小ネタ物件107


 さて,小ネタコーナーであります。物件としてはちょっとどうかな? と思うんだけれども,なんだか憎めないようなヤツらを集めてお送りします。本物件とどこが違うんだと思われるかもしれませんが,その辺は「なんとなく」なんでした。

 今回は,とくにおかしなことが書いてあるわけでもなく,私の脳内エラーによるものが多くなっております。…いつもか?




 街角のたばこ販売所であったろうと思われるお店であります。「たばこ」の文字も見えないので,もう営業はされていないような気がするんでした。

 ただ,脇には,かつておそらく「暮らしにつながるこの一服」とか書かれていたと思われる一文の一部が残っているんでした。
 他の文字は消したり隠したりしているのに「暮らしにつなが」という部分だけ残されているというのはなにか理由があるんでありましょうか。

 店主はマグロが好きで,日々の暮らしにはツナが無いと生きていけないという人だったりするんでありましょうか。
 あるいは店主は,チョウチョの仮面をつけたお姉さまに
「ほらほら。お前の好きな太っとい綱だよ。これで縛り上げてあげるからいつものようにいい声でお泣き!」
などと言われるのがうれしくて,日々の暮らしには綱が必要不可欠であると説いている…わけではないような気がするでありますね。

 新潟市中央区。




 人間の脳は,どうも文字を全部認識せずに視野に入った一部分だけを使って単語を組み上げてしまうということをしがちなんでした。
 特に,自分の知らないカタカナ語は勝手に知っている単語に組換えがちのようであります。

 ということで,こちらは美容クリニックのカンバンであります。どこもおかしくはない,ちゃんとしたカンバンなんでした。もちろん,クリニック自体もたいへん素晴らしいところであろうと思われます。たぶん。知りませんが。

 ただ「クールブリス」という単語はあんまり聞いたことがないのに「クール」と「ブス」はよく知っているので,「クールブリス」を「クールブス」と読んでしまったりするんでした。

「クールビューティー」は割とよく言われる誉め言葉でありますけれども,「クールブス」というのは斬新であるような気がするでありますね。誉めてるのか貶してるのか。

 あるいは,夏場は省エネのために厚化粧をやめてスッピンのブスのままでいましょうという政府の新方針でありましょうか。いやスッピンがブスかどうかはわかりませんけれども。

 実際,化粧関係のために資源を使ったり環境を汚染したりというのは少しはありそうな気がしますけれども,そういった議論は絶対に起きないでありますね。「環境のために化粧をするな」とか言い出したら,人類の半数を敵に回しそうであります。

 新潟市中央区。




 こちらも,まったくおかしなところのない「赤塚電話交換所」であります。
 ただ「電話の交換」ということ自体が,私の年代でも,ドラマや映画の中だけで見る昔の風景として知識の中にあるだけなわけなので,さらに若い世代にとってこの「電話交換所」というのが何であるのかわかるんであろうかと,思ってしまったわけでした。

 まぁ,若い世代であっても,もちろん知識として知っている人はたくさんいるでしょうけれども,知識としても知らない人というのが大多数になっているのだろうなぁ,と思われるでありますね。

 特に最近は電話自体がお手軽なものになっているので,「電話交換所」と言われればフリーマーケットのように人が集まって自分の携帯電話を誰かの携帯電話と交換する楽しい場所のように思ったりするんではあるまいかと想像してしまうわけでした。
 そこまでバカではないかもしれませんが。いやひょっとすると。
 もしくはホントにここで電話の交換会をやってたりするのかもしれませんが。

 新潟市西区。




 こちらは,町の名所旧跡案内板のようなものであってエラー表記があるわけでもないので,うちの物件としては番外になるものであります。
 ありますけれども,ちょっとオモシロかったので小ネタにしてしまうわけでした。

 その名も「屁っぷり坂」であります。「屁」を「ペ」と読むあたり,何か別のものも出てしまっているんではないかというような響きであります。
 名前の由来としてはこのようになっているんでした。


「江戸中期にこの坂が作られました。
 当時は現在より急斜面で,あまりの傾斜で,登りきることができずに亡くなった人がいたと伝えられています。
 屁が出るほど登るに切なかったことから…」
とのことであります。

 えええ! でありますね。登りきれずに死んでしまうとは,いかほどの坂であったのか。その辺の3千メートル級の山なんかよりよほど過酷そうであります。
 しかもその,人が死ぬほどの坂を「作った」わけで,江戸時代中期の技術,恐るべしでありますね。いや計画性がないというべきか。

 かと思うと,その坂を「屁が出るくらい」の苦労で登ってしまう人もいるわけで,亡くなってしまった人の命の重さは屁と同じくらいなのかと思うと,浮かばれないだろうなぁ,などと思ってしまうわけでした。坂には「屁っぷり」じゃなくて,その人の名前でもつけてあげればいいのに。

 今現在の坂はもちろん登ってみましたけれども,普通の坂なんでした。かつての坂がホントにその由来どおりの坂で今も残っていれば,相当な名所になったような気がするでありますね。

 新潟市西区。