悪いこと物件



 1970年代くらいまでは,ドラマやアニメなんかの内容はとにかく勧善懲悪であり,善と悪というのがハッキリしていたでありますね。しかしそれ以降になると,何が善で何が悪であるのかというのが立場によって変わるようになってきたんでした。

 それは確かに真実なんでありますけれども,子どもの頃から「善悪などというのは相対的なものであって,絶対の正義などというものは存在しないのだ」と悟ってしまうと,なんだかおかしなところへ行ってしまったりしないかなと思ったりもしてしまうわけでした。

 なんていうちょっと社会派(でもないか)な前置きはさておき,上の物件は標語カンバンであります。
「善と悪 自分でつけよう その区別」
ということなんでした。

 作者の意図としては「人に言われなくても,自分で悪いと思っているような犯罪行為はするなよ」ということだと思われるわけですけれども,逆に言うならば「キミにとってそれが悪いことでないならば,他の人が何と言おうがそれは善なのだからやっちまいなさい」ということにもなるような気がするんでした。
 性善説をとるか性悪説をとるかという辺りの話になるんでありましょうか。

 まぁ,お上から「これが善であるから,国民こぞってこの方針を貫くべし。まずは大東亜圏の…」とか言い出されるよりは,多少いびつでも各人各様のルールブックを持ってる方がいいのかもしれませんけれども。


 こちらはその隣にある標語カンバン。
「悪いこと しっかり言える人になろう」
とのことなんでした。

 意味合いとしては「悪いことは悪いと,他者にしっかり意見できる人になろう」ということだと思われますけれども,なんだか「悪いことを言える」だと「罵詈雑言を他者に浴びせ掛けられるようになろう」と言っているようにも思われてしまうわけでした。悪いことよりも良いことを言いたいものであります。違うか。

 あるいは,人を説得するときに「悪いことは言わん」と言ったりしますけれども,その「悪いこと」を言えるようになれと言っているようでもあるんでした。
 確かに説得の際の「悪いことは言わないから」というセリフ,「じゃあその悪いことって何? 言ってみて」と反撃されたら説得者はキチンと説明できるんでありましょうか。

 それとも,これは「子どものような感性をいつまでも失わない大人になりましょう」ということなんでありましょうか。つまりは「悪いこと」というのは「悪い言葉」のことであると。
 子どもというのは汚い言葉,悪い言葉というのが大好きであります。ウ○コとかチ○コとかそんな言葉を発して大喜びするわけでありますけれども,大人になると恥ずかしくて口に出来ない,そして文章でも伏字を使ったりするようになってしまうんでした。
 いつからそういう風になってしまうんでありましょうか。

 というようなことを考えつつ歩いていたら目に入ったのが次のカンバンであります。


 いや別にどこもおかしくない,「御菓子司 たきまん」さんのカンバンであります。
 おかしくはないわけですけれども,どうもこの4文字がひらがなで書かれているとちょっとピクッとしてしまったりするわけでした。
 そしてひらがなだと「き」と「ま」が形的に割と似ている文字であるので,その2文字を入れ替えて読んでしまいそうになったりするんでした。そうでもないか?

 ここからはあえて伏字にしませんけれども,入れ替えたその「たまきん」自体が「金玉」の婉曲表現なわけだから,「たまきん」は伏字にしたり言いよどんだりする必要はないはずであります。
 はずでありますけれども,メジャーになりすぎてそれ自体がまた「悪い言葉」になってしまったようで,気軽に使うのがはばかられてしまうんでした。こうして,使える言葉というのは言葉狩りのごとく減っていくんでありましょうか。

 まぁ,あんまり大声で「たまきんたまきん」と話していたらそれだけで捕まってしまうかもしれませんけれども。
 なんにせよ,子どものような感性はいつまでも失いたくないものでありますね。

※毎度のことながら,私は標語を茶化してバカにしているわけではないんであります。茶化してはいるけれどもオモシロがっているだけなので,中学生のみなさんはどんどんオモシロい標語を作ってもらいたいものであります。
※「たきまん」さんはとてもおいしい御菓子のお店だと思われます。私は買い物したことありませんが。

「善と悪」は新潟市北区・松浜本町2あたり。
「悪いこと」は新潟市北区・松浜本町2あたり。
「たきまん」は新潟市北区・松浜本町2あたり。