ぜったい物件
ぜったい物件
お寺の前を歩くと,なにやらありがたいようなお言葉が掲げられていたりするわけでした。
こういうものは「ははぁ。なるほど。ありがたいお言葉であるなぁ」と素直に受け取っておけばいいわけですけれども,ヒネクレたものの見方をする輩としては,やはりちょっと素直でなく背面キャッチをしてしまったりするわけなんでした。
つまりは,傲慢がそこに出ていると言い放った時はすでに傲慢がそこに出ているという傲慢がそこに出ている…んではあるまいかと思ってしまうんでありますね。
そして,傲慢がそこに出ているという傲慢がそこに出ている,と思うこと自体,そこに傲慢が出ているのではあるまいか。と思うことが即ち傲慢であって…という永久ループに入ってしまうわけでした。入らないか。
まぁ,こういうお言葉というのはそれが即ち正解や真理ではなく,この言葉について色々と考えてみることが大事だということであって,私などはそれにまんまとはまってしまっているのかもしれないわけですけれども。
それと似たような案件に「絶対」というのがありますですね。
「世の中に絶対ということなど絶対にないんだ!」と力説されても「いやアンタ言ってますがな」とツッコんでいいやらどうやらわからなくなってしまうわけでした。
上のカンバンも割とよく見かけられるものですけれども,「ぜったいはいってはいけません」というのが「絶対は言ってはいけません」すなわち「絶対などと言い方をしてはいけません」とたしなめられているように感じられたりするんでした。まぁ,カンバンとしては基本の物件であります。
それにしても,すべて平仮名で書いてあると色々な読み方が出来てしまうでありますね。
ひょっとすると,これは舌の粘膜表面に生じるコケのような白い付着物(舌苔:ぜったい)をフライパンなどで炒るのは非常に危険なので「危ない! 舌苔は炒ってはいけません」と言っているのかもしれない。確かに,舌をそのままフライパンにあてるのは危険であります。
あるいはこれは「あぶないぜっ タイは行ってはいけません」と言っているのかもしれないんでした。これはマレーシア観光協会あたりが密かに貼っているんでありましょうか。
ホントはカッコよく「あぶないぜっ!」にしたかったんだけれども「!」の位置と文字の配置がおかしくなってしまっているのは,日本語に不慣れなせいでありましょうか。
※これはフィクションであります。たぶん。
常識的な読み方としては「危ない! 絶対入ってはいけません」なんでしょうけれども,それが絶対であるとは言いきれないんでした。
「傲慢が」は新潟市・西堀通9あたり。
「ぜったい」は新潟市・山田あたり。