雲母神社
(番外編・関川村上関)
そんなわけで,知っている人は知っている(あたりまえ),あの雲母(きら)神社であります。私も話には聞いていたので一度行ってみたいと思っていたわけでありますけれども,なかなか機会がなかったんでした。
関川村の道の駅に車を停めて歩くこと2キロばかり。国道から少し入ったところに神社はあるようなんでした。
そして,その入り口にはいきなりコレであります。
「子宝の神 雲母神社」ということで,これはおそらく矢印のつもりのようでありますけれども,それはもう堂々としたものが迎えてくれるわけでした。
下には「通学路 学童に」のカンバンが。
どうやらここは通学路になっているようでありますけれども,学童にいったいどうしろというのか。だいたいが,通学路にこれは大丈夫なのか。などと思ってしまうわけでした。
カンバンのように進むと,ちょっと山道。平地を歩くことには慣れていても,ちょっと坂がキツイと息が切れてくるのは路上観察者の脆弱なところであります。
ハアハア言っていると,おもむろに鳥居が見えてくるんでした。
鳥居は普通であります。しかし,こま犬の代わりに,こまチ○△が。やはり阿吽があるんでありましょうか。どちらかの口が開いてどちらかが閉じていたりするのか。それは確かめてきませんでしたけれども。
確かめるにはよじ登らないといけないし。登るつもりで抱きついているところを誰かに見られたらどう思われるか。
拝殿というか本殿にも,鏡とともにいくつか無造作に鎮座(文字通り)しているんでした。
いや神殿内を写真に撮ったりというのはあんまりよろしくないと思ってはいるんですけれども,撮る前後に時間をかけてお参りしておいたので許していただきたいところであります。
手水鉢がこれ。鉢はともかく,水口のコレはどうなのか。
このとき水は出ていませんでしたけれども,出ていたとしてコレで洗って清められるのかどうか。
どこかに水を出すためのコックはあるんでありましょうか。あ,「コック」はあるのか?
「コック」をひねると出てくるんでありましょうか。久しぶりに出すと,水もどろりと濁っているかもしれないでありますね。
しかし出すために「コック」をひねるというのは,なかなかマニアックなテクニックであります。何を言っているのか。
本殿の反対側には色んな石が置かれているんでした。
ここに限らず,陰陽石が置いてある神社というのは多くありますけれども,たいがいはひっそりと置かれているものであります。
ここの場合も,鳥居前やら手水やらに自己主張の激しいのがいる関係上,多少のひっそり感はありますけれども,他と比べると堂々としたものなんでした。
ということで,最後は目を休めるために神社付近からの景色を。
「子宝の神」ということなので,それを望まれる方は行ってみるといいかもしれないんでした。この近辺の雲母温泉というのは子宝温泉とも呼ばれるみたいであるし。
しかし私の場合は未婚というか無婚の身であるので,今回の参拝によってご利益があったりするとそれは逆にタイヘンであるかなぁ,などと思ったりしながら坂道を下りていったわけでした。