ソラカラ物件
ソラカラ物件
いや,いきなりお墓で申し訳ございません。倫理上,宗教上,あるいは夜中に一人でこのページを見ているなど,その他いろんな点で不快に思われる方もおられるかと思いますけれども,その場合は見なかったことにしてスルーしてくださいませ。
ということで,今回の物件はお墓であります。と言ってもここはお寺などに付属する墓地ではなく,さるお宅の玄関前なんでした。
玄関前にお墓があるというのもどういう気持ちのするものなのかと思ったりしますけれども,田舎のほうへ行くとお墓が家の敷地の中にあるお宅が多かったりするですね。まぁ,先祖がその土地に眠る,あるいは先祖の眠る土地に住む,それが本来のあり方なのかもしれませんけれども。
で,写真の物件。このお墓で特徴的なのはやはり,ただ一字「空」と掘られているだけだということでありますね。
「空(そら)」という名前の人だった…というわけではないような気がするし。飛行機のパイロットだったんだけれどもフライト中に野生の朱鷺を発見してぶつかりそうになったんであわててよけたら墜落してしまった人のもの…ということもなさそうだし。
あるいは,このお墓にはまだ誰も入っていないという意味で「空(から)」と書いてある生前墓なのか。それにしては,もう文字が彫ってあるわけで,これを修正するのは大変なような気がするし。
それとももっと哲学的な話で,「すでに空は死んだ! 神も死んだ!」ということを主張していたりするのか。なんだかよくわからないけれども。
でも単に私が無知なだけで,こういうお墓は一般的によくあるもので,「空」と彫るのにはちゃんと定められた意味があるのかもしれない。…と思ってちょっとネット検索してみたのだけれど,特に一般的ということでもないようでありますね。
「空のようにおおらかな人だったので…」とかそういうのがちょっとひっかかって来たりはしたけれども。
このお墓の人はどうだったんでありましょうか。やはり,おおらかな人だったんでありましょうか。多分そうですね。そうに違いない。もう,そうに決まった。だから,ネタにしてしまった私に祟らないでください。お願いします。
オマケ。こちらは墓地であります。まあ…確かに犬も猫もゴミもその辺に捨てられると困っちゃうわけですけれども,なんだかちょっと引っかかってしまうのは,犬猫とゴミが完全に並列されているからだと思われるですね。
命のある犬猫と,不用物であるゴミと。しかもそれがお寺のカンバンとして掲げられているということで,ちょっと「うへぇ」と思ってしまうわけなんでした。
でもひょっとするとこれは,犬猫をゴミ扱いしているのではなくて,ゴミを犬猫なみに扱おうとしているのかもしれないでありますね。すなわち,このお寺の主張としては「ゴミだって生きているんだ!」ということなのか。
ホントかどうか知りませんけれども。
そしてさらに「ゴミ」と「等」の間にナカグロがあるところを見ると,ひょっとすると,このお寺には彼女に振られそうになっているヒトシ君という息子がいたり…しないか。
ゴミよりも下にランクしているヒトシ君が,少し不憫でもあります。
ああ。今回の物件はなんだかバチがあたりそうであるなぁ。あてないでください。お願いします。
「空」は新潟市・大形本町2あたり。
「犬・猫・ゴミ・等」は五泉市・太田1あたり。