about this diary


 
 『光学的なイメージスカウティングのために』、というとカッコ良スギなのですが、普段の制作では、フィルムはおろかカメラさえ使わない手法を採ったがゆ えに、レンズを通してフィルムに焼き付けられる『光』と『空気』の表現への憧れは、非常に強く感じていました。ノルシュテイン監督の「話の話」や「外套」 の光の表現。また学生時代、憧れに憧れた、小津監督の「その夜の妻」「東京の合唱」、山中監督「百万両の壷」などといった戦前の映画の、遠い質感。それが 今も自分の思い描く、憧れの映画的なイメージです。

 ただ、それはノスタルジーとか、郷愁感とか、そんなものではないようにも思ってきました。第一ロシアや戦前の映画を観て、郷愁を感じるのはおかしい。質 感としての粒子の粗さも、個人的な懐かしさとは無縁のもののハズです。あるとすれば、画面の中で投影される被写体との、時間的・空間的な『距離感』とでも いうべきもなのではないかな、と、考えています。絶対に手の届くことのない、むしろ個人的な感傷など寄せつけてくれない、恐ろしく客観的で静かな、距離の 遠さのようなもの。まあ、その遠さそのものが感傷であり郷愁感なのだと、云われてしまえばそれまでなのですけれども。

 また小津監督や山中監督の映画には、シーンのなかに、実景や静物が、非常に効果的に構成されます。狭角で、ピントの浅い、晴れやかな、静かなカット。人 物の感情吐露や台詞を中心にドラマを飾ることをせずに、何よりその場の空間そのものを感じさせる、象徴的なクロース・アップの使い方。わーこれが映画なん だ!と、観るたび感激します。
 
 そんなこんなで、アニメーションを作る際、その憧れの『映画的イメージ』のために想定するフィルムのフォーマットとレンズの標準焦点距離、カットごとの 露出や被写界深度などを、普段の生活 のなかで体感したい、という考えから、6年ほど前より、通勤や散歩の合間に、あれこれと試行錯誤しながら、写真を撮り始めてみたのでした。
 詳しく書くとカメラのウンチク話みたいにしかならないので省略しますが、9.5ミリ幅のフィルムから中判まで、それぞれのフォーマットでいくつか の焦点距離レンズ、いくつかの感度のフィルムを試しました。(こ のページに、ちょとだけまとめてあります)
 結果、基本的には、どのフォーマットもそれぞれに楽しく、思い入れも出来て素晴しいものなので、迷ってばかりで、写真としてもう少しマシに精進したいと か、筋違いの誘惑にもかられてしまいましたが、何よりも、自分がアニメーション制作で参照したいイメージの質感と、いつでも持ち歩ける日常的なスケッチ 用、ということで、映画フィルムを巻き直して使う16ミリのミニカメラ。中でもレンズの狭角具合と画面の縦横比から、ミニコードというカメラを使うことに 決めました。

 …と、書くと、ながーくて、理屈くさーい前置きになってしまいましたが、結局、何ということもない、気軽なミニコードによるお散歩写真と、日記のページ です。まあ、本当に自分の趣味と模索のためのダメダメ散歩スケッチなので、本来は人にお見せ出来るものではないんですけれど、自分でも気軽にこのスケッチ を続けていくためと、本間國雄の画文集「東京の印象」みたいなフンイキで何かできたらなー、と思っていたので、大した考えもなく、始めてみます。

 で、最後に少しだけカメラについて。ミニコードは、16ミリの両孔フィルムに、殆どミノックスサイズの、10ミリ四方の極小ネガを記録する、とても小さ な二眼レフなのですが、肝心の両孔フィルムがほとんど壊滅状態 のために、いま実際に活用しているヒトが、おそらく世界にもあまり見当たらないのではないか、というフンイキのカメラです。しかし、実際に使用してみる と、個人的に は、上記目的の、普段のスケッチとして最適の焦点距離と好ましいフォーマットを持った、最良のカメラのひとつでした。
 なので、コレクションやカメラ談義の材料としてではなく、ミニコードを実際に活用してみよう!という、アニメーション制作の合間の、息ヌキ実験の趣味趣 味ページとし てご覧いただけたら、幸いです。

16ミリ両孔ネガフィルム(RP、Plus-x7231)の復活を願って!

2008年3月31日
和田敏克



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