止まって物件



 歩いていると,ちょっと衝撃的なお言葉が目に入ってきたわけでした。

「止まってね ぼくの命 だけ」

 というこのお言葉は,「ぼくの命だけ止まってほしい」という願いなんでありましょうか。つまりは,自殺志願なんでありましょうか。
 しかし「止まってね」ということは自分で命を止めるつもりはなく受動的なものを望んでいるわけで,自殺とは言えないようでもあるんでした。

 それに,悲壮感が無いんでありますね。世間への恨みとか未練とかいうものは無く,ただひたすらに自分の命だけが止まってほしいと願っているようなんでした。

 してみると,ここで重要なのは「だけ」というところのような気がするんでした。自分の命「だけ」が止まってほしいと。他の命には止まってほしくないのだと。神よ,もし命が必要ならば他の人の命ではなくぼくの命だけをお召しくださいと。そういうことなんでありましょうか。

 多くの人の命を救うために自らの命をかえりみない。自ら人柱を買って出るというのは,大変な自己犠牲精神の持ち主であります。神様がこのカンバンを見てくれているのかどうかは知りませんけれども。

 ということではもちろんなくて,このカンバンに書かれているのは「止まってね ぼくの命はひとつだけ」というものであり,これは車に一時停止をうながすカンバンだと推測されるんでした。いや解説するほどのことではありませんけれども。

 しかしあくまでも推測なので,実際は「ぼくの命は星の数だけ」とか「ぼくの命は腰砕け」とか「ぼくの命は槍穂高岳」とか「ぼくの命はエノキダケ」とかなのかもしれませんが。しれなくないか。


 こちらは,よく見かけられる「止まれ」の標識であります。それ自体は特に変わったところもないわけですけれども,ちょっと気になるのはその下の丸い標識でありますね。標識なのかどうかもわかりませんけれども。

 こういう標識は自動車学校でも習っていないような気がするわけですけれども,教習内容とか法規というのはどんどん変わっていく可能性はあるわけで,こういう黒丸の標識が新たに追加されたのかもしれないでありますね。
「この先ブラックホールあり」とか。それは一時停止しないといけませんね。止まってもムダかもしれませんが。
 天気記号で言えば黒丸は雨だから,「この先,雨」であって,この道路を越えると土砂降りなのかもしれないんでした。確かに,向こうには黒雲が見えております。

 あるいは,やはりこういう標識なのではなく,既存の標識をあえて隠しているのか。
「いえまぁ,他にも守ってもらいたいことはあるんですけどもね。ここではまぁ,一時停止だけしていただければ,それだけでとりあえずは結構ですんで。こんな,下のやつは気にしないでよろしいですから。本当は守っていただきたいんですけどもね。お宅様も大変でしょうからね。ええ」というような意味合いなんでありましょうか。なんだか卑屈(ひくつ)であります。
 隠しておいて,あとから切符切られるという卑怯(ひきょう)よりはだいぶいいですけれども。

 しかし,こうしてシルエットのようになると,当然ではありますけれども標識というのはシンプルな形だということがわかるでありますね。三角,丸,四角が棒で貫かれている。まるでチビ太のおでんのようであります。
 惜しむらくは三角が逆向きであるというところですけれども,やはり「止まれ」の場合は逆三角▽でないといけないんでありましょうか。確かに,通常の三角形△だと心理的に前へ進んでしまいそうではあるですね。そうでもないか。

「止まってね」は新潟市東区・上木戸3あたり。
「おでん」は新潟市東区・牡丹山4あたり。