大人に物件



 さる公園というか神社境内に設置されているブランコであります。2つずつ2組,計4つのブランコが設置されているんでした。
 …ブランコを数える場合に使う助数詞っていうのは何になるのか。1席2席とか1台2台とかか? 脚はないから1脚2脚ではないのだろうな。
 1ブラ2ブラとかではないのだろうなぁ。ましてや1ンコ2ンコでもないのだろうな。それはともかく。

 このブランコ,右側の2つがかなり高いんでありますね。背が低いといえども一応大人である私の腰あたりに座板があって,子どもには到底乗れないようであります。乗れたとしてもかなり危ないように思われるんでした。

 と思ってよく見てみると,これはチェーンを座板にぐるりと巻いて,高さを調節しているようなんでした。

 これは意外と高度なテクニックを使っているように思えるでありますね。ただぐるぐる巻くだけでは,座板が安定しないような気がするし。

 そうすると,これは大人というか若者が,自分がブランコに乗りたいがためにやったことであろうと思われるんでした。
 乗りたかったんでありますね。ブランコに。しかも二人で。

 男子高校生が学校帰りに付き合いたての彼女を誘ってここへやってきてベタなドラマのまねをして低いブランコに並んで座ってぶらぶらしながら語り合おうとしたんだけれどもあまりに低かったので足がつかえて女子の方が前のめりに転んでブランコから落ちて顔面を強打して鼻血が出てしまってデートが台無しになって振られてしまったのでそれを教訓として次回に備えてあらかじめブランコを高くしていたりするのかもしれないでありますね。長いか。

 そしてそのまま男子高校生が新しい彼女を連れてくることもなく,ブランコは高いまま放置されてしまっているのかもしれないんでした。
 しかしその後このブランコは小さな子どもたちの目標となっており,「早く大人になって,いつかはあの高いブランコに乗れるようになってやるんだ」という子どもが増え,このあたりの子どもたちはみんな背が高かったりしているかもしれないでありますね。しれなくないか。


 一応,年齢的に大人にならないと味わえないのが酒たばこでありますけれども,たばこの方は最近いっそう締め付けが厳しくなってきていて,なかなか喫煙もできない状況になってきているんでした。私は元来吸わないので関係ありませんけれども。

 上の写真は「たばこ自動販売機 営業中」ということらしいですけれども,どうも営業中っぽくないんでした。黒い板のようなものでふさがれていて,もはや自販機っぽくもないし。
 やはりここにタスポを組み込むわけにもいかず,営業をやめざるをえなかったんでありましょうか。それ以前に営業はやめていたような気もしますが。

 しかし,これは廃業自販機のフリをした「ヤミのタバコ販売所」かもしれないでありますね。将来,たばこが非合法になったとき,こんなところでたばこの取引がされてそうであります。

 トレンチコートにサングラスの男が周囲を気にしながらこの黒い板をトントンとたたくと,小窓から背の低い背中の曲がった男が顔をのぞかせて
「へい。いらっしゃい。今日はあの『はいらいと』が入ってますぜ」
「なにっ。あの幻の…」
「少々お高うございますがね。こちらのお値段で…。キヒェヒェヒェヒェ」
「ちっ。足もと見やがって。そんなに出せるかっ」
「いいんですかい? ほら。あなたの手,そんなに震えてらっしゃいますがね。キヒェヒェ」
「うぅっ。くそ。ほらっ。これが今の持ち金全部だっ」
「キヒェヒェヒェヒェ。毎度ありぃ…」
というようなやりとりがなされたりするんでありましょうか。いやタバコきれても手は震えないかもしれませんが。


 がらりと変わって,こちらは非常に明るいたばこ売りなんでした。
「たばこ」が紅白の垂れ幕のように飾られて,もう「たばこ万歳。たばこ無くして何の人生ぞ」とでも言わんばかりの華やかさであります。
 たばこだけでなく酒あり花ありで,もう「人生楽しいことばかり」みたいな勢いでありますね。

 ただ,その中に時計がどんと据えられていて,「いかに楽しい人生でも時間の流れには逆らえない。いつか終末にたどりつく」という「見据えねばならない現実」が暗示されているようなんでした。

 すなわち「大人になる」というのは「たばこ」や「酒」そして「花」を得ることではなく「現実」を見ることができるようになることであると,このディスプレイは語っているんではあるまいか。
 というような空論を展開しているようでは,まだまだ子どもでありましょうか。

「背伸びブランコ」は新潟市江南区・袋津1あたり。
「隠れたばこ」は新潟市東区・藤見町1あたり。
「人生賛歌」は新潟市中央区・東大畑通1あたり。