休み物件

休み物件



 白い格子状のフェンスの中ほどに,何かうねうねした物体が浮かんで見えたわけでした。
 これはいったい何であるかと近寄って見てみると,どうやら木の枝のようなものが格子にぐるぐると巻きついている状態のようなんでありました。

 それで,その木の本体というのはもうすでに伐採されて存在しないわけですけれども,このぐるぐる部分だけが残されてしまったようであります。伐採の作業員の人も,知恵の輪のようになったこのぐるぐるを外したり,あるいはわざわざ何回も切ったりするのが面倒になってしまったんでありましょうか。

 それにしても,どうしたらこの固そうな枝がこのようにぐるぐると細い格子に巻きつけるのか。この木がもっと若くて柔らかいときに近所の子どもがイタズラで巻きつけて,それがそのまま生長した結果だったりするんでありましょうか。だとすると,木は若いうちに曲げろ。ということわざができそうであります。

 その成因はともかく,この物件は形そのものが美しいでありますね。まぁ,長いものが嫌いだとか,人によっては不気味に映るかもしれませんけれども,それでもなんとなく,流れるようなリズム感というのを感じてしまうような気がするわけでした。

 ということであらためて物件の形を眺めていると,どこかで見たことのある形に見えてくるんでありますね。それは,四分休符。音楽の時間に習う,一拍休み(合ってるか?)の記号なんでした。

 あの,書こうと思ってもなかなか上手に書けない,ウネウネした記号。「タン,タン,タン,ウン」の「ウン」の記号(だったか?)。それによく似ているわけでした。
 巻きついている格子が五線譜のようにも見えて,より一層そう音楽記号っぽく見えるのかもしれないんでした。
(四分休符)

 これは,忙しく働く現代人に向けての「まぁ,ちょいと一休みしようや」というメッセージなのかもしれないでありますね。


 叙情派のオマケ。こちらは,白山公園内の「道しるべ」であります。というか,道しるべ本体は後ろにあるわけですけれども,これはその案内カンバンであります。

 このカンバン自体におかしなところはまったく無いわけですけれども,よく見ると右上のほう「道しるべ」の文字の上にポツリと小さな点が見えるんでした。これが何かというと,

 セミの抜け殻なんでした。

 これ自体も本来は物件になるようなモノではないわけですけれども,なんとなく,この場所を脱皮・旅立ちの場所に選んだ(わけでもないのだろうけれども)このセミは粋なやつであるなぁ,と思ってしまったわけなんでした。

 この道しるべから,古い自分を脱ぎ捨てて何処へ旅立ったのか。江戸か京都か会津若松か。まぁ,その辺の木の上で鳴いてるような気もしますけれども。

 そんなわけで,こういった道しるべのあたりで「次はどっちへ歩いて行こうか」なんて考えながらしばし休息をとる。そんな気ままな旅をしたいところであるなぁ。と思ったりしてしまうわけでした。

「四分休符」は新潟市中央区・笹口1あたり。
「道しるべ」は新潟市中央区・一番堀通町あたり。