※この文章は、「佐渡国中方言集」の付録より引用しました。
「貴」の両脇の記号は現在まったく解読不明。
書体は隷書・篆書というより神代文字か文盲の人の真似書きではないかとうことです。
これは最初、韓語(諺文)の一種で渡来韓国人が刻んで建てたものという説があり、「早く京城に帰りたい」という意味であるとのことでした。
ところが佐渡金井町の書家でありました故 藤村中堂 氏が「大日霊貴命」と読めると話されていたことが判明。
その石碑は他にも二つあり地滑りで埋まってしまったのだそうです。また昔は石碑の近くに大日堂があったとのこと。この大日堂は牛神で堂のそばを流れている小川脇には牛の屠殺場があったということです。
以上のことよりこの説はかなり信頼性があるものと思われます。