出入物件



 近所のスーパーへ買い物に行ったら,あるドアに書かれていたものであります。
「いらっしゃいませ 入口は店内になります」
とのことなんでした。

 入口は店内に…。
 すると,入口へ行くためには店内に入らなければならないわけでありますけれども,その店内に入るためには入口へ行かなければいけないわけであります。そして入口へ行くためには店内に入りたいのだけれどもそのためには入口へ行くから店内に入ろうとすると入口が…という永久ループにおちいって,いつまでも入れなくなってしまうわけでした。

 仮に店内に入ることができたとしても,店内に入ってしまったらそこに存在するドアはもはや入口ではなく出口になってしまうんではあるまいかという気もするでありますね。
 でもあくまでもそれは入口であるから,店内にあるそのドアを使うとまた店内に入ってしまうわけで,今度は外に出られなくなってしまうと思われるんでした。

 まぁ,実際にはスーパーでありますから,入口はいくつかあるわけなんでした。これはその中のテナント用に設けられたドアであって,普段はそこから出入りすることはなく,閉めきりとなっていると思われるんでした。お店へ来る場合は,スーパーの汎用出入り口をお使いくださいと。このドアは使うなと,いうことでありますね。

 でもホントに店内に入らないと入口が無いという,異次元ドアというか,一休さんでも連れてこないと入れないお店だったりするのかもしれないですけれども。

 あるいは,入口は「店内にある」んではなくて「店内になる」ということなので,「入口がいつの間にか店内になってしまうので注意しましょう」ということなんでありましょうか。
 入口だと思って店の前に立っていると,気づいたら店内に入ってしまっているというイリュージョンのようなお店。お店が膨張を続けているということなんでありましょうか。そのうち地球上はすべてこのお店になってしまうのかもしれないでありますね。そんなこたないか。

 あるいはもっと観念的なことで,「店舗の内と外を隔てる境界上にある入口というのは店の中なのか店の外なのか」という考え方の問題だったりするんでありましょうか。
 業界では「入口とは店内である派」と「入口とは店外である派」が日々抗争を繰り広げていて,自分のお店がどちらの派閥に属するのかということを宣言しないといけないのかもしれないでありますね。こちらのお店は「店内派」ということなのかもしれないんでした。

 いったいそれを争ってどうなるのかという気もしますけれども,派閥争いなどというのはそんなくだらないことばっかりなのかもしれないわけでした。


 こちらは,さるお宅の郵便受のようなんでした。「郵便受」と書かれているからにはそう信じざるを得ないわけであります。形もまごうかたなき郵便受であるし。

 ただ,その下には「出口」とも書かれているんでした。「出口」と書かれているからにはやはり出口なんでありましょうか。

 このお宅では,お父さんやお母さん,おじいちゃんおばあちゃんやボクやお姉ちゃんが,出かけるときには「行ってきまーす」と言いながらこの狭い出口から,にょろーんと出てくるんでありましょうか。

 出口専用のようなので,帰ってくるときには普通に玄関から「ただいま」と言って入ってくるのかもしれないですけれども。

 でも,なんとなく出かけるときのほうが楽しそうでありますね。
 帰ってくるときはため息つきながらガラガラと戸を開けて「ただいま…」だけれども,出かけるときはニコニコしながら,にょろーんと「行ってきまーす!」。

 ちょっと,このお宅を訪問してみたいでありますね。用件はそこそこに,にょろーんと出て行くのをやってみたいんでした。

 まぁ,名前が出口さんとおっしゃるのかもしれないですけれども。

「入口は店内に」は新潟市東区・中山6あたり。
「にょろーん」は新潟市中央区・稲荷町あたり。