ぼっち物件



♪口笛吹いて 空き地へ行った。 知らない子がやってきて 遊ばないかと笑って言った。
♪ひとりぼっちはつまらない。 誰とでも仲間になって仲良しになろう。
♪口笛吹いて 空き地へ行った。 知らない子はもういない。みんな仲間だ仲良しなんだ。

というのは,小学校の頃にやっていた道徳のテレビの歌だったと思いますけれども,口笛吹いて歩いている時点でなんだか寂しそうであります。そうでもないか。
 今や,誰とでも仲間になってしまうのはちょっとアブナい感じがするし,空き地に無断で入ったら怒られそうであります。わずかの間に環境というのは変わるものでありますね。
 というようなこととはあんまり関係ありませんけれども。

 上の写真は,さる商店の脇に設置された自動販売機であります。
 隣のスペースにもう一台設置されていたようで,壁の色が一台分白くなっているんでした。
 これが本来の壁の色で,自販機のある部分だけ残っているということなんでありましょうか。
 なくなってしまった自販機の影が残る形で,なんだかちょっと寂しい感じであります。

 残された一台の気持ちは,いかばかりでありましょうか。ひとりぼっちで寂しいのか,あるいは生存競争に勝ち残れてうれしいのか。
 競争に勝ったとしても,ライバルのいなくなるのはやはり寂しいところかもしれないでありますね。
 隣の缶入れに「そう寂しがるなよぉ。オレがいるじゃんよぉ」と言われて「ああ。そうだな」と返しつつも(でも仕事ちがうしなぁ)などと思っているのかもしれないんでした。

 でもよく見ると自販機の右側も白いようで,実はもっと複雑な出来事があったのかもしれないでありますね。


 こちらは,歩道の中にある花壇というか,植栽スペースであります。歩道が変則的な形になっているところで,広めの三角形のスペースになっているんでした。

 まぁ,にぎやかな感じでありますね。花は咲いて,木も2本あって。
 でも,その中にあって電柱がなんだか所在無さげであります。
「みんな自然物なのに,自分だけこんなカッチカチのカラダでこの中にいていいんであろうか。自分には土も水もいらないのに。ああ。せめてこのスペースの外に出していてくれれば,こんな気持ちにならなくてすむのに」
などと思っているんではないかと,想像してしまうわけでした。

 自販機やら電柱やらにそんな気持ちを投影してしまうというのは,私もちょっと弱っているんでありましょうか。


 こちらは,川に掲げられた注意のカンバンであります。
 雨が降ったりすると増水して危険なので注意しなさいということなんでありますけれども,真ん中に書かれた注意が少し寂しいんでした。


「一人では遊ばない ・・・助ける人がいないから」
ということであります。

 まぁ,その意味合いとしては
「ここは目につきにくい場所で,溺れても誰も気づかないかもしれないので一人では遊ばないように」
ということなんだと思いますけれども,
「この近所の人は薄情だから,アンタが溺れてるのに気づいても誰も助けちゃくれないよ」
と言っているかのようにも読み取れてしまうんでした。

 特に,「助ける人がいないから」の前にある,溜め「・・・」がちょっときいている感じがするでありますね。
「こんなことは言いたくないんだが…。この辺の人は…。この辺の人は…。・・・助けてなんかくれないんだよっ!!」
と言っているかのようなんでした。

 あるいは,このあたり一体には「助けたくなくなるフィールド」というのが発生していて,危機を察知したスーパーマンなどのヒーローが飛んできても,周辺に差し掛かると「あ。もう今日はなんかどうでもいいや」と言って帰ってしまうという恐ろしい地域なのかも…しれなくないか。

※もちろんこれは私の勝手な妄想であり,この近所の人が薄情であったり特殊フィールドが発生しているなどということはないと思われます。たぶん。

「ひとり自販機」は新潟市中央区・関屋金衛町1あたり。
「ひとり電柱」は新潟市中央区・関屋松波町2あたり。
「助けない」は新潟市東区・新松崎3あたり。