猫は物件
猫は物件
小さめのビルの,小さな駐車場に掲げられたカンバンであります。
「警告 猫はもうおりません。 エサをやっても無汰です。 のでエサをやらないこと。 地主」
ということなんでした。
「お」の点のつけ方が独特なため,パッと見「猫はもうありません」と読んでしまうところであります。私も最初そこに目を引かれて「生き物をモノ扱いか?」と思ってしまったわけですけれども,実は普通に「おりません」だったんでした。
こういう点のつけ方は年配者よりも若い女性に見られるような気がするわけですけれども,地主さん,若い女性なんでありましょうか。
「地主」というとかっぷくが良くて頭が薄めな中年もしくは初老の男性を思い浮かべてしまうところですけれども,もちろんそれは偏見というものなわけなんでした。
短いスカートの制服で地上げ屋などと戦い,「この土地は誰にも渡さないっ!」がキメ台詞の「女子高生地主」なんていうのもカッコイイかもしれない。ドラマ化するなら今のうちだ。しないか。
まぁ逆に,ゴツい顔をしたオヤジがこういう文字を書いてはいけないということもないわけですけれども。岩石みたいな顔したオヤジがくるくるした少女文字を書いているというのもなかなか…よくないか。
それから目が行くのは「無汰」でありますね。「無駄」と書くつもりだったような気がしますけれども,「ご無沙汰」とごっちゃになってしまったんでありましょうか。あるいは,別の何か特別な意味があったりするんでありましょうか。
そして「無汰です。 ので〜」というつなぎ方もよろしいでありますね。一旦文章を終わらせておいてさらに強引につなぐという書き方,私もたまに文章中で意図的に使ったりしますが。
さらには最初に「警告」と書いておきながら,なんら予告や罰則がないというところもなかなかであります。普通は「警告」とあれば「違反者には〜していただきます」とか「さもないと〜ということになります」というような文言が続くわけですけれども。
ひょっとすると,本当は最後に警告文を入れるつもりだったんだけれども適当な罰則が思いつかなかったんで件の「のでエサを〜」と入れたのかもしれないでありますね。
しかしそれにしても,もう猫はいないんでありますね。猫のいないところにエサをやるという行為は,ただ単にゴミを撒いているにすぎない行為であって,虚しさひとしおであります。
むぅ。一枚のハリガミだけで様々なことを想像させてくれるあたり,作者はなかなかの書き手のようなんでした。
こちらも駐車場における猫のエサであります。
「ネコの餌くれ大変に迷惑だ 駐車場絶対立入るな」
というカンバン。頭にきている様子が,もうその人を目の前にしているようにわかる感じでありますね。
まぁ私は猫のいる街角,路地というのは嫌いではないのだけれども,それは自分が迷惑を被らないからであって,自分の庭や駐車場が汚されていたりすれば腹がたつであろうということは,十分理解できるところではあるんでした。
しかも,部外者がエサを撒いていくというんでは怒って当然であります。確かに猫はかわいがりたくなる動物なのだけれども,その結果として処分されるはめになってしまったりもするわけで,そういったあたりは考えないといけないような気がするわけでした。おお,まるで常識人だ。
ちなみに「餌くれ」というのは餌をくださいと言っているわけではもちろんなくて「餌をあたえること」であります。草木には「水くれ」をするし動物には「餌をくれ」たりするわけでありますね。標準語だと「餌やり」あたりになるのか。どのくらいの範囲で通じる方言なのか知りませんけれども。
オマケ。これは猫でもなんでもないですけれども,こういうところには猫の足跡がついてるのが定番のような気がして。
それがもう,ここの場合は人間が踏みまくってしまったわけでした。もちろん人間の特に大人はこういうところを故意に踏むということはないわけで,思わず踏んでしまったわけでありますね。
そのときの「あーっ!」という声が聞こえてきそうであります。
しかも,足跡から見て少なくとも二人は踏んでいて,けっこう深いところまでズブリといってしまっているようなんでした。
さらには自転車まで通ってしまっているようであります。ハンドルをとられて道路に飛び出したりしなかったでありましょうか。
そしてよく見ると真ん中の方には小さなポツポツもあって,これは猫の足跡かもしれない。
「いやここを通るのは私らの専売特許なんですから」
というような感じで,慌てる人間を尻目に悠然と歩いていったのかもしれず,なんとなく微笑ましいような気がするわけでした。
「警告」は新潟市中央区・本町通7あたり。
「餌くれ」は新潟市東区・牡丹山1あたり。
「足跡」は新潟市中央区・南万代町あたり。