と。84.
そこに『これらの(ete)』とあるのは、目で道路を越えて遠くに、ということを言ったのです。『逃亡しました』というのは、放棄して逃げたという意味です。
『チッタカーよ』というのは、彼に話し掛けたのです。『そなたと共に』というのは、そなたと彼等は、私の場所に立って、王になって彼等とそなたは一緒に生きて行きなさい、ということです。
それから(tato)、二人の間に交互に三つの偈が交わされました。
いいえ、ローハンタよ私は行きません。私の心は沈みます。
私は貴方を捨てません。ここで生命を果しましょう。85.
彼等盲目者たち(両親)は確かに死ぬでしょう、指導者なくて。
そなたは行って下さい、躊躇してはいけません。
そなたとなら一緒に生きるでしょうから。 86.
いいえ、ローハンタよ私は行きません。私の心は沈みます。
ここの捕われた者を見捨てません。
ここに生命を果しましょう、と。 87.
そこに『ローハンタ』というのは、マハーサッタの名前を呼んだのです。『沈む』というのは、涙がしたたるのです。憂いに沈むのです。『彼等は…確かに』というのは、彼の私達の父母が、絶対的に萎んで死んでゆくでしょう。だから、弟のチッタにそなた行け、そなたと一緒に彼は生きるでしょうという意味です。『ここに…果しましょう』というのは、ここの場所に生命を捨てると言ったのです。
ボーディーサッタの右の脇に寄り添って、彼を支えて元気づけて(=蘇息する)立っていました。
まだ若い仔鹿のスタナーもまた、逃げて鹿たちの間に二人の兄弟を見失ってしまいました。
「私の恐怖はきっと、両方にも起こったことでしょう」
と、戻ってその近くへやって来ました。やって来たのを見て、マハーサッタは第五の偈を言いました。
行きなさい、恐れに逃走した者よ、
欺瞞が金縛りにしている。
そなたもまた行きなさい。
躊躇しないで、そなたと一緒に生きるでしょうから、と。88.
そこに『恐れに』というのは、実に女性で僅かに恐怖する者、彼女に話し掛けたのです。『欺瞞』というのは、隠された罠のことです。『金縛り…』というのは、彼は実にぎりぎりの水際に、鉄の固まりを打ち付けて、そこに堅固な綱で縛って罠を仕掛けたのです。それで、このように言ったのでした。『そなたと…』というのは、そなたは八万の鹿たちと一緒に生きなさいということです。
ここに、前のように(purimanatena)、三つの偈があります。
いいえ妾は、ローハンタよ、行きません。
私の心は沈みます。
ここに捕われたものを見捨てません。
ここに生命を果しましょう。 89.
彼等盲目者たち(両親)は確かに死ぬでしょう、指導者なくて。
そなたもまた行きなさい、躊躇しないで、
そなたとなら一緒に生きるでしょうから。 90.
いいえ妾は、ローハンタよ、行きません。
私の心は沈みます。
ここに捕われたものを見捨てません。
ここに生命を果しましょう。 91.
そこに『確かに…』というのは、ここにまた、父母に関して言ったのです。
彼女もまた、そのように拒んで、マハーサッタの左の脇に寄り添って、元気づけて立っていました。
猟師もまた、彼等鹿たちが逃げたのを見て、捕われの叫びを聞いて、
「捕えられたものは、鹿の王者に違いない」
と、強く帯を締めて、鹿を殺す刃物を取り直して、急いでやって来ました。
マハーサッタは、近付いてくる者を見て、第九の偈を言いました。
彼の恐ろしい形相の猟師が、
武器とともにやって来る。
彼は確実(no)に、今日(ajja)、
槍ばかりか矢でもって、殺すでしょう。 92.
そこに『恐ろしい形相』というのは、恐ろしい生類のことです。『槍ばかりか』というのは、槍もまた、確実に打ち殺せるということです。ですから、彼は逃げて行こうとはしなかったのです、と。
それを見ても、チッタミガは逃げませんでした。スタナーはしかし、自分の力では安心して立つことが出来ないで、死の恐怖に脅えて少しばかり退いて、
「私は、両方の兄弟を捨てて、どこに逃げられるでしょうか」
と自分の生命を断念して、眦を決して再び戻ってきて、兄の左脇に立ちました。
この意義を説明されて、大師(satth
)は第十の偈を言われました。
彼女は、恐怖に脅かされてほんの一瞬逃げました。
困難を成して、恐ろしい死のために戻ったのでした。93.
