センセイ物件

センセイ物件


 最近ではもう,特に都会では「塾へ行かざるは小中学生にあらず」というような風潮になっているようでありますね。いや私には子供がいないので,実態はよくわかってなくて無責任なことを言ってるだけなんですけれども。

 まぁ時代や地域ということもあるんだろうけども,私自身はいわゆる学習塾というのには行ったことがなかったので,ちょっとヘンな感じを受けるわけでした。江戸時代あたりの子どもからすれば,「学校」なんてものに毎日行っているというだけでヘンに感じるだろうし。

 ということで,街を歩けば,学習塾というのが巨大な組織から個人の趣味でやってるところまで色んな種類,数多くあったりするわけでした。
 この塾のハリガミというのが,意外と面白いんでありますね。予算の関係もあるだろうけれども,できるだけ自分の熱意を伝えんがために手書きのものが多く,そこにセンセイの個性やらなんやらが滲み出てきたりするわけでした。

 で,写真の物件。「××英数塾」に貼り出されたハリガミで,体験入学をしてほしいと言っているんでありますね。それはいいんだけれども,問題は下のほう。
「小学1年生〜対称」というのはひょっとすると「対象」のことか。それとも塾業界で通じる専門用語なのか。
 まぁ,まちがいであってもいいんですけどもね。あくまでも「英数塾」であって,国語を教えるわけじゃないようだし。むしろ自分の不得意分野を避けて教えているわけで,自らの能力がよく把握できているセンセイであり,得意な英数についてはスバラシイ才能の持ち主なのではないかとさえ思われるわけなんでした。


 こちらは路上の物件ではなく,建物の中。新潟県立自然科学館の中なんでした。今さらながら,最近初めて入った。

 その自然科学館の中の「科学工作室(だかなんだか)」の入り口に掲げられた案内板なわけですけれども,その文章はプレートの付け替えにより可変になっていて,
「科学の××××がみなさんといっしょに ××××を作ります」
の××××部分を変えることができるようになっているわけなんでした。
 今現在は「先生」「紙ブーメラン」が入っていて,何の疑問もないんですが。

 ちょっと気になるのは「先生」の部分には他に何が入るのか,ということでありますね。「教授」とか「解説員」とかだと勉強になりそうですけどもね。あるいは「大好きな人」というのも,肩書きはなくても親しみやすくていいかもしれない。

 でも,逆に「大嫌いな人」とか「犠牲者」とかいう人といっしょに工作をしないといけなかったら,なんかイヤでありますね。
 そして「科学の苦手な人が みなさんといっしょにかくばくだんを作ります」だったりするとすごくイヤ。

「科学の」だと,足音が特徴的な10万馬力のロボットがいっしょに工作してくれたりするんでありましょうか。

「小学1年生〜」は村上市…詳しい場所は書かない方がいいか?
「科学の先生」は新潟市・県立自然科学館。