とおりゃんせ物件
わらべうたというのは,なんだかよく意味がわからなくて,不気味で人を不安にさせるような歌詞と旋律であるにもかかわらず歌い継がれているものが多いんでした。「かごめかごめ」とか「とおりゃんせ」とかでありますね。
「とおりゃんせ」では「行きはよいよい 帰りはこわい」というのがよくわからなくて,さまざまな説があったりするようであります。特定の神社をモデルとしているとか,神隠しや子どもの間引きを歌っているのだとか。
私としては,神社は通常高いところにあるけれども,この天神さまはスリバチ地形の底にあるんではないかという(今思いついた)説をとりたいところであります。「行きは下りだから楽だけれども,帰りは上りになるからキツいよ。7歳の子ども大丈夫?」と,いうことなんではあるまいかと。
どうでありましょうか。どうでありましょうかと言われても困ると思いますが。
などという本文より長い前置きはさておき,上の物件であります。
さるお宅の玄関のようでありますけれども,引き戸の右半分の下側にコンクリートの土台が迫っていて,そちら側の出入りができなくなっているようなんでした。
いや出入りはできるかもしれないでありますね。右側も戸は開きそうであります。
ただ,けっこうな段差ができてしまうわけで,苦労はしそうなんでした。慣れてしまえば大丈夫かもしれませんけれども。
しかし家人は大丈夫かもしれませんけれども,お客はそうはいかないと思われるんでした。
入るときはもちろん左側から入りますけれども,お酒など飲んでいい心持になって帰ろうとするときに,すっかり忘れて右側(中からは左側)を開けてしまい,むこうずねをしこたまぶつけてしまうかもしれないんでした。
高さと勢いにによっては,ひざのお皿が割れてしまうかもしれない。
行きは良い酔い,帰りはこわいわけであります。
こちらも,さるお宅の出入り口であります。
扉まで2段の段差があるわけでありますけれども,その先端部分が少し狭くなっているんでした。
この狭い部分はなんであろうかと,思ってしまうところであります。
これも,入るときには注意して入るでしょうけれども,帰りはあいさつなどしながら後ろ向きに出てきたりすると踏み外して「うおっ」となってしまいそうなんでした。
あるいは,この辺では局地的に近所同士の戦闘が行われていて,このお宅が陣地であることを凸マークで知らせているんでありましょうか。ちがうか。
こちらのお宅は勝手口でありましょうか。
扉がついていますけれどもやはり少し高くなっていて,ごく簡単な足場がブロックを積んで組まれているんでした。
家の人しかここで出入りはしないのかもしれないですけれども,やはりちょっと慣れが必要そうであります。暗くなっているときなんかは,よほど注意しないと踏み外しそうなんでした。
ちょっと不自然な位置にある真ん中の透かしブロックは,客人が踏み外すのを家人がここから覗き見てクククと笑ったりするんでありましょうか。(笑いません。家の人はそんな悪人ではありません。たぶん)
でもこの物件は,帰りもそうですけれども入るときも三つ目の魔神に見つめられているようで,こわそうではあります。
「皿割り」は新潟市中央区・水道町2あたり。
「凸陣地」は新潟市中央区・田中町あたり。
「みつめ」は新潟市中央区・旭町通1あたり。