そこに『死のために戻った』というのは、死そのものに戻ったのです。
猟師は、近付いて彼等三名が一つの場所に立っているのを見て、慈悲心(mettacitta)をおこして、一つの胎内から生まれた兄弟のようだと、彼等を推し量って考えました。
「鹿の王よ、そなたは罠に捕えられている。しかるに二名は恥じて(hirottappa)縛られています。どうして彼等は、そんな事をしているのでしょうか」
というように(atha)聞きました。
何故に、彼の鹿たちはそんなにしているのですか。
自在なのに捕われたものに仕えて。
彼等は、見捨てよう(cajitum)とはしていない。
生命までもかかわって(=原因)。 94.
そこに『何故に…』というのは、何故に彼等はそのように…(kin nu te ime)ということです。『仕えて』というのは、敬うことです。
そこでボーディーサッタは告げました。
猟師よ、私達は同腹で同じ起源。
私を捨てようとは欲しない。
たとえ生命にかかわろうとも、と。 95.
彼は、その言葉を聞いて、なお一層心を和らげました。チッタ鹿王は、彼の柔軟心(muducitto)を知って、
「友よ、猟師よ。あなたは決して、この鹿の王者を鹿に過ぎない(migamatto yeva)と考えないで下さい。彼こそは、八万もの鹿たちの王者であって、戒行満足した、総ての衆生(satta)に柔軟で、偉大な智慧があり、盲目で年老いた父母を養っています。もしも貴方が、このような持法者を殺すなら、そのような殺害から、父母と私と妹という、五つの生命を殺してしまうことになります。しかるに(pana)わたしの兄弟の生命を救う(dento=与える)なら、私達の五つもの生命を救うことになります」
と言って、
彼等盲目者たち(両親)は確かに死ぬでしょう、指導者なくて。
五つの生命を与えなさい。猟師よ、兄を解き放って下さい、と。96.
偈で言いました。
彼は、かの法話を聞いて信心(pasnnacitto)を発して、
「恐れないで下さい、主よ」
と言って、次の偈を言いました。
実に私は、父母を養う鹿を自由にさせましょう。
父母は、偉大な鹿が解放されたのを見て歓喜するでしょう。 97.
そこに『実に(vo)』というのは、不変詞です。『解放(muttam)』というのは捕われから解放されるのを見たのです。
このように言ってから、考えました。
「王様が与えてくれた名誉(yasa)は、私にとって何になりましょう。もしも私が、この鹿の王者を殺したなら、この大地は裂けて私を飲み込み、裂け目にまた私の頭に帝釈天の雷電が落ちるでしょう。彼を、解放しましょう」と。
彼は、マハーサッタに近付いて、棒杭を倒して革の紐を切断して、鹿の王者を抱いて水際に寝かせて、柔軟心で優しく罠を脱せしめて、腱は腱に肉は肉に皮は皮に結び併せて、水で血を洗って、慈悲心で再三再四奇麗にしました。
このような慈悲の威神力と、マハーサッタの度彼岸の威神力によって、総ての腱も肉も皮も結ばれました。足は、皮膚に覆われ毛に覆われていましたから、そのような場所に傷があったとは知られていませんでした。
マハーサッタは、幸運を得て立ちました。それを見て、チッタミガは喜びを生じて、猟師に歓喜しました。
猟師よ、このように総ての親族とともに喜んで下さい。
私が今日、偉大な鹿が解放されたのを見て喜ぶように、と。 98.
