顔で物件

顔で物件


 交通標語というものはだいたい言わんとすることは決まっているわけですけれども,地域によって微妙に文章表現やら演出方法やらに違いがあったりするんでした。

 そんなわけで写真の物件。この地域では,交差点でもただ停止するんではなくて,ごあいさつもいたしましょうというコミュニケーション重視の方向性を持っているように感じられるわけでありますね。

 それで「ふんふん,ごあいさつね」ということでまぁそれほど個性的でもないなと思いながら一度は通り過ぎて,それでもなんだか違和感を感じて引き返してじっくりながめてみると,なんだかよくわからんようなことが書いてあったりするんでした。

 交差点で止まるのはいいのだけれども,「顔でごあいさつ」というのははたしてどういうことなのか。

 チンピラがインネンをつけるときに自分の顔を動かして相手の足の先から頭のてっぺんまでをなめるように見て「ワシに肩ぶつけてくるとは,ごあいさつじゃのう。ワレ」というような,あれのことか。でもそれだと各交差点ごとにチンピラがいないとダメだしな。

 というのはあまりにも強引な妄想でありますけれども,おそらくこのカンバン,もともとは「笑顔でごあいさつ」だったのであろうと思われるんでした。言うまでもないかもしれませんが。

 その「笑」が消えてしまったんでありますね。笑いの無い,ただの顔。会社でイヤなことでもあったんでありましょうか。顔から笑いがなくなるというのはコワイものであります。

 しかし,ホントに「笑顔」だったのかという疑念も残るわけでした。地域の個性を出そうとしたならば,笑顔では平凡すぎないかと。たとえば

 感激屋の多い地域なら,泣顔であいさつをしてもいいじゃないか。
 真面目な地域なら,真顔であいさつをしてもいいじゃないか。
 シャイな人の多い地域なら,正面を見ずに横顔であいさつしてもいいじゃないか。
 植物好き人の多い地域なら,朝顔であいさつしてもいいじゃないか。
 グラスの底に顔があってもいいじゃないか。

とかなんとか。

 まぁグラスの底に顔があっていいかどうかはともかくとして,人間,笑顔だけで過ごせるものではないわけであります。色んな気持ち,表情があってこその人間。

 そう考えてみると,空欄に今現在の自分の気持ちを当てはめて読むことのできるこのカンバン,なかなか深いのではあるまいかと思ってきてしまうわけでした。

 あなたは今どんな表情でこのカンバン写真をながめているでありましょうか。

「顔でごあいさつ」は新潟市(新津)・古田あたり。