だっふん物件



 歩道のわきに小さな花壇的スペースがあって,そこの地面に刺さっていたプレートであります。
「犬の脱フン 持ち帰れ」
ということなんでした。

 昔は犬の散歩をしていてもフンを持ち帰ったりするのは少数だったと思いますけれども,今はもうそういう時代ではなくなっていて,持ち帰るのが愛犬家として当然のマナーになっているわけであります。
 昔は今のようにアスファルトやらなんやらで地面が覆われていなかったので,あんまり目立たなかったし土に返りやすかったりもしたんでしょうけれども。

 犬としても,やはりどうせなら土の上でしたいという気持ちがあったりするんでありましょうか。
 そうすると,こういった花壇的な土のあるスペースというのは犬としては狙い目スポットだったりするのかもしれないでありますね。犬の口コミで脱フンスポットが有名になっていくのかもしれない。
 だから,こういうプレートが出てくるのかもしれないんでした。

 そういった事情はともかくとして,このプレートはなかなか味があってけっこうな作品であります。
 書いている人の姿が想像できるというのが,こういった手書きカンバン系の評価ポイントでありますね。
 もちろん,その想像が当たっているかどうかというのは度外視されるわけですけれども。どんな人を想像するかというのは各人各様だろうし。

 私は,家ではちょっとガンコで会社で着ていたベージュ系の作業衣を定年後の今も普段着にしている,70歳くらいのやせ型のじーさんを想像したんでした。
 定年後のヒマな時間にこのスペースに花を植えていたんだけれども,犬のフンが目立つようになってきたので
「ダッフンはいかんな。ダッフンは」
とかブツブツ言いながら書いたような気がするんでした。
 全然ちがうかもしれませんが。

 しかし「脱フンを持ち帰る」というのは単にフンを持ち帰るのとは違うんでありましょうか。
「フン」というモノではなく「脱フン」という行為を持ち帰るということは,
「犬がフンをしようとしたら即座に犬を抱え上げて自宅に帰り,家で脱フンさせるように」
という意味合いだったりするんでありましょうか。

 それはなかなか飼い主にとってキビシイ要求でありますけれども,確実かもしれないでありますね。そうでもないか。


 同じスペースにある,おそらくは同一作者の別プレートであります。
「綺麗な花咲く」
ということなんでした。

 こちらは,さらに詩的ですばらしい作品でありますね。
 ベージュ作業衣のじーさん(私の妄想上)が,「脱フン」プレートを書いた後で
「綺麗な花が咲くんだよ。綺麗な花がなぁ…。んふふ」
とつぶやきながら書いていたと思われるんでした。

 花の名前なんかは知らないけれども,とにかくキレイな花が咲く。それを楽しみに犬のフンと戦うベージュじーさん(妄想)に幸多かれと願うばかりであります。

「脱フン」「綺麗な」は新潟市東区・大形本町1あたり。