ゴム手物件
ゴム手物件
人間はいろいろな衣料を着用したり装備したりするわけですけれども,手袋というのはその中でもとりわけナマメカしい感じがするんでした。
まぁ,手というのがそれ自体表情を持っている器官であるから,その形を持った手袋というのにも表情を読み取ろうとしてしまうということなのかもしれないでありますね。
その手袋の中でも,ゴム手袋というのはなんだか一層ナマナマしい感じがするんでした。妙にリアルに見えてしまうんでありますね。人間の手とは材質がまったく異なるのに,なぜなんでありましょうか。
毛糸や皮の手袋と違って,ゴム手袋というのはある程度形を保とうとするので,表情が本物の手と近くなるということなんでありましょうか。
ということで,上の物件。細長い園芸用の棒を白いゴム手袋の人差し指部分に通していて,あたかも天を指差して「あれが巨人の星だ」とでも言っているようなんでした。
棒を通したのが人差し指で幸いでありました。中指だったりしたら,外人さんに怒られそうであります。
こちらは洗って干しているようであります。やはりゴムという性質上,干すときには穴の開いている部分を下にしなければいけないわけで,指先部分は上になるんでした。
そこを洗濯バサミでとめようとすると,どうしても数を数えているようになってしまうんでした。ちょうど,1・2・3であります。
それにしても,職業が関係しているのかどうか,たくさんゴム手袋を持っているお宅でありますね。各人が自分用のものを持っているのか,ひとりの人が毎日オシャレにつけかえているのか。
手袋の数え方は1双,2双というらしくて,これはもちろん通常手袋は左右そろえて使うものだからなわけですけれども,こちらに干してあるのはみんな片方だけ。ゴム手袋というのはそういうものなんでありましょうか。
こちらもどうやらゴム手袋を干しているようなんでありますけれども,窓の脇にあらかじめ手袋を干すための金具が用意されているようなんでした。しかもかなりたくさん。
もう,ゴム手のプロ,という感じでありますね。ホントに手袋を干すための金具なのかどうかは知りませんけれども。
しかし,見ようによってはこの窓の向こうには人がいて,手首をはさまれてしまっているようでもあります。手がはさまれているんで,自分では窓を開けることができない。
そう思ってみると,この手の表情はもがき苦しんでいるようで,いかにも痛そうでありますね。鬱血してるみたいだし。
あるいは,この家の色と手袋の色がほとんど同じところからして,これは実は「家の手」なのではないかと妄想してしまったりするんでした。
家には必ず手があって,住人の知らないところからにゅっと生えているものなのかもしれない。この短い手で,何ができるのかは知りませんけれども。
とりあえず,この家は盆踊りでも踊っているようであります。そう思ってみると,なんだか楽しそうな表情に見えるんでした。手の表情というのは微妙であるなぁ。
「巨人の」は西川町・旗屋あたり。
「おしゃれ」は水原町・中央町2あたり。
「家の手」は津川町・田町あたり。
なお,西川町は新潟市に,水原町は阿賀野市に,津川町は阿賀町にそれぞれなっているような気が多分します。