カラー物件



 世の中には文字通り色々な色があふれているわけであります。基本的には明るい色を見るとはずんだ気持ちになるし,暗い色を見ると沈んだ気持ちになってくるんでした。

 それは人間の遺伝子に組み込まれているのか後天的に学習するものなのかはよくわかりませんけれども,色というのが何かしら感情に働きかけてくるというのは確かなことだと思われるんでした。

 そんなわけで,上の物件。
「祝祭日はゴミの回収を致します 日曜日はゴミの回収を致しません」
とのことであります。

 書いてあることは特に目新しいこともなく,これを文字として読んだだけでは「ふむ。そういうルールか」というくらいの感想しかないわけでした。

 しかし,白地に赤で「祝祭日はゴミの回収を致します」と書いてあると
「祝祭日は回収してくれるんだ! やったー!」
という気持ちになるし,黒字に白で「日曜日はゴミの回収を致しません」と書いてあると
「ううう。日曜日にゴミを出したら地獄に落ちてしまうのかもしれない…くわばらくわばら」
という気持ちになりそうな感じがしてくるんでした。

 祝祭日のゴミ回収には感謝を,日曜日の不法ゴミ捨てには恐怖を,というこのカンバン。なかなかの効果をあげているんではあるまいかと思ってしまうでありますね。
 まぁ,そんなことを思ってしまうのはカンバンばっかり見ている路上観察者だけであって,ゴミを出しに来た地域の人たちは「ん?カンバン? おお。こんなところにカンバンがあったのか」というくらいのものなのかもしれませんけれども。


 こちらは暮らしの困りごとを解決してくれる会社のようであって,カンバンの内容というのは特におかしなところはなく,犬が手伝っている会社というのもどうなんであろうか,というくらいのものなんでした。

 ただ,ちょっと目立つのはカンバンのまわりの赤白青なんでした。
 別におかしくはないわけですけれども,このトリコロールというのはどうも床屋さんを連想してしまうんでありますね。あるいは形からして,エアメールとか。
 それで,ここは世界をまたにかける床屋さんなんであろうかと思ってしまうわけですけれども,そういう業種でもないようなんでした。

 まぁ,赤白青を床屋さんだと思ってしまう方がいけないんでしょうけれども。そうでないと,おフランスは床屋さんばっかりの国になってしまうし。
 床屋さんの赤白青はそれぞれ動脈包帯静脈をあらわしていて,かつて医者の役目もしていた名残である,なんていうのはよく聞きますけれども,後付けっぽい感じもするでありますね。
 始めた人としては単に「この色の組み合わせ,なんか好き」くらいのことだったんではあるまいかという気がするんでした。色や音楽は理屈じゃないような気がするでありますね。


 こちらはおそらく「三菱カラーテレビ」のカンバンだと思われるわけですけれども,肝心の「カラー」という部分の色がほとんど消えてしまっているんでした。「カ」はまだ無事ですけれども,「ラ」は完全に消えていて「ー」も風前の灯であります。

 まぁ,もはやテレビがカラーであるというのは当たり前になってしまっていて,むしろ白黒テレビ(この響き自体が懐かしい)にはプレミアがついたりしているんではあるまいかというご時世なので,「カラー」という表記が消えていくのも無理からぬことだと思われるんでした。だから消えているというわけでもないでしょうけれども。

 白黒テレビをみていたというのはどのくらいの世代までなんでありましょうか。そのうち「アナログテレビを使ってたというのはどのくらいの世代なんだろう」ということが言われるようになるのかもしれませんが。

 あるいは,このカンバンは「ラ」が消えているんではなくて「カーテレビ」なんでありましょうか。車でみられるテレビ。
 これも,私が子どもの頃にはSFみたいなアイテムだったですけれども,今や当たり前でありますね。それどころか道案内までしてくれるという,まさしくSFであります。私の車にはついてませんけれども。

 はたまた,これはカタカナではなくて「力一(ちからいち)テレビ」なんでありましょうか。
 とても力持ちで,重いものを持ってくれたりする,これからの高齢化社会では頼りになるテレビ。こちらはまだ実用化されていないような気がするので,各メーカーさんは作ってみたらいかがでありましょうか。
 まぁ,別にテレビが力持ちじゃなくても普通のロボットを開発すればよさそうではありますけれども。

「赤と黒と白」は新潟市中央区・礎町通3あたり。
「赤と白と青」は新潟市中央区・紫竹山6あたり。
「カとラとー」は新潟市南区・白根あたり。