文脈物件

カンバンを書くからには何かしら伝えたいことが必ずあるわけでありますけれども,ちゃんと伝わる文章になっているかというとそうでもなかったりするんでした。
それでもなぜか伝わってしまうことが多いわけであって,むしろあまり整った文章だと記憶に残らなかったりするんでありますね。
ということで,最初の写真。用水路に立てられたカンバンであります。
「用水路には
ゴミは
すてないこと!
ながさないこと!
昔とはちがう川なこと!
川は大事なみんなのたからです」
とのことなんでした。
まぁ,意味的には「用水路にはゴミはすてないこと!」という最初の部分で済んでしまうような気がするわけでありますけれども,それだけではおさまらない何かがあるようなんでした。
世代によっては「いやこれは捨ててるんではなくてぇ,流してるんだぁ。これが肥料になるんだべ。(否新潟弁)」というような理屈があったりするのかもしれない。
そういう理屈じゃないにしても,ゴミは水路に流せばそれでいい時代もあったのかもしれない。
でも今はそういう時代ではないんだと。そこはわかってほしいと。カンバン主は言いたいわけでした。
それで,つい「昔とはちがう川なこと!」という,前半とつながらない文言が入ってしまったようなんでした。
文章的にはちょっとつながりが悪いけれども,言いたいことはよくわかるような気がするところではあります。

こちらは公園のわきに立てられていたカンバンであります。
「家をなくしたくなかったらたばこのポイすてやめましょう」
とのことなんでした。
「ポイすてなんかしていると,その火で自分の家が火事になってしまうかもしれませんよ」
というようなことを言っているのではないかと思われますけれども,自分の家の前でぽい捨てもしないんではないかという気もするので,理屈としてちょっとどうなんだろうかと思ってしまうところなんでした。
あるいは,もっと深く「因果応報」的な,めぐりめぐって自分に災いが帰ってくるみたいなことを言っているんでありましょうか。
「ポイすてする」→「落ち葉一枚焼ける」→「虫の隠れ場所がなくなる」→「鳥が虫を見つける」→「鳥が降りてくる」→「隠れていた猫が鳥をつかまえる」→「この猫,実はポイ捨て人の飼い猫」→「猫,帰宅して得意げに飼い主の奥さんに鳥を見せる」→「奥さん卒倒する」→「奥さんはてんぷらをあげていた」→「火事」
みたいなことが…ないか。
実はもっと単純で
「ポイすてなんかしてると,ブルドーザーでおのれの家ぶっつぶしたんど。ゴルァ」
という脅迫の意味だったりするのかもしれませんが。しないか。

オマケ。
みんなの茶の間と呼べる場所がこちらにあって,その名前が「ここはあと。」であるのだろうと思うわけですけれども。
でも「ここに来るのは後にしてくれ」と言われているような気もするわけでした。
あるいは「むかしこの場所にみんなの茶の間がありましたが,今は無くなってしまい,ここは跡になっております」ということだったりするのかもしれないでありますね。しれなくないか。
「昔とはちがう川」は新発田市・湖南あたり。
「家をなくしたく」は聖籠町・蓮野あたり。
「ここはあと。」は加茂市・矢立あたり。