曲る物件
「まがる」というのは日常的によく使われる言葉でありますけれども,意外と漢字で書くことは少ないんではあるまいかと思ったりするんでした。最近は自分で字を書くということ自体が少なくなってはいますけれども。
「まがる」は「曲がる」あるいは「曲る」と書きますけれども,なぜ「曲」なのかと思ってしまったりするんでした。字の形として,全然まがってないんでありますね。むしろ縦縦横横が直交していて,直線的な感じすらするわけでした。
ひらがなで「まがる」だと,もうグニャグニャした感じで曲がりまくっていて,いかにも「まがる」ではあります。まぁ,ひらがなというのは全部グニャグニャしてはいますけれども。「ぬめる」なんていうのはさらにグルグルしている感じでありますね。
もっとも「まがる」というのには「ぐにゃりとまがる」ように曲線になる意味合いだけでなく「交差点をまがる」ように直線的に移動する意味合いの使い方があるので,後者だと「曲」はそれほど外れていないような気もしてきますけれども。
といったようなこととは全く関係なく,上の物件であります。
「注意 この先の道路は 二トン車以上の車は 曲られません。」
ということで,特におかしなことが書いてあるわけでもないですけれども,ちょっと気になるのが「曲られません」なんでした。
「まがることができる」という意味で「まがられる」と言うのは新潟では年配の人を中心に割とよく聞くような気もするわけですけれども,全国的にはどうなのか。標準としては「まがれる」ではないのか。いや正式な活用では「まがられる」であって「まがれる」は本当は間違いだったりするのか。などと考えたりしてしまうんでした。
文法を調べればわかることのような気もしますけれども,面倒なんでやらないわけでした。
それともこれは「まげられる」なんでありましょうか。この先の道路は不思議な空間になっていて,そこを通る乗用車は道路の意思によって曲げられてしまうのかもしれない。でもさすがに二トン車ほどの大きさになると道路の神通力も通じないということで,あらかじめお断りをしているのかもしれないんでした。しれなくないか。
あるいは,これは「まがられる」ではなくて「きょくられる」だったりするんでありましょうか。
若者言葉で「告白する」を「告る」というように「曲芸する」を「曲る」と言うのかもしれないでありますね。この先の道路では車のアクロバット運転がよく行なわれているんだけれども,残念ながら二トン車以上はできませんよ,ということだったりするのかもしれないんでした。しれなくないか。
こちらは,さる駐車場の奥のほうにある水道の蛇口なんでした。なんだか,妙に無理な体勢を強いられているような気がするわけでした。
下のほうは横棒のこちら側に,上のほうは横棒のあちら側にあるわけで,コブラツイストとか卍固めでもかけられているような感じであります。見ている方が苦しくなってくるような気がするんでした。
水道より横棒の方があとから作られたように思われるわけですけれども,なぜこんなことになってしまったんでありましょうか。
しかもこの水道の頭をおさえている横棒は,長さも短くさらに上との間隔も狭いわけで,無理にいらないんではないかとも思えるんでした。水道の頭をおさえるためだけに設置された横棒だとすると,水道がかわいそうになってしまうんでした。
それとも,古く見えるけれども水道の方があとなんでありましょうか。
水道の蛇口というのは実は植物で,農家で種をまいて育てるのかもしれない。そして生長したところで収穫して各家庭に設置されるのかもしれない。
そしてこの物件の場合は,どこからか飛んできた水道の種が駐車場に落ちて発芽し,どんどん生長していった「ど根性水道」だったんだけれども,無粋な横棒に阻まれてしまっているのかもしれないんでした。
いやむしろ,きれいに形成するためにあえて横棒を置いて曲げることにより,美しい蛇口になるようにしているハイテク農業なのかもしれないでありますね。
しれなくないか。
「曲られません」は新潟市東区・竹尾4あたり。
「水道栽培」は新潟市中央区・雪町あたり。…だったか?