偈で言いました。
それから(atha)、マハーサッタは、
「この猟師は、一体どうして私を捕えたのか、自分の職業だから捕えたのか、それとも他の命令だったのか」
と考えて、捕えた理由を問いました。
猟師の子は言いました。
「主よ、いいえ、私には貴方々に含むことはありません。ですけれども、ケーマーという名の王の第一王妃が、貴方の法話を聞きたいというのです。その為に、王の命令で貴方は私に捕えられたのです」と。
「友よ、このように私を放してくれるのは、難事をなしてくれたものですね。それでは(ehi)、私を導いて王に会わせてください。王妃に法話を語ってあげましょう」
「主よ、王というものは、残酷なものです。誰に何が起こるかどうですか。私は、王が与えた名誉はどうでもよいのです。貴方は、気楽に去りなさい」と。
再び、マハーサッタは、
「このように私を解放した、難事を成し遂げたものです。名誉が得られる方法を、やってみましょう」
と考えて、
「友よ、私の背中を、まず手で撫でて下さい」
と言いました。
彼が撫でると、手に黄金色の毛が一杯になりました。
「主よ、これらの毛をどうしたら善いでしょうか」
「友よ、それらを運んで、王様と王妃に見せて、これが彼の黄金色の鹿の毛です、と言って私に代わって これらの偈で、王妃に法を語って下さい。それを聞いただけで、実に彼女の熱望は止滅するでしょう」
『法を行じなさい、大王よ…』という、『十法行偈』を授けて、五戒を与えて、熱心に教誡して立ち去るのでした。
猟師の子は、マハーサッタをアーチャリア(阿闍梨・導師)の座に据えて、三度右遶して四つの場所で礼拝して、毛を蓮華の葉に包んで出発しました。
三名もまた、三名で少し随行して、口に食べ物と飲物を取って、父母の前に立ちました。
父母は、
「我が子よ、ローハンタよ。そなたは捕えられたと言われていたけれど、抜け出したのですか(katha〓 mutto)」
と尋ねました。
どのようにして脱出したのですか。生命の瀬戸際で…。
どのように子よ、猟師の罠から抜け出したのですか、と。99.
偈で言いました。
そこに『瀬戸際で』というのは、そなたの生命の死の時に、どのように自由になったのですか、ということです。
これを聞くと、ボーディーサッタは三つの偈を述べました。
耳に楽しく語り、心に適し心から開かれて語り、
善く説かれ、チッタカは私の解放を話しました。 100.
耳に楽しく語り、心に適し心から開かれて語り、
善く説かれ、スタナーは私の解放を話しました。 101.
耳に楽しく、心に適し心から開かれて語るのを聞いて、
善く説かれたのを聞いて、猟師は私を解放しました。102.
そこに『語り』というのは、語ったということです。『心に適し』というのは、心に楽しいということです。第二の偈の『語り』というのは、語られつつということです。『聞いて(sutv
)』というのは、彼がそれらの驚くべき言葉を聞いてということです。
それから父母は、歓喜して言いました。
このように歓喜するでしょう、猟師とその妻も。
今日ここで、ローハンタの帰還を見て、歓喜しているように。103.
猟師もまた森を出て、王宮に行き王様に敬礼して一方に立ちました。彼を見た王様は、
猟師よ、そなたは確か『鹿の毛皮を齎す』と言ったのではないですか。
なのにどうして、鹿の毛皮を齎さないのですか。104.
そこに『鹿の毛皮』というのは、鹿も毛皮もということです。『齎す』というのは、齎すことでしょうということです。そのように言われたので、おい猟師よ、確かにお前はこう言わなかったのか、『鹿を持ってこれないなら、毛皮を齎しましょう。それが出来なかったら毛を…と』、さてお前はどういう訳で、鹿も鹿の毛皮も齎さなかったのかと言っているのです。
これを聞くと、猟師は、
まさに手の内の、欺きの罠に彼の鹿は来ました。
捕えられていないものが、かの鹿の王者に自由に仕えていたのです。105.
彼において、私に身の毛もよだつ感動が生まれました。
ここで私が、この鹿を殺すなら、今日生命をなくすでしょう。 106.
と言いました。
そこに『来ました』というのは、大王よ、彼の鹿は私の手の傍らに、私の仕掛けた欺きの罠に来たし、そこで欺きの罠に捕われてないものも来たのです。『自由に仕え…』というのは、その捕われているもの他に、自由で捕われていない二匹の鹿が、元気づけて寄り添って立っていたのです。『生れ…』というのは、かつてあったことです。『ここで私が』というのは、その時私に感動が生じたということです。もしも私が、これらの鹿たちを殺したなら、その日のうちにそのままに、その場で生命を捨てるでしょうということです。
どんな鹿だったのですか、猟師よ。
どんな持法の鹿だったのですか。
どのような色で、どのような性行で…、
実に高らかに称讃される彼のものは、と。 107.
彼の王は、驚きに包まれて再三再四(punappuna)問いました。
それを聞くと、猟師は、
白い角、奇麗な尾、肌の色は金色で、
それらの足は赤く、(眼は)塗油したように心楽し。108.
