伏字物件

伏字物件


 トマソンの分類のひとつに「ウヤマタイプ」と呼ばれるものがあって,これはごく簡単に言うならば「カンバンの一部の文字が消されているもの」であるんでした。

 最初に発見されたのが「_はウヤマ 卯山_店」というカンバン的なもので,「何を扱っているお店なのか肝心の部分がわからない。今はお店を閉めてしまったけれどもいつかまた再開する時にはどんな商品でも扱えるようにしているのかもしれない」というような想像をさせるというあたりが評価(なのか?)されて,「ウヤマタイプ」と呼ばれるようになったんでした。

 上の写真の物件はそのもともとの「ウヤマタイプ」とはちょっとオモムキを異にするような気がしますけれども,類似の物件であると思われるんでした。

 真ん中に牛乳箱を打ち付けることによって「壽屋家■店」になってしまった,大きく歴史のありそうなカンバン。家■…とは。もとは家具店さんだったんでありましょうか。壽屋家族店という,家族をレンタルするという先進的な商売をやっていたわけでもないだろうし。家そのものを売っているお店でもなさそうだし。

 それにしても,やはりこのカンバンを見て思うのは「もうお店はやってないのだろうな」ということでありますね。それならばカンバンをはずしてしまえばよさそうなものでありますけれども,何かそうできない事情があるのかもしれないんでした。

 職人カタギのガンコな父親と,職人の厳しい修行に耐えられず家を出て,普通のサラリーマンになって都会の娘と結婚した息子。そのガンコ親父が脳卒中で倒れ,職人として再起できなくなってしまったので息子家族はこの家で父親と同居することに。

 都会育ちの嫁はそんな職人的な生活を嫌って看板なんか捨ててしまおうと言うのだけれども,息子は父親から逃げ出した若い頃の自分を恥じる気持ちがあり,働けなくなり小さくなってしまった父親の背中を見ると看板を捨てることができない。

 しかし嫁に「いつまでも看板出しておくとまだウチが家具屋やってると思われるじゃない!」と詰め寄られ,妥協案として牛乳箱で看板を隠すことに。
「いつかまた,店を再開するときにはこの箱をとればいいだけなのだ。…今度こそ,修行からは逃げ出すまい。親父も,オレを鍛えることを生きがいにしてくれるだろう」と息子が思っていることを,嫁はまだ知らない。

 というような事情があったり…しないか。

 上記の事情はもちろんすべて私の妄想であり,事実とは異なります。たぶん。


 オマケ。こちらはウヤマタイプとは異なるですね。字,よく見えてるし。
「村山自転車■はこちらです」の完全に消えきっていない■には,「様」が入っているんでした。

 つまりこれは,道路工事の現場でよく見られる「工事の最中で入口がわかりにくくなってますけれどもここがこのお店の入口ですよカンバン」なんでした。

 うちはこういう工事に巻き込まれたことがないのでよく知りませんけれども,この手のカンバンというのは工事会社やら行政やらが負担するものなんでありましょうか。そして工事終了後はもらったり買い取ったりすることができるものなんでありましょうか。使いまわしたりはしないのかどうか。

 ジャマになりそうだから,くれると言ってもいらないと答えるところが多そうではありますが。
 でも欲しいと思ってもなかなか手に入るようなものでもないような気もするから,コレクターの人は欲しがるかもしれないなぁと思ったり思わなかったり。いるのか? コレクター。

「家■店」は村上市・庄内町あたり。
「自転車■」は新潟市・水島町あたり。