マッチポンプ物件

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 新潟市の南部には鳥屋野潟(とやのがた)という大きな潟があって,そのまわりには公園やら図書館やら自然科学館やら野球場やら高校やら多目的ホールやらビッグスワンやらお城型休憩所街やらがあったりするんでした。
 そんな鳥屋野潟のほとりに貼られていたハリガミ。

「ゴミ捨てて 潟のほとりを ゴミひろい
 知らぬふりして 又捨る人
 困ってる住民」

 んー。これはどういう意味としてとらえればいいんでありましょうか。
 まあ,最終的には「ここにゴミを捨てるな」ということなんでしょうけれども,なにかこう,複雑な背景というものを感じてしまうんでした。

 単純にというか,よくあるパターンで考えれば,「ゴミが捨てられているので,私はいつも潟のほとりのゴミを拾っている。しかしそんなことはおかまいなしにゴミを捨てていく人は絶えないのであるなぁ」ということなんだろうけれども,はたしてそうか。

 もっと単純に,文章通りにとらえるならば,この「ゴミを捨てる人」と「ゴミを拾う人」と「又捨てる人」は同一人物と考えられるわけでありますね。マッチポンプマッチ状態。
 たとえば,Aさんは毎週日曜日にボランティアの集まりで潟のほとりのゴミひろいをしていると。でもそれ以外の日はゴミのポイ捨てをしている。「困ってる住民」がそれを問いただすと,Aさんは「だってボランティアは日曜だけだもの。他の日はいいの」と答えた…とかいう話になっているんではないかと思ったりするわけなんでした。

 まあ,私は「みんなで集まってボランティア」というのはしたことないから偉そうなことは言えないのだけれども,なんか例にあげたような「なんちゃってボランティア」の人って多いような気がするのだなぁ。自分の満足のためにやってるボランティア。ま,何にもしないよりはいい…のかなぁ。

 そんなわけで,この「困ってる住民」さんはそういうニセボランティアを憂えているんではないかと,勘ぐってしまったわけなんでした。
 実際は,無理に五七五七七にしようとしたら意味が通らなくなってしまったというようなことなんだろうけれども。

 長潟1あたり。