声かけ物件



 さるお店の窓に掲げられていた創立30周年記念標語であります。何の創立30周年だかわかりませんけれども,とにかく
「危ない遊び 我が子と思い 声かけよう」
とのことなんでした。

「声をかける」と言っても,どのように声をかけるかというのは,その人と状況によって変わってくるような気がするでありますね。

 まぁ普通に考えれば,何か危険な遊び(道路で鬼ごっことか)をしている子どもを見て

「ああ。あんな危険なことをして。もしあれが私の子どもであって,事故にでもあったとしたら,とても悲しい思いをするであろうな。知らない子ではあるが,声をかけてやめさせねば。こらこら君たち」

という流れのことなのだろうと思われるところでありますが。

 しかしこれは標語を見た人が一般的な善人である場合であります。
 もし,異常な悪人が見たら,考えの流れは別なものになるんではないかと思われるんでした。

 そんな人がこの標語を見て,真面目そうな学生さんが真面目な遊び(数学パズルとか)しているのを見かけたら

「おおおぅ。にいちゃん。まだ若ぇのにそんなマジメくさっててどうすんだよぅ。若いうちはもっと危ない遊びしないとダメだぜぇ。オレの息子がオメェくれぇの時はよぅ。もっと楽しそうだったぜぇぃ。親父のオレと一緒によぅ。このチューシャキ使ってよぅ。遊ぶんだよぅ。すげぇ楽しくなるんだぜぇぇ。でも今は息子もいなくなっちゃってよぅ。ひとりじゃやっぱ寂しいんだよぅ。にいちゃん,息子の代わりにオレと一緒に遊ばねぇかぁ? ん。息子? なんか,何年か前に『空飛んでくる』とか言ってあのビルの屋上から飛び立ってよぅ。まだ戻ってこねぇんだよぅ。ぎゃはははは。なぁ,だからよぅ。一緒に遊ぼうぜぇ」

 というように声をかけてしまうんではないかと思われるんでした。思われないか。

「声をかける」という場合,誘いをかけるという意味合いもあることを忘れてはいけないでありますね。
 常識的に考えて,と言っても,常識的でない相手もいたりするわけであります。
 なんてことを考えてしまう私はヒジョーシキなのか。

「声かけよう」は新潟市中央区・文京町あたり。