刈込み物件

刈込み物件



 さる角地のお宅の垣根というか生垣というか,であります。どっちでもいいか。
 交差点であるためにカーブミラーが立てられているわけですけれども,生垣の樹木の生長につれてミラーを覆うようになってしまったわけでした。

 まだミラー部分には達していないのかあるいはその高さまでいかないように手入れがされているのかわかりませんけれども,途中の「注意」表示の部分は完全に隠れてしまったようなんでした。

 しかし,その「注意」は表示していなければならない規則なのかそれとも住人の厚意なのか,「注意」表示はちゃんと見えるように刈り込まれているようなんでありました。

 まぁ,文字にすると「注意表示が見えなくなることにより地域住民の安全が脅かされないよう処置を施しました」ということでなんだかカシコマってしまうわけですけれども,実際に風景として見るとなんとなくユーモラスというかヘソ出しルックというか女子高生を前にしてトレンチコートの前を開こうとしているところというか,そんな感じに見えてオモシロくなってしまうわけでした。

 カーブミラーに割とオモシロい物件があるというのは,それ自体がなんとなく人型に近いからなのかもしれないでありますね。


 こちらも見事に整えられた生垣であります。ありますけれども,その中から突如電柱のようなものが突き出てきてしまっているんでした。

 この柱,確かに以前は電柱であったような風情でありますけれども,今やその機能はなく,電がとれて単なる柱になってしまっているようであります。
 しかも柱の主要業務であるところの「何かを支える」という「何か」もすでに無いようで,いわば無用柱になってしまっているんでした。

 それでも,かろうじてその存在意義を保っているのが「世の終りは近い」という,日本全国いたるところ,おそらくは人跡未踏の地にまで存在するであろうと思われる例のカンバンであります。

 そのカンバンを表示するためだけに立っていると言っても過言ではないこの柱でありますけれども,惜しむらくは最後の一文字が見えないんでありますね。「世の終りは近」で絶句してしまっている。
 あと一文字くらい言わせてあげればいいのになぁ,と少し同情してしまうところなんでした。

 あるいは,この下にはもっと別の文字が隠れているのかもしれませんが。
「世の終りは近くない」とか。
「世の終りは近所迷惑」とか。そういうレベルの問題ではないか。
「世の終りは近鉄バッファローズの終わりと共に来る」とか。それじゃもう終わってるか。


 オマケ。こちらは生垣でも刈り込んでもいませんが。上の「世の終わり」と場所的に近かったもので。

 おそらくは写真の建物は以前生活用品とか駄菓子とかそういったものを売っていたお店であって,コカコーラのカンバンが上に掲げられていたんではあるまいかと思われるんでした。
 しかしそれもすでに廃業してしまっていて,ご主人も今はのんびりと庭の手入れを楽しむ生活を送っているのかもしれないんでした。

 それで大切な庭へ部外者が勝手に入ってこれないように,庭への入口を大きなカンバンでふさいでしまったんではあるまいかと思われるわけでした。

 なぜこのカンバンを使ったのか。それは,このカンバンには特殊な効果があって,簡単に超えられないようになっているからなんでありますね。カンバンを乗り越えようとすると「こらーっ」と怒られたような気持ちになってしまうんでした。 コーラのカンバンだけに。
 …小学生のなぞなぞか?

「注意」は新潟市西区・寺尾東1あたり。
「世の終り」は新潟市西区・寺尾あたり。
「コラー」は新潟市西区・寺尾あたり。