と偈で言いました。
そこに『白い角』というのは、銀の鎖のような角です。『奇麗な尾』というのは、チャマリー鹿のような奇麗な尾がついていたのが、見られたのです。
『赤く』というのは、赤い体の毛が珊瑚のようだったのです。『足(p
d
)』というのは、ひずめの辺りのことです。『塗油した』というのは、清浄な五つの飾りで飾られているように、眼に備っているのです。
そのように語って、彼はマハーサッタの黄金色の毛を王様の手に渡して、これらの鹿の身体の特徴を明らかにしながら、
王よ、彼の鹿はこれ程のものです。
これ程の持法の鹿です。
父母を養っている王者(deva)です。
それで彼を連れて来なかったのです、と。 109.
偈で言いました。
そこに『父母を養っているというのは、老いて盲目の父と母を養っているのです。このような法を保っている者たちだというのです。『それで彼を連れて来なかったのです』というのは、彼の鹿の王者は、何か貴方の手紙に添えた贈り物によっても連れてくることは出来ないでしょう、という意味です。『連れてくる』というのは、聖典の言葉です。彼を私は、例の手紙に添えた贈り物でも連れて来ないは、齎さないという意味です。
これから(ito)彼は、マハーサッタとチッタミガやスタナー仔鹿たちの有徳の話をして、
「大王よ、私は彼の鹿の王者から、自分の毛を与えられて、『私の代わりに十法行偈に依って、王妃に法を語るように』と命令されました」
と言って、黄金の椅子に腰掛けて、それらの偈によって法を宣説しました。王妃の熱望は静まりました。王様も満足して、猟師の子を大層な称め言葉で喜ばせました。
猟師よ、百の金貨と大きな宝石の耳環を与えましょう。
四角の椅子も…、亜麻の華のように輝いている。 110.
二人の同等な妻と、
牡牛と百の牝牛。
法をもって王国を治める、
猟師よ私に多くの行いを齎した、と。 111.
猟師よ、農耕・商売・金融・落ち穂拾い、
これらによって、妻たちを養いなさい。
再び悪業をしてはいけません、と。 112.
そこに『大きな』というのは、高価なということです。『宝石の耳環』というのは、装身具を彼に与えたのです。『四角(catusadan)』というのは、四角ということです。四つの頭という意味です。『亜麻の華の輝き』というのは、青色の敷物で亜麻の華のような光りに輝いて、あるいは黒色の材木の芯で出来ているようだったのです。『ように』というのは、他の考えでは物質や財産のようなものということです。『牡牛と百の牝牛』というのは、もっとも勝れた牡牛を百の牝牛につけて彼に与えたのです。『治める』というのは、十王法に親しんで、法のままに王国を治めるということです。『多くの行いを齎した、と』というのは、黄金の色をした鹿の王者に代わって、法を説き示したそなたは、私に多くの方法をということです。鹿の王者は決定的に語って、彼は私に五つの戒を定めました。『農業・商売…』というのは、友よ猟師よ、私は鹿の王者がこれらの言葉を語るのを聞いて、五つの戒を定めました。そなたもまた、これから具戒者となって、それらの農業・商売・金融・落ち穂拾いなどという生活方法で、それらの正活命でそなたの子息や妻を養って、決して再び悪業をしてはならないということです。
彼は、王の話を聞くと、
「私には、家居することは無意味です。王(deva)よ、出家をお許し下さい」
と、許されて、王が与えた財宝を息子と妻に与えると、ヒーマバンタンに入って、仙人の出家に出家して、八等至を生じて、梵天世界に越える事が出来ました。王もまた、マハーサッタの教誡に立って、天界に満足しました。教誡は千年、転(pavatti)じられました。
※ ※ ※
大師は、この法話を話されて、
「比丘たちよ、このように過去にもまたアーナンダは、私の為にこそ生命の犠牲をしたのです」
と言われて、ジャータカを結びあわせられて、
「その時の猟師はチャンナであり、王はサーリープッタ、王妃ケーマーは(クシエマー)ビックニー、父母は大王の家族、スタナーはウッパラバンナ、チッタミガはアーナンダ、八万の鹿たちは釈迦族、鹿の王者ローハンタは私でした」
と。
里村専精
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