フシギ物件
「七不思議」というのには世界的景観から家庭の事情まで様々なものがあるわけですけれども,新潟には「越後七不思議」というのがあるんでした。
新潟県人といえども,その七つの不思議をソラんじることのできる人は少ないであろうし私もできませんけれども,「逆さ竹」というのがあるというのは知っている人も多いような気がするんでした。
越後に流されてきた親鸞上人が,持っていた竹の杖を地面にさしたらそのまま枝が逆向きに出るように竹が育った…というような話だったような気がしますけれどもうろ覚えであります。
そんな逆さ竹の薮が新潟市内にあるわけでありますけれども,上の写真はその近くのガソリンスタンドに置かれていた案内カンバンなんでした。
まぁ特におかしなことは書かれていない,大きいけれども素朴な,手書きと思われるカンバンであります。
ひとつ,「逆」の字が上下逆になっていて「ん。この字は?」と思ってしまうところでありますけれども,それもすぐに理解できるくらいのナゾなんでした。
ただツッコミどころとしては「国指定天然記念」って,競馬の名前みたいであるなぁ,というあたりでありましょうか。
そして「逆」をまた「逆さ」にしてしまったら,それは「逆」ではなく「正常」なんではあるまいかというあたりでありますね。
しかし,ここで実際に声に出して読んでみると,意外な真実に気づくんでした。
すなわち「さかさ」を逆にしてしまっても,それは「さかさ」なんでありますね。
つまりは「さかさ」という言葉は,「逆(ぎゃく)」という意味を持っているにも関わらずそれ自体は決して「逆」にはならず「さかさ」の状態を保つことが「正常」である言葉なんでした。ああややこしい。
そういったことを踏まえた上で,このカンバンは書かれているんでありましょうか。スタンド店長,なかなかやるでありますね。
こちらは越後七不思議ではありませんけれども,ちょっとフシギな感じのする木であります。
穴あきブロックの穴から塀の外へ出て,そこからはまっすぐ上に伸びたものの途中でほぼ直角に分岐し,しかし結局互いに求め合うように合流するという,気まぐれなのび方であります。
「俺たちはメジャーを目指すんだ」と言って村をとび出して都会を目指したミュージシャン志望のタローとジロー。
けれども結局都会では芽が出ず地道な暮らし。
地道な暮らしを受け入れようとするタローとあくまでミュージシャンを目指すジロー。
ふたりは決別して別々の道へ。
それぞれの暮らしの中で,何か物足りなさと焦燥感を覚え始めるふたり。
彼らの足は,時を同じくしてふたりの思い出の場所へ。
運命の再会。互いに呼び合うふたり。
彼らの未来は,これから始まるのだ。
というような物語があったりするんでありましょうか。ないか。未来がこれから始まるのは当たり前だし。
まぁそれはともかくとして,この木を見ているとなんだかフシギな感じがしてくるのは,形がなんとなく「?」に似ていたりするからなんでありましょうか。
以前にも書いたような気がしますけれども,この「?」という形はホントになんだか「?」という感じがするんでありますね。
「?」という感じって何だと言われても説明が難しいところでありますけれども,共感はしていただけるような気がするわけでした。
この木のたたずまいが親鸞上人の時代からあったら,越後の七不思議になっていたでありましょうか。
当事からブロック塀があったかどうか知りませんが。やはりこれはブロック塀込みのフシギだろうし。
「さかさダケ」は新潟市中央区・鳥屋野1あたり。
「ハテナの木」は新潟市中央区・信濃町あたり。