律義物件



 大量生産のものが多くあふれる現代では街で見かけるものも規格品がほとんどになるわけで,モノの形というのはだいたい長方形とか円形になってくると思われるんでした。
 そんな中でちょっと規格から外れるようなものを見ると,なんとなく「おお」と思ってしまうわけでした。

 ということで,上の物件。
 モノ自体はよく見かける側溝の格子蓋でありますけれども,形が長方形ではなく台形なんでした。いや格子の上のほうを見てみると台形ですらないことがわかるんでした。

 しかしその形ぴったりに正確に縁もとられているわけで,これをわざわざ作ったんだとすれば,もう「律儀であるなぁ」と思わざるをえないわけでした。

 そもそもが,なぜ側溝の穴の形がこうなのかと思ってしまうところではあります。
 ひょっとするとこの穴の形も規格で決まっているんでありましょうか。それであれば,この格子蓋も規格品なのかもしれないですけれども。
 曲線の側溝の場合につなげて使うとか。でもこの側溝は直線だし。

 そんな律儀蓋でありますけれども,よく見ると中では植物が育っているんでした。律儀に作っても今は植物の天窓になっているあたりが,なんともワビサビであります。


 こちらも側溝蓋でありますけれども,ちょうど曲がり角にあたる部分の蓋であります。
 本来なら石の蓋が入るべき部分なんでしょうけれども,都合のいい石がなかったのか壊れたのか,金属製の蓋が作られているようなんでした。
 曲がり角が直角ではないので,あんまりいい蓋がなかったんでありましょうか。

 最初の蓋と比べるとちょっと甘い部分もあって律儀感は薄れますけれども,それゆえに手作り感にあふれているんでした。

 この蓋と最初の蓋は新潟市流通センターという企業団地みたいなところにあるので,いろいろと技術を持った人がいたり会社もあったりするのかもしれない。
 そういった人たちが穴のあいた側溝やうまくはまっていない格子蓋を見るとウズウズと「俺がやってやる」欲が出てきたりするのかもしれないでありますね。


 こちらは違う場所でありますけれども,よく見られる感じのゴミ収集ボックスであります。
 ただ,設置場所が崖を背にするところで,さらに崖面が垂直でもないために背面をそれにあわせることになり,頭でっかちになっているんでした。律儀に,ピッタリであります。

 これはお得なのかどうなのか。そういう問題でもないか。
 あんまり詰め込むと,扉を開けたときにゴミがなだれ落ちてきて遭難してしまわないかと心配にもなりそうでありますけれども,そんなこともないのか。いつも使っている近所の人は慣れているのかもしれないし。

 そして引っ越してきたばかりの人はそれを知らず,ゴミを浴びる洗礼を受けるのがこの地域に住むための通過儀礼になっているのかもしれないでありますね。ゴミまみれになって初めて住民になれるのかもしれない。しれなくないか。

 あるいは,よその人間が勝手にゴミを入れようとするとワナにかかってしまうのかもしれないでありますね。そういうヤカラはそのままゴミ収集車の中へ行ってしまうのかもしれない。しれなくないか。


 こちらは量水器と止水栓かなにかの蓋だと思われますけれども,階段の途中にあるためにその部分をあけなくてはならず,階段の形に合うようにさらに蓋を作っているらしいんでした。

 確かに蓋をつぶすわけにもいかないだろうし,階段に穴があいていても危険きわまりないわけで,こうせざるを得ないような気もするわけであります。
 わけでありますけれども,やってしまう前になんとかならなかったんであろうかと,思ってしまうところでもあるんでした。どちらが先だったのかわかりませんけれども。

 しかしまぁ,理由はどうあれやはり律義であるなぁと,これはこれでオモシロいと,考えてしまうわけでした。

「格子律儀」は新潟市西区・流通センター5あたり。
「曲がり律儀」は新潟市西区・流通センター4あたり。
「収集律儀」は新潟市中央区・旭町通1番町あたり。
「階段律義」は新潟市中央区・本町通7番町あたり。