俳諧物件
俳諧物件
達筆であります。そして「犬の糞」というのが季語なのかどうか知りませんけれども,俳句などもたしなんでいて,毎週近所の句会で頭をひねっているとか,あるいは全国新聞の川柳コーナーにいつも投稿していて,新聞を開くと真っ先に川柳コーナーを見るのが習慣になっている御仁の作品なんではないかと思われるんでした。
しかし,直截的でありますね。いきなり「犬の糞」。
私の以前作った五七五に「雪解けて 冷凍ものが まろびでる」というのがあって,解け始めた雪の中からソレが冷凍状態で出てくるのを見て春を感じるという風情をあらわしたわけですけれども,「糞」というのをそのまま書いちゃうのはちょっと抵抗があったんでした。なのに,こんない達筆で…。
それはともかく,そのすぐ隣にも,もうひとつ同様のハリガミ。
まぁ,同じことを順番変えて言っているだけなわけですけれども,この短い17文字の順番をちょっと変えたり助詞をいじくることによって印象が変わってくるというのが,五七五の奥深いところであります。
私は,2番目の方が好きですけれども。好きというか,最後の「犬の糞」でもって,アップにした糞の画像が明確にイメージされてしまうような気がするのがよいなと思うんでした。犬の糞をアップで見るのが好きだということではないですが。
関係ないけれども,「糞」って「翼」にちょっと似てるな。「キャプテン糞」とかいたらイヤだな。それもともかく。
この作者の人もまぁ,最初犬の糞に対してフンガイ(シャレでなく)したのは確かだと思うわけですけれども,むしろ「これはチャンス」とばかりに日ごろの趣味を披露したかったんではあるまいかとも思われるんでした。
そして,そのチャンスを与えてくれた犬の糞に対して感謝の念をいだくようになり,愛するようにさえなったのかもしれないでありますね。
もう一枚貼ってあるハリガミは五七五ではないんですけれども,その辺の歪んだ愛情が垣間見えるような気がしたりしなかったりするんでした。
もう,「可愛い犬の糞」と言ってますから。こんなに可愛い「犬の糞」を道端に置き去りにしていくなんて信じられない,しのびない。持って帰ってじっくり観賞しなさいコレクションしなさい頬ずりしなさいと,言っているようなんでした。
言ってないか。
「犬の糞三部作」は新潟市・神道寺あたり。