受難物件
受難物件
これはもう,ちょっと人の住んでるところなら必ず目にすることのできるカンバンでありますね。カンバンと言っていいのやらどうなのやらわからないけれども。
まぁ,この「死後さばきにあう」というカンバン自体,別におかしなところはないわけであります。あえてツッコもうとすれば「死んだ後さばかれるというのは,魚のことを言ってるんであろうか」なんてところだけど,あんまり面白くない。
じゃ,このカンバンを見て何を感じたのかというと,今まであんまり考えなかったけど,こういうカンバンを貼ってる家というのは単に場所を提供してるだけで,別に信者でもないんだろうなぁ,ということなんでした。というのも,このカンバン,少し折れ曲がっていて,半分はげかかってるんでありますね。信者なら,カンバンとはいえもっと大事にするだろうなぁと思うんでした。
こんなになってるのもあるくらいだし。これはもう,故意に曲げられてるんだろうけど,なにか書いてあることが気に食わなかったでありましょうか。たぶん「不義をあがなうイエスキリスト」でありますね。んー,「不義」というのがイヤだったのかな。不義密通をしてる人か?
さらにこれ。ぴっちりと建てられた家のあいだにはさまれております。うわぁ,なんか痛そうだ。と言うか,見てるとなんだか息苦しくなってくる。
材質から言っても右の家のほうが新しいみたいだけど,建てるときにカンバンはずそうとか考えないもんなんでありましょうか。
ここの文句は,なんだろう。「永遠の命を持つ」とかだとしたら,この状態で永遠に生き続けるのだなぁ。よりいっそう息苦しさが増してくるなぁ。
こうしてみると,カンバンと言うのも受難続きでタイヘンでありますね。殉難というべきか。
でもまぁ,人生苦しいばかりではないわけで,平穏な日もあるわけなんでありました。
救いがあって,よかったよかった。
1・2・4枚目は見附市。
3枚目は村上市。